冗談抜きに目の前に星が散った。目の前がいきなり何かに塗りつぶされて、塗りつぶしたそれが、明るいのか暗いのかだとかたとえば色は着いているのかさえも判別できない。息が止まってきっと鼓動さえ一瞬止まって、それでも腕に庇ったやわらかくてもろい存在にぎりぎり意識を手放すことだけは耐え切る。
止めていた息に気付いて、そこで大きくひとつ吸って。
冷え切った空気が肺に痛かった。後頭部からの痺れるような痛みは鈍いながらも激しくて、肺の痛みよりも鋭くて。それがじわじわと広がって、なんだか吐き気がする。

―― 暗泣 [嘘泣き] 2

「…………あ゛……っ」
「ぅ、あ、……だ。大丈夫アルベル!?」
そうしようと、思って庇ったわけではなかった。けれど無意識にだろうが結局は庇った腕の中のものが、もぞりと身じろぎした。見下ろせば目が合う。深く澄んだ翠に広がる、その翠にはとてつもなく見慣れない「心配」の色。じわりと涙で潤んで、服を探って何かを取り出そうとするのを。
アルベルはとりあえず強く抱きしめることで、その動きを邪魔する。
「アルベル……、力、苦し……っ。ちょっと待って、今、アイテム……」
「必要ねえ」
痺れが全身に広がりきって、気分が悪くて思うように動けない。感覚が鈍くて動きが鈍くて、ただ痛みやら吐き気やら気分の悪さやらだけははっきりしていて。
けれど。こんなことにアイテムを使うことも治癒の術を使うことも、ないと思う。
止めたにもかかわらず、あきらめずに回復アイテムを取り出そうとするマリアに。アルベルは息を吐いた。
「……いらねえ。何もするな」
「でも、」
「――……帰るぞ」
一応言うだけ言って、ひどく抱き心地の良い身体を手放した。視界がぐらついて思わずふらつく身体を意地だけで立て直す。何事もなかったように立ち上がって、何事もなかったかのように言葉どおりとっとと出口に向かう。
何かもごもご言いながらあわてて後をついてくるマリアを、気付いていながら振り向きもしない。振り向いてやることさえできない。
腹が立っていたから。

間抜けな自分に腹が立った。戦闘最中でもないくせに、こんなところで醜態をさらした自分が許せなかった。彼自身が「特別」と認識した女に、女の方から触れてきて。気分を浮付かせて周囲への注意がおろそかになって、たかが脚をすべらせた女ひとり、支えきることができなかった自分が情けなかった。そんな些細なことに腹を立てている自分に、何より腹が立った。
地下水路を抜ける。先ほどここに来る時に残ったはずの足音を隠して、なお降り積もる雪をざくざくざくと踏み付ける。
腹が立った。腹を立てることで、後頭部に受けたダメージが増してきているような気がする。それがさらに不愉快だった。腹を立てている心そのままの乱雑な動きで、さらに頭痛が気分の悪さが吐き気が増している、それがさらに自己嫌悪を煽る。火に油を注ぐ。
「アルベル……っ」
「何でもねえよ」
腹を立てている自分を悟られたくなくて、懸命に追い付こうとする背後の気配が追い付かないように脚を速めて。子供っぽいことをしている自分にさらに絶望的に腹を立てて。
どこかで立て直せと、痛む頭のどこかが主張した。そうしたらどうだと頭の別のどこかがうなずいた。噛み付くような足取りのまま周囲を見渡せば、そういえば戦乱のどさくさだかこの地の厳しさに耐えられなくなっただかで、空き家になった民家が建ち並んでいることに気が付いた。
気付いた瞬間、彼は迷わず手にした刀を引き抜く。

◇◆◇◆◇◆

迷惑をかけるだけかけるマリアに、きっと呆れたアルベルが。呆れているからこそ隣を歩くことを許してくれないアルベルが。ふと周囲を見渡すと、いきなりカタナを抜いた。
「!?」
――何、を。
予想外の展開に戸惑うマリアを置いて、道の端――雪と寒さに凍り付いた民家の玄関前に仁王立ちになる。そのまま流れるように無造作にカタナを振るって、
がきん。
あっさりと鍵を壊して当然のように力任せにドアを引き開けると、ちらりと彼女に目を向けてからその民家に入っていく。
周囲の白にひどく映える真紅。切れ長の目、艶を帯びた流し目。一瞬呆けたマリアが我に返るころには、アルベルの身体は民家に消えるところで。腕がにょっきと生えるとちょいちょいと指で招かれたところで。
――それって、どう考えても不法侵入じゃないかしら。
ようやくぐるぐると思い当たったマリアは、とりあえずはアルベルをここから引きずり出さなければと変な使命感で立ち止まっていた脚を動かした。
吐き出した息が白く白く、歩き抜けたあと一瞬だけ残っていることに。その時マリアはふと気付いて、それが面白いと思った自分を間抜けねと自嘲する。

「アルベル、こんなことして、」
「……寒ぃんだよ」
声をかけながら家に入れば、暖炉の前に陣取って火を入れようとしているアルベル。冷たい風がなくなって思わずほうっと息を吐いて、変に焦って火を付けようとしている彼を見たマリアは、
その顔色が青いことに気が付いて息を止める。
先ほど、氷の塊に彼が打ち付けたのは後頭部。人間の頭部は、身体の他の部位よりもずっとデリケートだ。医療にはあまり詳しくないけれど、マリアは後頭部へのどうということのなさそうな一撃で、呆気ないほど簡単に人が死ぬ場面を何度か目にしている。
――やはり、さっきのあれは平気ではなかったのか。
すぐに出て行くつもりで開けていた扉を後ろ手に閉ざして、身体にまとわり付いた雪を払うことも忘れて、マリアは暖炉の前、アルベルのそばに走り寄った。医療には詳しくない、治癒の術は使えない、どうすれば良いのか正直まったく見当が付かない。
付かないけれど、怪我をした本人が寒がっているのなら。
「ファイアボルト」
滅多に唱えることのない呪文を口にした。のばした指の先に炎が凝って、指差すままに、生まれた炎の塊は暖炉の中へと飛び込む。マリアが民家に入る前にアルベルが積み上げたのか、もともとそうだったのか、暖炉の中の薪に一発で火が点く。
火が点いたことでじわじわと部屋の中の温度が上がっていく。
薪の炎が大きく踊って、ただそれをじっと見つめて。はーっと、大きなため息を耳にして思わず横を向けば、赤い炎に照らされている端正な顔。
……なんだか揺れている。
「……? アルベル??」
小さく声をかけても、彼は何も言ってくれない。

◇◆◇◆◇◆

マリアの呪文で暖炉に火が入った。何とはなしに踊る炎を眺めつつ、アルベルは、
部屋が身体が温まって人心地付いたと思ったとたん、ぐらぐらと揺れだした視界やら激しくなった嘔吐感やらを顔に出すまいと必死だった。
――これはヤバいかもしれない。
そう思っても、どうしたらいいのか分からない。分からないうちに視界のぐらぐらはひどくなっていく。
……ヤバい。
――そう思ったのが最後で。
ぐらついた意識が極地に達して。
平衡感覚がなくなった、目の前が塗りつぶされた――今度は色が分かった。
黒だ。
そんな自分を、阿呆、と――罵りたい。

◇◆◇◆◇◆

「アル……っ!?」
ぐらぐらと揺れていた頭ががくんと倒れた。マリアの方に倒れてきた。あわてて手をのばして肩を掴んで支えようとして、
お互い暖炉前にしゃがみこんだ姿勢、体格差。
支えきれるわけがない。
「っ、」
けれどたとえ支えられなくても、床に取り落とすわけにはいかないと。このまま倒れたらアルベルは後頭部をまた打つことになるからと、必死に力を振り絞る。意識を失った身体が重くて、歯を食いしばってそれを、なんとか彼の頭を、
衝撃が伝わらないように気を付けながら、自分のふとももに乗せる。
「……ばかっ!」
先ほどぶつけていたあたり、後頭部のあたりにそろそろと触れてみたならなんだかふくらんでぶよぶよした手触り。触れてみる限りで見事にふくらんだたんこぶは、先ほどのあれ以外原因が思い付かない。
「ばか」
治癒の術が使えるならヒーリングでもかけるけれど、マリアは呪文を知らない。覚えているのは初級程度の攻撃魔法だけで、先ほど暖炉の薪に火をつけた程度、それ以上の役には立ちそうにない。手持ちの回復アイテムは食べて効力を発揮するもので、意識を失った相手、しかもこの姿勢ではそれを食べさせることもできない。
「ばかアルベル。私が悪かったんだから、怒れば良かったのよ」
だから、何もできないから。
マリアは冷えきった自分の手でそっとこぶに触れた。そこから熱が伝わってきて、その分きっとこぶの方は冷えているのだと思う。そうすることで、
――多少は、役に立つことができているだろうか。
「……一緒に歩けて、デートできて。私は嬉しかったけど、迷惑ならそう言ってくれれば」
そう、すれば。
マリアはゆるく首を振った。せっかく気を失っているのだ。たまには言ってみたい言葉がある。意地っ張りな自分には、面と向かってはきっと言えない言葉がある。
「さっき、庇ってくれて嬉しかったの。ありがとう」
身をかがめて、彼の耳にまるで口付ける距離でささやく。ぴくりと跳ねた身体にあわてて、何事もなかったように身を起こして、そっと反応をうかがう。
「アルベル……?」
ここで泣いたら、嘘泣きでもしたら。彼は起きてくれるだろうか。

◇◆◇◆◇◆

耳元で聞こえた甘い言葉に、都合のいい夢を見るなとアルベルは自嘲した。
――散々情けないところを見せておいて、ぬけぬけと何を都合のいい夢を。
後頭部に熱が集中して、変な汗が出てくる。そこをじわりと冷やす感触が、痛いけれど気持ちいい。ゆっくりと髪を梳く感触が、なんだか懐かしい。
――目を醒ましたら、まず謝ろうと思う。
支えきれなくて、守りきれなくて悪かったと。気恥ずかしさから無視するかたちになって悪かったと。それでもついて来てくれて、それなのにつんけんと反応して多分心細い思いをさせて悪かったと。
――今からでも、アイテムの回収に付き合ってやる、付き合いたいと。
たぶん、思っても無駄なプライドの高さからかけらくらいしか伝えられないだろうけど。それでも、一言で良い、伝えたいと思った。

ところで、この、顔に感じるやわらかい感触はなんなのだろう。
アルベルがやがて目を開けたとき。真っ先に映ったのはマリアの翠だった。

アーリグリフ、雪と氷に閉ざされた極寒の街。けれど自然が寒い分厳しい分、あるいは、
――そんな温もりを与えてくれる、そんな街。

―― End ――
2005/04/14執筆 2005/04/17UP
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