それはきっとさりげないもので、
それはきっと何気ないもので、
それはけれど――大切なモノで。
今となってはもうなくてはならないもの。

―― 指環 [結婚指輪]

思い返してみても、「それ」に何か特別な意味はこめていなかったと思う。

◇◆◇◆◇◆

戦争が終わって闘いが終わって、久々に戻った自国に待ちかまえていたのは。いつまで経っても口うるさい上に頭が上がらない上司および育て親と、冗談にしかならないような「とんでもない」という単語すらかすむほどの膨大な量の仕事だった。

……いっそ帰らないで、そのまま旅にでも出た方が良かったかもしれない。
そんなことをしみじみ思いながら。「彼の家」ことカルサア修練場団長執務室で、不機嫌全開で力に任せて仕事を消化していた軍団長の元に。
ある日彼の仕える君主から書簡が届いた。
曰く、
『がんばっているか。
仕事はこれで全部ではない、だからってそこにこもろうとしても無駄だからな。とりあえず一回こちらに顔見せに来い。これ以降いちいち呼び出すのも面倒だから、アーリグリフに部屋を用意してやった。ありがたく使うがいい。
ちなみに、先の戦争関連の褒美も兼ねている』
書簡というよりは激務の間を縫っての走り書きメモは、つまるところアーリグリフに引っ越せという命令で、
「…………ちっ」
……舌打ち一つでしぶしぶ納得したあたり、「歪のアルベル」は信じられないほど丸くなった。
びくびくしながら手紙を渡した、貧乏籤を引いた下級兵士はそんなことをしみじみ思う。
……ひょっとしたら人手不足もあるとして、むしろ栄転ってやつかもしれない。おめでとうございます団長これでオレたちもうちょっと羽伸ばせます。
そんなことをのん気に考えた彼の素顔は、漆黒デフォルトの分厚い鎧兜に包まれていたから団長には見えていなかったはずだ。
なのに、
「笑ってんじゃねえクソ虫がっ!!」
怒られた。

◇◆◇◆◇◆

「それでぽんと屋敷ひとつくれるあたり、アーリグリフ王も気前がいいじゃないか」
「阿呆、裏があるに決まってるじゃねえか。ここの元持ち主は現在牢にいるからな、家ひとつ無駄に遊ばせるよりも、人住まわせて維持させようって魂胆が丸見えなんだよ」
「それはそれで抜け目のない話だねえ」
引越しととりあえずは緊急の仕事をやっつけるのとでばたばたしたのが、なんとか落ち着いたタイミングを見計らったように。シーハーツから親書を届けに来たクリムゾンブレイドの片割れは、連れ込まれた彼の別宅でのん気な笑い声を上げた。
戦争状態から回復したとはいえ、シーハーツの隠密頭の女のことだから。そういった裏事情には、むしろ一軍団長よりも詳しいのかもしれない。
――まあいい。
屋敷主人は思考を切り替える。
「とにかく、根城ができりゃそれはそれで使い道もある」
「使い道、ね……あのさ、それってこういう使い方ってことかい?」
「あ?」
小ぢんまりとした、けれど実はこっそりかなりの大金がかかっている屋敷の応接間で。身体の埋まりそうなほどやわらかなソファに押し倒されていた女隠密は、浮かべていた微笑――あるいは苦笑を消すと、ひどく冷たい目でアルベルを見上げた。
のしかかってくる彼を、ぞわりと不吉な殺気を込めた目でにらむ。
にらまれた方は、しかし逆ににたりと笑った。
「文句あるのか阿呆」
「あるに決まってんじゃないか! 親書届けるなんて単なるお使いにあたしが動くわけないだろう!! これから会議があるんだよ、無駄なことしてる暇はないんだどきな!」
「無駄だと……、」
「ガキじゃあるまいし、がっつくなってんだよ!!
――ちなみにあたしの今夜の宿はまだ決まってない」
「……、」
怒鳴り声から一転、静かな声に。浮かべた笑みを思わず消した彼へ、数ヶ月ぶりに逢った彼の「恋人」は、血生臭いからこそひどく妖艶な笑みを向けた。
「――せっかくだ、アーリグリフ高級軍人の屋敷間取りでも覚えて帰ろうかね」
「てめ、」
言うだけ言って、呼吸を読んで隙をついて、するりと彼の腕から逃げると。しなやかな身のこなしであっさり入口ドアに向かう。振り返りもしないでひらひらと手だけが振られる。
「じゃあ、あとでね」
「…………っ!」
久々に触れた赤毛がいなくなって。ペースを崩されて、なんだかものすごく悔しい。

◇◆◇◆◇◆

「アルベル様」
「……なんだ」
引越しの準備中、とりあえずざっと荷物を整理させている時に。父の代からノックス家に仕えている執事が、いくつかの小物を抱えて彼の元へやってきた。
「これらはいかがいたしましょう」
「……あ?」
「先ほど荷物を整理している時に見つけました。こちらなどは奥様から、」
「ああ。……そうだな」
そういえば、ずっと昔に母親が身に着けていたかもしれないと。ぼんやりと思いながらうちひとつをつまみ上げて、思案することすら面倒臭くなって、彼はふいっと視線をそらした。
「任せる。適当にしておけ」
「は」
根っから軍人の彼は日常生活に興味がない。戦いの役に立たない小物など、彼にとってはまるでどうでもいいモノでしかない。管理する人間が他にいるなら、彼が口出しすることなどひとつもないと思う。
だからそれらの小物がどうなろうとまるで興味がなくて。
そういえばつまみ上げたそれを、いつの間にか握り締めていたことに。
――彼は少し経ってから気が付いた。
先ほどの執事は片付けのため当然姿を消していて、今さら呼び戻すのも馬鹿らしい。急ぐ用ではないし。手に残ったこれは、別にかさばるものでもないし。
――あとでいいか。
適当に服の隠しにつっこむと。彼はすぐさまその存在を忘れた。

◇◆◇◆◇◆

「……あ、んた……、いつも思うけど、何でそう……切羽詰まってるのさ……?」
「あ?」
夜。一戦やらかしたあとで、息も絶え絶えに言われて。まるきり自覚がない指摘に、アルベルは顔をしかめた。不快だったわけではなく懸命に考えようとして、けれど何一つ残らなかったので、
「……別に」
ぷい、とよそを向く。
子供っぽい仕草に、ようやく整ってきた息でネルが小さく笑う。
「焦らなくても、時間はあるさ。あたしは消えたりしない」
「だから、何も考えてねえよ」
「どうだか」
仕方がないやつだね、とでも言うように息を吐いて。ベッドから降りると、乱雑に脱ぎ捨てられた服を拾ってたたんでいる。
――几帳面なやつだ。
しなやかな背中が細く脆く、夜闇に溶けそうだと思うアルベルに。手の届くところにいろと思わず声を上げたくなったアルベルに。
不意にきょとんとした顔が振り返る。
「……ねえ」
「なんだ」
「何か入ってるんだけど」
言われても何も思い当たらなくて、むっと眉を寄せる彼を見て。苦笑したネルがその服の隠しから取り出したもの。ちらりと目にすれば、比較的新しい記憶が呼び覚まされる。
……ああ、たしか。数日前の引越しの時に、
「これ……」
「やる。好きにしろ――いらんなら返せ」
ぞんざいに言い放って、それよりこっちに来いと手招きすれば。それをてのひらに乗せたネルが瞬いて、瞬きながら素直に近付いてきて、
「……指環?」
「他の何に見えるんだ阿呆」
――彼の母が、昔身に着けていたもの。何のきっかけだったか、彼にくれたもの。
「あたしがもらって、いいのかい?」
「そう言っただろうが」
だから。
それやるから、てめえをよこせ。
ひたすらそれを気にする彼女を、ベッドに縫いとめる。覆いかぶさる。

――ぬくもりがこの腕にあることが、なんだか嬉しくて、

◇◆◇◆◇◆

けれどどれほど思い返してみても、「それ」に何か特別な意味はこめていなかったと思う。

◇◆◇◆◇◆

それからしばらく経って。
この間の逆に、アルベルがシーハーツまでアーリグリフ王の親書を届けに行ったとき。それこそ親書はあくまでついでで、軍団長として会議に出席することさえもののついでで、
彼にとっての一番の目当て、赤毛の女隠密の部屋に押しかけたとき。
彼女の手には何も装飾品はなかった。
――けれどたかが指環ひとつ、どうしたと訊ねるのは器の小ささを宣言するような気がした。だからそんなものの存在は忘れることにした。

気が付いたのは、一戦やらかしたあとだった。息を弾ませる瑞々しい肌の上に、見慣れない、見覚えのない、しかしどこかで見たようなものが揺れていて、
「……それ、この前のアレか?」
「ああ、うん。そうだよ」
――普通に身に着けたかったけどさ、さすがに。悪いね。
やる気のない問いかけに対する、その照れたような申しわけないような笑みに。それ以上は何も言えなくなった。

――覚悟を、決めるときかもしれなかった。

―― End ――
2005/05/21UP
結婚指輪 / 結婚で5のお題_so3CP混合_
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指環 [結婚指輪]
[最終修正 - 2024/06/14-15:35]