白の中のあなたは、
白に、けれどとても鮮やかで。
「ネルさん! ああ、こんなところにいたんですか」
「ああフェイトか。悪いね、つい夢中になっちゃって。今何時だい?
……て、何だいそれは」
工房に気付けばたった一人、腕輪の仕上げをしていたネルはドアを開く音、聞こえた声に作業を続けながら返事をした。どうにも仕上がりが気に食わなくて、けれどキリがついたことにして振り向いて、その先、工房に入ってきた人影にびっくりする。
入ってきた人影はきょとんとして、あわてたように駆け寄ってくる彼女をただ眺めていた。
シーハーツとアーリグリフの国境にほど近い、鉱山の町カルサア。その南の方の工房にて。
多分単なるタイミングなのだろうけれど、クリエイターたちが全員姿が見えない。そんな空白の時間に。
フェイトがゆっくり瞬いて、男性の割に長いまつげがやけに際立って見えた。きょとんとしたままゆっくり首をかしげて、ネルはそんな青い髪に手を伸ばす。
「え? 何かありましたか、ネルさん??」
「何か、って……頭のこれ……雪、かい?」
「ああ、はい。そうですよ。さすがにホコリっぽい町だし、雪もなんだかちょっと汚れていますね」
何を呑気なことを、と言おうとして、ここでようやくネルは目の前の青年がこの国というかこの大陸のこと全般に疎いことを思い出した。情報が常識として染み付いている彼女にはあわてることも、知らないフェイトにとってはきっと大したことではないのだと気が付いた。
思い出して、気が付いて。とにかく落ち着こうとひとつ息を吸って、あたたかい、まではいかないものの少なくとも寒くはない工房内に。早くもとけはじめたそれをてのひらに受ける。
「雪、降っているのかい?」
「はい、……しばらく前からかな。アーリグリフあたりとさすがに違うから、積もらない種類の雪だと思いますけど。今、けっこう外、白くなっていますよ」
――ああ、ネルさんはひょっとして雪の積もる地方に住んだことないんですか?
無邪気に訊ねてくるのに、ばか、と返す。
またきっと分からなくて、さらにきょとんと瞬く彼に。そのころには青い髪に意外としっかりした肩に、薄く積もっていた雪はほとんどとけていて。雪のとけた冷たい水を早くどうにかしなければ、と拭くものを探して工房内をうろつきながら、ネルは肩をすくめた。
「このへん、ていうかこの町より北だね。雪なんて滅多に降らないし、そうそう積もったりしないよ。
あたしは任務でアーリグリフとかに潜伏することもあるから、別にどうってことないけどさ。シーハーツの民のほとんどは、たぶん積もった雪なんて見たことも、想像したことさえないはずさ」
それがネルの、アーリグリフやシーハーツに住む者の常識で。だから驚いた、ただそれだけれど、大袈裟に騒いだ自分が今ごろになってなんだか恥ずかしい。恥ずかしさを隠すように工房内をうろついて、早くしないとフェイトが風邪を引きそうだ、などと少し焦ってみる。
口早に説明して、ほとんど後ろ姿しか見えないけれど、どうやら焦ったことを照れたらしいネルが。
――なんだかかわいい、
ぼんやりフェイトは思った。
完璧に気候が管理された地球ではそれこそ機会がなければ見ることもない雪を、ゆっくり窓の向こうを透かし見る。積もることのない、まるで空中に流れる白い花は。そのはかなさ可憐さは、ひょっとしたら今のネルに抱く印象と、同じものかもしれない。
機会がなければまず見ない雪だけれど、その気があればスキー旅行に行けばすむし、なによりシミュレータで風景を再生することだって可能だから。雪の中で暮らしたことこそないけれど、フェイトにとってのそれは、別に珍しいものでもなくて。
思ったフェイトの視界が、次の瞬間、ばさ、という音と共になんだか遮られて。目を瞬けばそれはタオルで、風邪引く前にささっと拭きな、とネルがいつの間にかすぐそこにいた。
「ええと……ありがとうございます」
「礼には及ばないけど。一体何の用だい? 確かにかなり集中していたけどさ、もうすぐ宿に帰るつもりだったよ??」
訊ねられて、フェイトは言葉に詰まる。それほど深い意味があったわけではなくて、ぽっかりと暇な時間ができた瞬間ネルの顔が見たくなったのだ、と素直に説明するにはなんだか気恥ずかしい。
しかもそれを言う勇気が湧く前に、さらにネルがたたみ掛けるように、
「こんな雪の中、積もらないっていってもかなり寒かっただろう? わざわざ探さなくてもさ、」
「――探しちゃ、いけなかったんですか?」
ぶつぶつ言うネルに少しだけすねた気持になって、その気持ちを隠さないまま彼女の言葉を遮れば。いや、そんなことないけどさ、と声があわてた。いつまで経っても動こうとしないフェイトに、あわてた気配のままわしゃわしゃタオルを動かして、それで髪の水気を取ってくれる。
確かに寒くて、雪以前に風が強くて寒くて。それが、少しずつ軽くあたたかくなっていく。
「……声が、聞きたかったんです」
照れ隠しの乱暴な動きを批難することもなく、フェイトが言った。どうしてこれほど焦っているのか自分が分からなくなっていたネルが目を瞬くと、にゅっと伸びてきた彼の手に彼女の手がつかまれる。
反応に困って瞬けば、だいぶ水気がなくなった髪、その向こうにいつものいたずらっ子みたいなフェイトの碧。いつも彼女に見せる、彼女だけにしか見せない笑顔が向けられている。
「声が聞きたくて、姿が見えないって思ったら余計に逢いたくなって。だから、探していたんです」
素直な声、素直な好意。まっすぐに向けられた感情がどうにも恥ずかしくて、思わず逃げ場を探してみたけれど。考えてみたら手がつかまれたままで、逃げようがなかった。自分を立て直そうにも、年下の青年はその隙を許してくれない。
「深い意味はなかったけど、ただ逢いたかった。
……それじゃ、ダメですか?」
「い、いや……別に、良いとか悪いとかじゃ、なくてさ、」
「迷惑、ですか……?」
なんだか恥ずかしくてまともにフェイトの顔が見られなくて。身体が逃げられないなら、せめて視線だけでもよそを見ていようと。
ふっと見えた先に、工房の窓。
――確かに、儚く白い花が外を舞っている。
ネルの目には、ひたすら寒いこの中を。ただ自分だけを探してくれた青年が、その心がなんだか嬉しい。嬉しいけれど、同時に恥ずかしい。
ネルの世界の常識を持っていないフェイトは、彼女には思いもよらないことをしでかしてくれて、思いもよらない言葉を与えてくれて。それは、とても驚かされるし、とても恥ずかしいこともあるし、――とても嬉しくていとおしい、こともある。
冷たくて白い花が舞うこの中を、駆けてきたあなたは。
白の中のあなたは、
白に、――けれどとても鮮やかで。
じわり、ネルの手をつかむフェイトの手に、力がこもっていく。絶対に痛くないように、けれど何があっても逃がさないように。ゆっくりゆっくり、彼女を追い詰める。
ためらってためらって、ためらったあげくネルが一歩、動いた。
彼女の方からフェイトに身を寄せた。
「ばか……」
ほんのかすかなささやき、彼の口元に浮かぶ笑み。
なんてことはない、けれど白い世界に切り取られた空間に。
二人がただ、寄り添い立っている。
