「アルベル、平気って本当なの? だってさっきすごい音……」
「何でもねえ」
早足で歩くアルベル、気を抜けばあっという間に遠くなってしまう背中をマリアが必死で追う。ただでさえ彼女は足が遅いのに、慣れない土地の慣れない――白がすべてを覆う道。気を抜けば脚がとられる。脚が取られればバランスを崩せば、
「アルベル……!」
少し脚をゆるめてくれと、素直に言葉にすればいいのに。いくら機嫌が悪いときでも、マリアがそう頼んだなら。きっと舌打ちでもしたあとで、彼はしぶしぶ聞いてくれるのに。
そう思うのに、意地っ張りな心は折れてくれなくて。
だからマリアは必死でアルベルのあとを追う。振り向いてくれない彼が淋しくて、でも何も言わずに言うことができずに、唇を噛んであとを追う。
アーリグリフ、年中雪と氷に閉ざされた街。その街外れには。二人以外、降り続く雪以外、動くものは何もない。
「……アイテムの回収?」
「ええ、さっき打ち合わせしていたでしょう? 地下水路にいくつか取り忘れたアイテムがあるから、行ってこいだって」
「……な、」
「楽したいから嫌だなんて文句なら、受け付けないわよ」
宿の暖炉の前ですっかりくつろいでいたアルベルに、マリアが細い指を突き付けた。その指を彩るのは小さなリング。見覚えがあるそれは、確か最近パーティリーダーの「一番お気に入りのおもちゃ」だったはずだ。
……そういえばこの街に来る途中、トラオム山岳地帯を行く時に。なにやら騒いでいたのを右から左に流していたかもしれない。その最中バニッシュリングがマリアへ手渡されたのを、見るとはなしに眺めていたかもしれない。
しかし結局、面倒なことは変わらない。むっと拒否しようとしたアルベルは、しかし。尻尾のようにまとめた髪を、マリアにいきなり掴み取られて驚いて動きを止めた。マリアはそのまますたすたと入口に向かって、そうなると当然凍り付いた彼も立ち上がらないわけにはいかない。
「離せ……!」
「だめよ。買出しは雑用仕事だって嫌がるし、クリエイションは全般的に苦手でしょう。だからって一人サボらせたりしないわよ。やることがあるのに」
「うるせえ」
ぶつぶつとつぶやく彼に、振り返るマリア。戸口を開いてその向こうの寒々しい白に、青い髪が鮮やかに映える。
「……私の護衛、頼みたいのよ」
「…………」
「ちょっと散歩するだけ。付き合ってちょうだい」
頭の良い女は――苦手だ。
どこまでが計算なのか、彼のプライドをくすぐる言い方をするから。滅多に人に頼らないくせに、いきなり不意打ちで命令口調の「おねがい」をしてくるから。
そうした全部が、不快どころかかなり嬉しかったりするから。
「ねえ、アルベル」
「……チッ」
細い手から髪を取り帰すと、アルベルはわざとらしく舌打ちをした。そうして、戸口で立ち止まったマリアを押しのけて外に出る。さっさと来やがれと目で振り返る。
マリアが、硬質の美貌の奥でほんのりと笑って。
それが嬉しいだなんて、死んでも認めてやるものかとアルベルは思う。
街を抜けるまで、アルベルは一度も振り返らなかった。そんな彼の二歩ほど後ろをついて歩きながら、マリアも何も言わなかった。
ただ、頭の中に何度もくり返される記憶。
――ちょっと前に来たときは、大してよそ見もしなかったし大体奥まで入らなかっただろ?
にこやかで、しかしどこか不満そうなリーダーの笑顔。こちらは完全に憮然とした養父。
――寒いけど、行って損はないと思うよ。寒いだけの価値があるから。
何を言いたいのか、変な言い回しをして意味ありげに目が笑う。
――アイテムの回収はそのついででいいからさ。マリアに行って来てほしいんだ。
嫌なものは感じない、けれど居心地の悪くなるような笑みが。マリアには素直な好意、もうひとりには嫉妬めいた殺意を込めた笑顔が。
脳裏に浮かんでは消えて、そしてマリアはいきなり思う。
――これって、デートみたい。
思った瞬間恥ずかしくなって、頬をかすかに染めた彼女は少しだけ下を向くと、ただ歩くことに集中しようとする。集中しようとするのに、思い付きはその単語は、記憶の代わりにぐるぐると頭を回って、なんだかとても顔が熱い。
「――おい、何ぼさっとしてんだ」
「っ! え、ええ……、今行くから」
地下水路の入口で立ち止まって声をかけてきたアルベルに、思わずぎくりと跳ねてから。マリアはあわてて返事をすると脚を速めた。
そして入った先、先日訪れたときにはろくに見回さなかった空間。
マリアはただ、ほう、と息を吐いた。
「――ああ、これね」
「あ?」
冷え切った空気を吸い込めば肺が痛くて、それでもマリアは笑う。怪訝そうに彼女を見るアルベルに、ほんのりとほほを鼻の頭を赤くしながら笑いかける。
「自然ってすごいわね。どんな天才芸術家でもやっぱりかなわないわ」
「……」
凍り付いた湖から生える、巨大な氷の柱。入口からかすかに差し込む陽光を、自然のプリズムが分解してほのかな七色を振りまく。吐く息が白くてやはり肺は痛いほどで、けれどその吐息さえ自然で不思議で、――美しいと思う。
それはきっと、宇宙を我がもの顔で飛びまわる彼女たちが、文明を進めるかわりに捨ててしまった類の「大切なモノ」で。この地に生まれたアルベルにはたとえ大して感銘を与えなくても、マリアの目にはとてもとても美しいもので。
「きれい」
「……んなもんどうでもいい。寒ぃんだとっとと用事すませて帰るぞ」
「…………」
吐き捨てるアルベルがそういう人間だと、元から知ってはいたけれど。マリアは周囲に負けないくらいに温度の低い目でアルベルを見やった。
「風情がないわね」
「フン」
心から呆れて吐き出せば、多少自覚があったのかふいとそっぽを向く。そっぽを向くついでに周囲を見渡してどうやら確認して、はや凍えはじめた指先にはあっと息を吐きかけるマリアの腕を、
ぐいと掴まえてその指を掴まえて、絡めるように握りしめる。
驚いたマリアがあわてて見上げても、装ったわけでもなさそうないつもの顔。ほら行くぞと手を引かれて、なんだかくすぐったくなったマリアはふわりと笑った。簡単に機嫌が直った自分がずいぶん間抜けで、さりげないぶっきらぼうなやさしさが嬉しくて、笑いながら彼の腕を抱え込む。ぽかんとしたアルベルの顔を見上げて、くすくすと笑いが収まらない。
「……暖かい」
「――生きてるから当然だろうが。敵が来たら振り払うぞ」
「ええ、それまでこうしてる」
「勝手にしろ」
短い言い合い、再び離れた視線。
マリアはただ、幸せに微笑んでいる。
――これって、「デート」よね。
嬉しい。「普通の女の子」の真似ができるなんて嬉しい。その相手が他でもないアルベルなら、
これほど嬉しいことはない。
どこまでも無骨で苛烈で一直線な「歪」の二つ名を持つ漆黒団長をこっそり見上げて、冷徹冷酷冷血と名高いクォークの女リーダーは幸せに目を伏せた。あまりに幸せすぎて、逆に少し不安になった。
自分を戒めていたとは思わないけれど、いつの間にか気後れしていた「普通」の真似ごとが幸せだった。たとえ不器用でもこうして甘えることができるのが、この時間を好きな人と共有できている事実が、嬉しくて仕方なかった。
一般には遅すぎるのかもしれない、さらには遅々として進展のない春を。それでもマリアは楽しんでいた。いとおしんですらいた。アルベルも、そんなマリアを振りほどこうとしないあたり、この状況を喜んでいるのだと思う。そう思うことが、また嬉しい。
――みんなには隠していたつもりだったのに、ひょっとしてお膳立てしてくれたのかしら。
あの複雑な表情の理由はそこなのかと、パーティリーダーおよび養父の顔を思い出しながら笑いが止まらない。
そうして、珍しく浮かれた足取りで不器用に腕を組んだまま二人は歩き出した。
しかしそれは、この場所ではとんでもなく間違いだった。
いくら景色が美しくても、ここは地下水路で。そこかしこから染み出した地下水が、染み出すはなから冷気で凍り付くような場所で。常に文明の利器にかしずかれている身は、雪山にも氷の上にも慣れていない。そこを歩くことに、まったく慣れていない。
そんな場所をそんな人間が、誰かにべったりとはり付いてなおかつ普通に歩こうとすれば。
当然。
「き、」
不意に、腕にかかる重さがなんだか変わった。身構える間もなく、元々しがみつかれていた腕がさらにきつく拘束される。心構えがなかったせいで一瞬対応に遅れる。
アルベルが我を取り戻すよりも早く。
「あっ」
凍りかけては溶けかけてまた凍るをくり返してきた悪路に、どうやら脚を取られたマリアが。一瞬バランスを崩して思わず抱えていた腕に力いっぱいしがみついて、まるでそんな予測をしていなかった雪国育ちのアルベルは。
――というか、お互いひそかに浮かれまくっていた二人は。
二人してバランスを崩すと、道の脇にせり出した岩にあるいは氷の塊に。たまたま運悪く倒れ込んだ。ちなみにアルベルが下になっていた。さらにはそれが後頭部からだったりした。
なかなか良い音がする。ひょっとしたら地下水路全体が多少揺れたかもしれない。
そんな中で、マリアだけは完璧に守り通したアルベルは、ひょっとしたら紳士の鑑かもしれなかった。
