――俺もずいぶん丸くなったもんだ。
アルベルは走りながらひとりごちた。品のないわめき声がまるででたらめな気配が、どこにあるかなど特に探らなくてもすぐに分かる。あまりのお粗末さにやる気が削がれて、ひとつ息を吐くとがりがりと頭を掻いてみた。
そしてすぐそこの角を曲がって、
たたずんでいた長身の女に思わず舌打ちをする。

―― 喝叫 [やんのかコラ]

聖王国シーハーツ首都シランド。聖王都の名に恥じない格調高い街の中は、その日、まるで似合わない怒声やら罵声やらわめき声やらでかき乱されていた。
「女! 今ここに逃げてきたやつぁいねえか!?」
そうして街を騒がしくしているひとりに違いないだみ声に、けれど彼女は何の反応も見せない。植え込みの前にしゃがみこんで、その元には騒ぎに神経を尖らせた野良猫。ぴくぴくと耳を動かして毛を逆立てているのを、いつものおだやかな笑顔でなだめている。
「女ぁ!! 聞こえねえのか!」
「……騒がしいですね」
つかつかと歩み寄ったちんぴらが彼女の肩を掴む直前、自然な動きで立ち上がる。特に避ける動きを取ったわけでもないのに、タイミングを外されてその手は空を掴んだ。
スカったその手を思わずまじまじと見つめるちんぴらの脇を、とうとう野良猫が逃げていって。彼女は呆れた息を吐く。
「せっかくなつきかけていたのに……」
「関係ねえよ! で、女――」
「知りませんよ」
話の腰を折ってきっぱりと言い切る涼やかな声。そのまま彼女は、逃げた野良猫のあとを追ってちんぴらの脇を通り過ぎようとする。
見た目だけでも十分短気だと分かるちんぴらが、かあっと頭に血を上らせた。無視するなとばかりに、すぐそこにある肩を、あるいは襟元あたりを掴み上げようとする。それを。
その呼吸を読んだ彼女は、再び振り返る、ただそれだけで止めてのける。
「大体、探している人の特徴も言わずに答えさせようという方が無茶でしょう」
「……き、貴様ぁ……!」
笑みさえ含んだ、なだめるような落ち着いた声。粗野な言動に雰囲気に怯えなどまったく感じていない、むしろどうということのないものに相対するような、ごく自然な反応。
馬鹿にされたことだけはどうやら敏感に感じ取ったらしいちんぴらの顔が、一拍置いてから怒りでどす黒く染まった。もともとお世辞にも整ったといえなかった顔がさらに不細工に歪んで、今度こそ力任せに掴みかかってこようとして、
「――何してるんだ。ヤツは見つかったのか?」
「あ、兄貴! いや、ちょいとこの馬鹿女を、」
「…………、……っ!!
馬鹿はてめえだ! 相手見てから喧嘩売れそんなんだからいつまで経っても三下なんだよ!!」
今度やってきたのは、仕立てだけはそこそこ高級っぽいスーツを何とか着こなしている――ような気がする男。それなりの顔もあって一見インテリに見えなくもないものの、服以前に纏った雰囲気はちんぴらと大差ない。
ちんぴらの声で彼女に目を向けて、すぐに顔色を変えて声を荒げた。ちんぴらにひととおり説教をたれてから彼女に向き直ると、猫なで声によく似た声を向ける。
「訊ねたいんだが。ここに、キバツつーかヒワイつーかハレンチつーか、そんな格好した男が来たりしなかったか?」
「いいえ」
「そうか、……邪魔したな」
あっさりとした否定にこちらもあっさり引き下がると、インテリやくざはちんぴらを連れて去って行った。いたか、いやこっちにはいなかった、ちっ逃げ足速いヤツだな結局売れてるのは名前だけか、などといった会話と気配が遠さがっていく。

あとに残されたかたちの彼女は、ひょい、と肩をすくめた。
「もてますね、アルベルさん」
「……るせえ……」
蒼い目が向いた先。植え込みの影に、まるではまり込むような格好でしゃがみこんでいる「奇抜」で「卑猥」で「破廉恥」な格好をした男。
先ほど角を曲がって顔を合わせたとたん、ミラージュに突き飛ばされて。不覚にもバランスを崩して、持ち直すまもなくちんぴらが追いついて。そこに隠れる羽目に陥ったアルベルは、低い声でうなるとゆっくりと起き上がった。
「――一体何が起きているんです?」
「予想付いてるくせに訊いてくんじゃねえよ阿呆」
面倒臭そうに息を吐いたアルベルは、すねたようにそっぽを向いている。
ミラージュがああいった言動でちんぴらの目をごまかさなければ、すぐにばれて、あるいは追いついて面倒になっていたことはどうやら分かっているらしいものの。無駄に高いプライドが、礼を言わせる気にさせないらしい。

◇◆◇◆◇◆

しばらくは誰も来ないだろうと判断して。一度は立ち上がったものの、アルベルはすぐに駆け出せる格好で腰を落ち着け直した。そんな彼を目で追うミラージュの元に、先ほど逃げ出した野良猫とさらに別の猫が、二匹で連れ立って近寄ってくる。
「……なんだそりゃ」
警戒しているわりにものいいたげな顔をする猫たちに目を止めて、アルベルが小さく鼻を鳴らす。ふと見下ろしたミラージュが、ふわりと目元を緩める。
「この街に来るたびに、暇つぶしに餌付けしているんです。なまじの飼い猫よりも、野良猫の方が手懐けがいがありますよ」
――なんだか「餌付け」もしくは「手懐ける」が、ミラージュに言わせると「調教」めいた単語に聞こえる。
アルベルはミラージュに気付かれないように――あるいは気付かれていることをうすうす察しながら、こっそりと息を吐いた。
はじめて顔を合わせた当初から。別に特に威圧してくるわけでもないはずのこの年上の女が、アルベルは苦手だった。付き合いが長くなって人となりを知るにつれて、古い馴染みとかいう筋肉男はおろか青髪のパーティリーダーすらこの女に逆らえないことを身をもって知るにつれて。どんどん苦手意識は大きくなっていた。
ろくに話をしたこともないはずなのに、今では同じ場所にいるだけで何だか息が詰まる。
「「歪のアルベル」を倒して名を上げようと、裏社会の人間が同盟でも結んだんですか?」
「そんなとこだろうな」
……だから。
苦手だということに意識が集中していて、カマをかけるような確認するような質問に、アルベルはうっかりうなずいていた。
「……阿呆にもほどがある。相手する気にもなれねえから、適当にまいてるが。
俺も丸くなったよな、ぶち殺せば手っ取り早いくせに」
そしてあまつさえ、補足説明なのか愚痴なのか分からないことまで吐き出してしまう。
吐き出したところで我に返ってあわててミラージュに目を向ければ、どこから取り出したのか煮干などを野良猫二匹に与えている彼女は、いつものようにおだやかな微笑を浮かべていた。

◇◆◇◆◇◆

「――あの人たちの縄張りはペターニ周辺ですよね?」
明日の天気の話でもするような、そんな声。一度肯定してしまったアルベルは、悔しそうに、しかしもう開き直ることにしてうなずいた。餌は食べるものの触れさせない野良猫の相手をするミラージュは、そのままの調子で、
「ああいった人たちがこの街に来て、大丈夫なんですか?」
「良いわけねえだろうが」
きっとすべて見ていて、彼が把握している以上のことを知っているくせに。わざと知らないふりをして彼の口から言わせようという魂胆が気に食わない。気に食わないものの、結局は彼もミラージュに逆らえずに、しぶしぶと続ける。
「ここは王都で、王の膝元だ。さっきクリムゾンブレイド自ら血相変えて走り回ってたしな。ヤクザなんぞ、ほっといても良いことなんかあるはずがねえ。適当に理由でっち上げて、拘束逗留でもする腹づもりだろ」
「――そうなることを、下はともかく上部の人間なら予測するはずですよね? 分かっていてあなたにちょっかいをかけてきた、ということは……」
細いあごに指を当てて、まるで生徒に問題を出す教師のような、あるいはとっておきの悪戯の計画を打ち明ける悪ガキのような笑みで、
「何か切り札でも見付けたんでしょうか」
「へえ」
新しく来た方の一匹はある程度慣れているらしく、あごから離した指でその喉をくすぐりながらミラージュが低く笑った。冷静な視野と論理、何より物騒な笑い声に。鉄爪の調子を見るようにわきわきと左手を動かすアルベルは口笛を吹く。
――さすが、あの筋肉男の相棒にして、青髪の参謀女の育ての親の片方だけある。腕っ節は普段の戦闘で把握できてはいたものの、権謀術数にも強いとは知らなかった。
敵に回したならこれ以上にないほど厄介だろうが、味方に、副官についたならその分心強いことこの上ない。

「切り札――武器か兵器か、用心棒か。……面白い時間つぶしになりそうですね」
「……てめえも戦うつもりか?」
最後の煮干を野良猫がさらっていって、結局触れさせなかったその猫の後ろ姿に、次回こそはと心に誓って。
「騒がしいことは嫌いじゃないんです。さすがに時々は静かであってほしいですけど」
ゆらりと立ち上がったアルベルの二歩後ろに、さりげなく警戒しながらミラージュが付いた。
見守る背中は細いけれど、その分鋭い強さで迷いなくまっすぐ前を見ている。
「メインディッシュに手を付けるつもりはありませんから、好きに暴れてください。私は露払いの方が性に合っていますし」
「よく言う」
テンポの良い会話に、打てば響くような返答に。相棒とはまた違う、見ていて飽きない仕草その他に。ミラージュがにこりと微笑めば、それが分かったように振り返った紅がひどく物騒に細くなった。
――苦手意識は抱かれているものの、嫌われてはいないらしい。
ミラージュは軽くつま先で地を蹴ると、肩幅より少し広いくらいに脚を開く。戦闘時特有の、体温の上昇と鳥肌の立つざわめきを心地いいと思う。

「バレバレなんだよ。もったいぶってないでとっととかかってきやがれ!!」
二人の視線の先、塀の向こうの影が。ひどく不自然に揺らめいた。

―― End ――
2005/03/10UP
やんのかコラ / 創作者に15のお題_so3CP混合_
OFP
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喝叫 [やんのかコラ]
[最終修正 - 2024/06/14-15:26]