――何一つしてやれないのに、
――何一つ与えることができないのに。
暇だったので武器屋に行こうと思った。宿の入口で女とばったり会って、珍しいね、どこに行くつもりだい? とかなんとか訊ねられてうっかり素直に答えてしまった。
なるほどね、と女はうなずいて、
当然のように彼にくっついてきた。
「……なんだっててめえが付いてくるんだよ!」
「ついでがあるからに決まってるじゃないか。
ていうかそんなに嫌がるなんて、あんたさては武器屋は口実で、本当はよからぬ店にでも行こうとしてたんじゃないだろうね……?」
「阿呆っ」
言われた台詞にかっとなって、それがからかいだと気付いたときには、赤毛の女がそっぽを向いて肩を震わせていた。笑いを隠しているということは、鈍いアルベルの目から見てもばればれで、たぶん彼にばれていることまでしっかり分かってなおこんな笑い方をしている。
気が付いてさらにかっとなりかけたところで、けれどアルベルはぐっと息を呑んだ。
くすくすと漏れる華やかな笑顔に、うっかり魅入ってしまう。
普段とりすましているくせに、この女は笑うと意外と幼い顔になって、そして雰囲気がやわらかくやさしいものになる。
普段がとりすましている分、そのギャップで笑顔はさらに愛らしいものに感じる。
その笑顔が向けられると何だか得をした気持ちになるし、うっかりつられて頬をゆるめそうになる。たとえ自分が笑われていると分かっても彼女が笑ってくれれば嬉しいし、さらに笑わせるために道化を演じても良いとさえ思ってしまう。
それだけの女をそばに置いておけることは誇らしいし、それだけの女がどうやら自分に好意を持っているという事実は、誰かに無闇に自慢したくなるほど嬉しい。
だから、怒るに怒れない。どうしようもなく阿呆な自分にうんざりするのに、怒鳴れない。
「……ちっ」
苦々しくそっぽを向くと、ふと笑いが止まって。まじまじ見上げてくる気配。
「いや、別に怒ってくれてもかまわないけどね?」
「俺は何も言ってねえよ」
吐き捨てても、なぜか気配がやわらかくて。今彼女がどんな表情をしているのか気になるのに、何だか気恥ずかしくてネルの方を向くことができない。
「まったく、素直じゃないねえ」
「何のことだっ!」
全部見透かされているような気がする。そうではないのかもしれない。まっすぐアルベルを見ているのだろうネルと違って、アルベルはネルに横目さえ向けられないから。表情が見えなくて、たとえ見ていても読めない女がさらにさらに分からない。
分からない、余計に分からない。
分からない、この女が一体何を考えているのか。
分からない、最初はとげとげしかった雰囲気がいつやわらかくなったのか。
分からない、興味などまるでなかったのにいつから笑顔ひとつで篭絡されるようになったのか。
分からない、自分が女がいつから変わってしまったのか。
分からない、変わってしまった自分が女がなぜいやではないのか。
分からない、武器屋に行く、という口実ではなくて。もっと別の用で宿を出てくれば良かったと考えている自分が。
分からない、たとえばそのとおり武器屋に行くのではなかったなら、こうして今この女が隣を歩いていてくれたのか。
分からない、何をすればどこに連れて行けばこの女が喜んでくれるのか。
分からない、……本当に今俺は何を考えているんだ?
何一つしてやれないのに、
何一つ与えることができないのに。
何かをしてやりたいと思う心。
何かを与えてやりたいと思う心。
そんなもの、自分が持っているだなんて今まで一度だって考えたことがなかったし、
それはどこまでも事実で、
そして、
これから先もずっと先まで、たとえば死ぬまで、たとえば死んでも、
変わらないと、思っていたのに。
「……ねえ、アルベル?」
「あ、……っ!?」
ぼんやり考えている時に不意に話しかけられて、それが自分の名前だと気が付いて、何だかびっくりして。
思わず呆然と顔を向けたなら、困ったような笑顔が待ちかまえていて、
「別に揶揄じゃないけどさ、あんたにゃ悩むってのは似合わないと思うよ?」
「る、せえ。……ぁ、」
――誰のせいだと思ってやがる。
ぽろっと言いかけて、すんでのところでせき止める。変な風に息を飲んでのどの奥がひりひり痛くなって、アルベルが考えていることや、今ののどの痛みや、焦りや、そんな情けないすべてが全部ネルに見透かされているような感じがして少し気分が悪い。
困っているようなネルの笑顔が、笑顔なのに嬉しくない。
それなのに、
「あのさ、……あたしは今のままで嬉しいよ?」
「…………っ……??」
本当に全部見透かされているのかもしれない、
見透かされた上で、無駄に優しい女のことだから。
思ってもいないことを、言っているのかもしれない。
言ってくれているのかもしれない。
悔しいくらいにひねくれた心がそんな風に思ってしまって、一度でも思ってしまえばその考えを打ち消すことができなくて。
「ちょっとした用事であんたと肩を並べて歩いてさ、冒険の最中みたいにあんなぴりぴりしないで歩いていられてさ、それが嬉しいと思うんだ。たったそれだけであたしはしあわせなんだ。
……信じられないかい?
まったく、困ったやつだねえ」
ネルが笑う。華やかに笑う。
頭がぼうっとなって、ただ視界いっぱいが彼女の笑顔で満たされて、ひねくれた心はまだ何かわめいているのにそれさえよく分からなくなっていく。
――信じられないかい?
唇が動いて。
次の、瞬間、
「…………っ!!??」
「さあ、行くよ! 早くしないと夜になっちまう!!」
ばっ、と、今度はネルの方から顔を背けた。
ただその直前、真っ赤に染まった頬が確かに見えて。
唇に残った感触が、現実なのだと。
思った瞬間アルベルの頭に血が上った。
――いい歳して何をあわてていやがる。
脳みそのスミがそんな風に呆れた声を上げたけれど。
もう何も、考える余裕がない。
