無茶でも無謀でも、目的さえあるならどうにかできる。
それが「誰か」のためならやる気に際限はなくて。
その「誰か」が「大切」で「特別」なら言うことはなくて。
そのためにがんばることは、きっととても「幸せ」。
大鍋はそのまま放っておいて、先ほど手にした小鍋を別の火口にかける。最初に計っておいた、レシピの分量どおりの小麦粉とバターを入れる。いつの間にか湿った小麦粉が、室温に火のそばにだいぶ溶けたバターが、器にはり付いていることにいちいち腹を立てる。
格闘しているうちに、鍋に入れた大方のバターが完全に溶けて小麦粉に吸われてべたべたと変な感じに煮立ちはじめた。少しがへばりついている器は諦めて、こっちまでいかにも焦げそうな鍋をがむしゃらにかき混ぜる。小麦粉の小さなカタマリが、なかなかほぐれない。
――ホワイトソースを作る時には、ダマにならないように焦げないように注意すること。
そんな注意書きがレシピにはあった。しかし注意していてもできるものはできる、なるものはなる。何をどうすればそれが防げるか、アルベルには分からない。
――ああ、こっちも失敗か。
なんだか情けない感じに香ばしくダマダマの物体。いい加減げんなりしてきたのに、逃げない自分がいっそ間抜けだと思う。
――これは「お願い」だから。叶えてくれなくても良いけど。
照れくさいからと何も言わなかったアルベルを、今だって何も言わないアルベルを、やわらかく責める声。自覚している以上に自責の気持ちがあったのかと、彼自身はじめて気が付いた気持ち。
――具体的な誓いを、証を欲しがっているのか。
そう訊ねたら、間髪入れずに首を振るだろう。マリアはそういう女だ。
――いらない、そんなものいらない。そんなモノで、あなたを縛りつけようとする私自身は嫌い。
首を振って、マリアはきっとそう言うだろう。マリアはそういう女だ。
どこまでも脆く儚く、それなのに誰よりも強いと錯覚させるほど、ありえないほどに誇り高い女。だからこそこんなにも心奪われた、そばにいたいと思った。そばにいてやりたい、幸せにしてやりたいと。彼女の今までの居場所から、アルベルが奪ってきた。
――口にできたら。この想いを、この願いを。偽りではないこの心を、何にでも良い、誓ってみせることができるだけ、素直になれたなら。
思っても、言葉が出てこない。出てきたのは、
「好きにすればいい」
どこまでもひねくれた、駄々をこねる子供のような言葉。
「お前が俺に気後れする必要なんざねえだろうが。俺が何言ったところで、どうせてめえは聞かねえだろうが」
いかにも不機嫌な声、吐き捨てるような言葉。
「やりたいことがあるなら好きにすりゃいい」
――束縛したいのに、できるなら誰にも見えない場所に閉じ込めてしまいたいのに。いくら自分が仕える相手とはいえ、自分以外の男を、マリアのそばに近付けたくなんかないくせに。
――マリアが本当に欲しがっている言葉を、何一つ与えることができない臆病者。
皮肉に自虐に、アルベルの口元が引きつって持ち上がる。凶悪な笑みを浮かべて、いかにも不機嫌そうにマリアを見つめる目は、きっとぎらぎらと怒りの色を浮かべている。
「ついでだ、何か望みがあるなら言ってみろ」
――ほしいものがあるなら、いつだって頼ってほしいと思っているくせに。
そういうアルベルの内面に、まるで気付いていないように。気付いていながら完璧にそれを押し殺しているように。
「……そうね、それなら――」
ふっと、喧嘩を売るような挑戦的な笑みがマリアの口元に浮かぶ。不敵な笑みをマリアが浮かべて、いっそ悔しいほどそれは見事で、
何か違う物体になったものに、諦めの局地の気分で牛乳を入れた。勢い良く入れすぎて鍋からあふれて、火口まわりに落ちるとむっとするほど小気味のいい音を上げてあっという間に蒸発した。
鍋の中身は、いっそ指差して笑いたいくらいダマというか大きなカタマリがぷかぷかと浮いている。大きなカタマリには小麦のダマがぶつぶつなっていて、じっと見ているといっそ気持ちが悪い。
とにかく小鍋を火から下ろした。大鍋に目をやって、どうしてやろうと思う。
「……アルベルの手料理が食べたい」
「あァ!?」
「あら、無理なら別にいいけど」
「――やってやろうじゃねえか」
脈絡のないマリアの言葉に、そのあとの馬鹿にした笑みに。売り言葉に買い言葉、うなずいてからアルベルは自分の阿呆さ加減に自分をブチ殺したくなった。多分すべて計算ずくのマリアは、ここにきていきなり愛らしい笑みを浮かべる。
アルベルの心臓がはねた。
「楽しみにしてるわ」
「……フン」
言葉こそいつもどおり無闇に偉そうな、表情だけ見るなら嬉しそうな幸せそうな笑みに。アルベルのやる気が俄然刺激される。
放っておいた大鍋は。何だか良く分からないもやもやが、水面に浮かんできた野菜たちにべたべたと景気よくはり付いていた。元から焦げていたこともあって、いかにも不味そうだ。失敗だと見限っていたとはいえ、これはあまりに哀しすぎる。
「…………」
どうしよう、とにらめっこしていた時間はどのくらいだろう。決して短くなかったと思う。
思っているうちに水位はどんどん減ってきて、なんだか危険な茶色になりはじめてにおいも、
「……」
見なかったことにして、これも事前に計っておいた塩を入れた。相も変わらず器に張り付いていた分を無理矢理大体鍋に入れて、おたまでかき混ぜる。
なんだか予想していなかったことのオンパレードだ。
なぜこんな手ごたえになるのだろう、と思いながら。小鍋の中身をでろりとたらす。力いっぱいかき混ぜる。ダマのあるダマがさらにダマになって、今この瞬間にこの部屋に星の船が攻撃をしかけてこないかと何となく期待してみる。
無駄なこの期待は、きっと現実逃避と呼ばれるものだろう。
――なんでこうなるんだ。
ここで味見をするように、とレシピにはあったけれど。よく分からないこの物体を味見しようだなんて、とてもではないが思うわけがない。そんな勇気は空破斬で遠くから完膚なきまでに粉々に砕きたい。
ここでもしばらく悩んで、火を落とした。
――ダメだ。やっぱりどう足掻いてもダメだ。
――まともな食事を用意させよう、今からであり合わせのものしかできなくても、コレを下回るものなんかこの世界にあるわけがない。
――それが無理ならどこぞに食べに行くべきだ。腹下すどころか、これ食ったらまず死ぬ。
「ただいまー」
そんなところに、まるでタイミングを見計らっていたように。初出勤を終えたマリアが帰ってきて、十分以上に時間を取っていたのになぜこんなに時間が経っているのだと。アルベルはわめき散らしたくなる。
「「ただいま」って言えるっていいわね」
「……食いに出るぞ」
「どうして? 何かいいにおいがするけど」
雪で髪やら服やらを湿らせたマリアが、ひょっこりキッチンに顔を出した。あわてて追い返そうとするアルベルをきれいに無視して、流しにたまった洗いものやら存在を主張している大鍋やらに嬉しそうに笑う。
「アルベルが作ってくれたんでしょう? 誰の手も借りずにひとりで。食べたいわ」
その笑顔できらきらと見上げられれば、マリアにめろめろのアルベルが断りきれるはずがない。ぶちぶち文句を言いながら、食ったら倒れると散々警告というか言いわけしながら、いかにも慣れない手つきで皿に――最初に準備していた皿はそういえばすでに使ってあったので、別の一回り小さな深皿に盛る。なるべく良さそうなところをと思ったのに、最後のあたりに乱暴にかき混ぜていたせいで、それすら叶わなくて。
なんだか泣きたくなった。
別の部屋でもたもたとテーブルセットをしていたマリアに、一口だけだ、それすんだら口直しに出るぞと最後までぐずって。
持ってきた皿を並べる。製作者の責任をと、自分の分も並べる。
向かい合って座って、
――どう見てもおどろおどろしい失敗作をにこにこと眺めて、いただきますとスプーンを手にするマリアにアルベルは情けない顔になる。
まず俺が食べる、と宣言した。宣言した手前引き下がることもできずに、恐る恐る皿にスプーンをひたした。ほんの少しすくった。全身が拒否するのを無理矢理押さえ込んで、なんとかそのスプーンを口元まで運んだ。
目をぎゅっと閉じると、覚悟を決めて突っ込む。
――不味かった。
なんというか……一応食べることはできる。あの闘いの最中、悪乗りしたパーティメンバーが言い出したゲームの「罰ゲーム」の時に食わされた物体程度には。
しかし。
のったりしたなんともいえない口当たり、全体的にきつい塩気、野菜特有のくささと、肉独特の生臭さ、舌の痺れる変なすっぱさ、バターのべたべたした感触、口にしつこく残る焦げ臭さと苦さ。具をつついてみれば、煮えすぎて溶けかけたものからいまだ生煮えのものまで。ダマが時おり浮かんでいて、口にすればただ粉っぽいだけ。それぞれの食材が各自自己主張していて、味に統一感もない割に際立った特色もない。
一言なら、
「不味い……食うな。うなされるぞ」
これ以上ないほどに渋面になったアルベルに、くすくす笑うマリアはいいえと拒否した。ごく自然な優雅さでスプーンを口にはこんで、けれどにこりと笑う。
「死ぬほど不味いだろうが」
「そうかしら? まあどんなにお世辞言おうにも、実際に「美味しい」とは言えないけど。
でも、アルベル。……私には、このシチュー、すごく嬉しいの」
喜んでいるのは、表情をみれば雰囲気を見ればすぐに分かる。けれど、不味いだけのカップを前に、マリアはやっぱりにこにこと笑っている。
花のほころびそうな、とろける笑顔を浮かべている。
「だって、アルベルが作ってくれたんだもの、私のために作ってくれたんだもの。心が、なんだか伝わってくるの」
目が潤んで頬を染めて、その顔はひどく愛らしくて、
だから思わず言った。
「次」を見ていろと言った。
「次」がダメなら「その次」を。
――見ていろ、と。
プロポーズの言葉も、アクセサリなどの交換も、誓いの儀式も何もなかった二人は。そんな子供じみた約束を交わして。
「楽しみにしているわね、旦那さま?」
「……ああ」
他の人間の目からではなく、はじめて二人、その言葉を意識して。
照れたように顔を見合わせると。
いつになく穏やかに、
――……笑い合った。
