降り続く白い雪が、降り積もった真っ白い雪が。
どこかの光を反射して、まるで輝いているようだった。
それがなくても雪それ単体で。
――まるで光っているようだと、そう思った。
「おい、なにしてやがるてめえ」
「……アルベル」
とうに灯の消えた廊下、薄い部屋着に申しわけ程度の上着を羽織っただけの青い髪の女が振り向いた。窓から外でも見ていたのか、光の加減に闇の中、彼女の顔がアルベルの目にまるで浮かんで映る。
ほっそりとした彼女の肢体とあいまって、それはなんだか幻のように見える。……むしろ、幻のようにしか見えない。
その美しすぎる幻影が、けれどけれど、ひどく不快で。
眉を寄せた彼に、彼女は。
それこそ幻のように、淡く儚く微笑んだ。
一年中どこをとっても雪の中に閉じ込められている街、アーリグリフ。今の季節がいつなのか、この国の将のアルベルさえ、この地を離れてしばらく経ってしまえば思い出せない、そんな街。
ただ、いつだって気を抜けば凍り付きそうに寒い、それだけは確かで。
たとえ屋内だろうと、油断すれば凍死してもおかしくない、それは確かで。
「……何してる、と訊いたんだ」
無性に腹が立った、その気持ちのままに。まるで唸るように低く声を絞り出せば、彼女は青い髪をさらさら揺らしてさらに笑う。
口もと、だけで。
そんなことにさらに腹を立ててずかずか歩いて、間近い距離からむっとにらむように見下ろすアルベルに。マリアは顔を上向けて、それがふっと目を伏せて。
「――別に、外を見ていただけよ。特に月や星が出ているように見えないのに、なんだか明るかったから。それが不思議に思えただけ」
言われて思わず窓を見やれば、確かに明るかった。月や星や街灯や、そういった光源が近くにあってそれを反射しているわけでもないだろうけれど、確かに彼女の言葉どおり外から光が入ってくる。
淡い光が、アルベルを、マリアを淡く照らしている。そうして青い影をまとった彼女が、ね? と小首を傾げて微笑む。
「……別に珍しくもなんともねえだろうが」
「キミにはそうかもしれないけど。私には、十分珍しいわよ」
言われて、きっぱり言われてそういうものなのかと思う。
思ってから、そうやって思わず丸め込まれてかけてから。いや違う、そうじゃないと首を振る。
「はぐらかすな。そんな格好でこんな時間に、何考えてんだこの阿呆!!」
それほど大きな声ではなかったけれど、至近距離で鋭く噛み付かれて。思わずマリアは身をすくませた。
見上げればいつもの皮肉いっぱいの真紅とは違う、怒りの中に心配を浮かべた深紅があって。きっと本人は自覚していないのだろうその心が、まっすぐ自分に、きっと自分だけに向けられている。それが素直に嬉しい。嬉しいと同時に、嬉しいと喜んでいることを知られればきっと離れていってしまうだろう難しいこの男が、やはりどうしても愛しい。
そんなことを考えるマリアが読めない彼は、ぼんやりする彼女にさらに怒ったのか。
いつもどおりの乱暴な動きで、その腕が伸びてくる。
「このままこの場で突っ立ったまま凍死したいのか」
「……そんなわけないじゃない。私は死ねないのよ。せめてこの旅が終るまでは、」
「阿呆!!」
二の腕をつかまれて、言いかけた言葉は途中で遮られて。また一つ怒鳴りつけられた。
――怒っている、それは確かなのに。
つかまれた腕は、腕をつかむ力は。それなのにやけにやさしくて切ないくらいにやさしくて。
マリアには光源の分からない窓からの光に照らされた男は、きれいだと思う。
姿かたちが整っている、だけではなく。まっすぐなその心が、考え方が、生きざまがきれいだとマリアは思う。
本人は、他者の血で真っ赤に染まったその手を、過去の罪の証だという火傷の痕を、自分を、自分の愚かさを醜さを嫌っているらしいけれど。そうして自分を嫌っているところも、その理由もすべて含めて。
アルベルは、きれいだと思う。
マリアは純粋にそう思う。
そんなアルベルが今こうして怒っているのは、この寒い中、薄着でふらふら出歩いたからだろう。
夜中にふっと目が醒めて、目が醒めたらもう寝付けなくて。だからそのままも考えずにベッドを抜け出したマリアを怒っているのだろう。上着を一枚はおっているものの、それで寒さがしのげるわけがないことを。誰よりもこの国にこの街に詳しいアルベルはきっと身に染みて分かっているから。
風邪を引くかもしれない、最悪本当に彼の言葉どおり、誇張なしで凍死するかもしれない。
それを誰よりも分かっているからこそ、怒ってくれるのだろう。それだけ心配してくれているのだろう。
「……ありがとう」
「何がだ……!?」
つかんだ腕は細かった。細くて、信じられないほどに、血まで凍り付いているのではと思ってしまうほどに、冷たかった。握りつぶすことも簡単そうな、その脆い腕をつかんだ彼に。マリアがただ、微笑んでいる。
アルベルにはまるで分からない。なぜここにそんな言葉が出てくるのか。
ただ、マリアの浮かべている笑みが先ほどまでの無機質なものと違って見えて。幻に見えたあの儚い笑顔とは違って見えて。今ここに、確かに生きてマリアがいる、それが実感できる笑みになんだか心が騒いで。
細い腕を、その脆い身体ごと、引き寄せていた。いきなりのそれによろめいたマリアが倒れ込んできたのを、ただ黙って抱きしめていた。
これだけの薄着でどれだけこの寒い廊下にいたのか、その身体は冷え切っていて。
それでもその脆く儚い身体の下に、力を込めて抱きしめれば確かに脈打っていることを感じて。
「アルベル……もうちょっと力抜いて。痛いわ」
「うるせえ、阿呆」
離せ、といわないマリアが、アルベルの心をかき乱す。
こうして抱きしめていれば見えないけれど、きっと浮かべているだろう「生身」のマリアの笑みが、アルベルの心をかき乱す。
いつまでも落ち着かない、ざわめく心に舌打ちをしてふっと窓の向こうに目を向ければ。
降り続く白い雪が、降り積もった真っ白い雪が。
どこかの光を反射して、まるで輝いているようだった。
それがなくても雪それ単体で。
――まるで光っているようだと、そう思った。
