心が、見えたら良いのにと思った。
叶わないことを思って、そして。
何をすれば、せめて想いを伝えられるか。
――そう、真剣に真剣に悩んだ。
「……ねえ、アルベルは何かほしいもの、ある?」
「何だ唐突に」
珍しく、きっと彼にはものすごく珍しく。唐突な問いに、きょとんとした顔が彼女に向いた。他の人にはまず絶対に見せない顔を、自分には見せてくれる。その「特別」が嬉しくて、マリアはふわりと口元をほころばせる。
――微笑んだ彼女に、向けられたアルベルの顔が少し引きつったのはなぜだろう。
――そのまま少し凍りついているのは、なぜだろう?
「アルベル……?」
固まってしまったアルベルに、今度はマリアが先ほどの彼と同じようにきょとんと小首を傾ける。
アーリグリフの牢で二人が出逢って、しばらくが経っていた。その「しばらく」の間に、まるで吸い寄せられるように引き寄せられるように、二人の距離は縮まっていった。
別にどちらが「付き合おう」と言い出したとか、どちらかが愛の告白をしたとか、そういうものでもないけれど。立場の違いやら、マリアは知っているそう遠くないはずの未来に必ず訪れる別れを、双方忘れたわけでもないけれど。
けれど、たとえば町に着いたとき、それはまだもちろん陽が高い間だけ。何をするでもなくひとつの部屋で二人きりで、ただなんとなく一緒に過ごす時間が増えてきた。
今日も、そんな風に過ごしていて。
パーティリーダーは買いだしに出たし、荷物持ちとしてマリアの養父も引っ張られていった。赤毛の女隠密は報告書がどうとかで忙しそうにいなくなっていて、さらには宿屋に彼ら一行以外の客がいたようには見えない。
つまりは、本当に二人きり。
互いが互いにそれを意識しないようにしていたけれど、「意識しないようにする」とはつまり、意識しているということで。
そう思ってしまえばどうしても熱くなる顔を意識しないようにしないように、マリアは再び、目線を落としてみる。かたまって動かないアルベルから、自分の手の中へと目線を落としてみる。
そこにあるのは、
大きさは彼女の大して大きくないてのひらで握りこむことができるくらい。たとえばファンデーションのコンパクトほどの大きさの機械。
それを見たマリアに、うっかりつられるようにアルベルも視線が向く。
「これ、ディプロ……私の艦から持ってきたの。こっちでいう、雑誌――なのかしらね?
他愛もない雑談レベルの情報から、政治経済の記事から、簡単な詩から小説から。……そうね、音楽も入っていたかしら。
そういうものをまとめてあるものなんだけど。
あとは、広告類もたくさんあるのよ」
「……あ……?」
「これ見ているだけでけっこう暇つぶしになるの。世間ではやっているものの傾向も分かるし」
――だから、もしも。もしもこのたくさんの中に、アルベル、あなたのほしいものがあったなら、
続けようとした言葉は、けれど言いだす勇気がないままにふつりと途切れた。無言に耐えられなくて手の中のそれをいじれば、スイッチが入って立体映像が浮かび上がる。
もちろん見慣れないそれに、いぶかしそうだったアルベルの目が自然吸い寄せられるのが分かる。
――この膨大な量の公告の中に、もしも彼の気に入るものがあったなら。
――別に、それを買ってあげる、なんて偉そうに言うつもりはないけれど。
――けれどもしもあったなら。
――そうしたら彼に、返せるかも、しれない。
――返せないとしても、彼の好みを少しでも把握できたなら、その分。
――これから、別れのときまでに。何かできるかもしれない、用意できるかもしれない。
出逢ってからアルベルがマリアに与えてくれたもの。
あたたかい心、不器用なやさしさ、嬉しさに心臓が跳ねる感覚、哀しみを自覚する前にこぼれる涙。すべてがいとおしくて世界がその分きれいに見えるような、不思議な感じ。
言葉では表わしきれない、表わせるものとも思えない、――まさか自分がそんなものを持っていたなんて、まるで知らなかった。
――それは、たとえば何と呼べば良いのか。
名前さえ知らないほどそれの存在を知らずに生きてきた、それは淋しいことなのだと。
そう、彼が教えてくれた。
――だからそれを、その心を、やさしさを嬉しさを哀しみを。
――……愛、を。
――それを返すことができる、そのきっかけになるかもしれない。
――これをそのきっかけにすることが、できるかもしれない。
「……ね、アルベル。何かある、かしら……?」
適当な速さで次へと送る、その瞬く動きにあわせるようにアルベルが瞬いている。見慣れないものを目の前にして、これもまた普段は絶対にお目にかかれないだろう、無邪気さと好奇心を隠そうとしないで彼女の手元を注視している。
その真剣な目に、どきどきの激しいこの心臓が。アルベルに聞こえてはいないだろうか、もしも聞こえていたらそれはなんだかとても恥ずかしい。
――それは、偶然を装って、ふと思いついたふりを装って。けれど実際は、悩んで悩んで悩んだ結果まとめた計画。
彼が必要と思うものを、受けとって迷惑ではないものを探りたい、そこから立ち上げた計画。
自分でもアラだらけと分かるその計画で、少しでもアルベルの心を理解したくて。
最近少しだけ分かりはじめたアルベルの心を、彼が不快ではない程度にもっともっと知りたくて。
「……あなたのほしいもの、ある……?」
なぜかひそめてしまった声。ささやく声を聞き取るためにだろう、近付いた距離が嬉しい。その一挙手一投足、知らず凝視している自分がなんだか情けなくて笑えてくる。
いつものマリアらしく、まったくない。
けれど、そんな自分が嫌いでは、決してなくて。
「――……あった」
「何……?」
そして、かすかなつぶやきにマリアの手が止まった。
そのまま手を止めてふと顔を上げたなら、アルベルが彼女を見ていた。
思わず逃げ出したくなるほど真剣にまっすぐに、思わず笑い出したくなるほど真面目に。
整った顔だち、真紅に映った自分の姿がなんだか気になる。アルベルの目に自分がどう映っているのか、いつも抱えている疑問がぐんと大きくなる。
疑問と一緒に心臓がまたひとつはねて、……そういえば、頬が身体がなんだか熱っぽくて。
心が、見えたら良いのにと思った。
叶わないことを思って、そして。
何をすれば、せめて想いを伝えられるか。
――そう、真剣に真剣に悩んだ。
「……アルベルがほしいもの、は……?」
なんて情けないかすれきった声、つぶやくように小さいから分かりにくいけれど、確かに震えてまでいる。何を怖がっているのか分からないくせになぜか恐怖心が膨らんで、うっかり身を引いて逃げようとするマリアに、なんだかのびてくる、腕。
「――そうだな、俺は、」
アルベルの目が、なんだかやさしい。
――どうか受け取ってほしい。
――受け取って、くれるだろうか。
――この心を、覚えた感情を、考えた内容を。
――受け取ってもらえただろうか。
マリアの耳元に、アルベルがぼそりとつぶやいて。
一瞬目を見開いてから、彼女の目に。
――涙の珠がぐんぐん大きくなっていく。
