でも、それでも。
どこまでも直線のあんたは、直線しか分からない、分かろうとしないあんたには。
こうでもしないと通じないだろう?
久々にシランドに帰ってきて、彼女の仕える女王自ら休みのときはゆっくり休養しなさいと言ったけれど。けれど自室に帰ってきて待っていたのは、彼女の処理待ちの書類の山で。……それと、たぶん彼女が謁見している間に入り込んできたのだろう、ついでに酒まで持ち込んで昼間からクダを巻いているどこかの漆黒団長で。
ともあれ時間があるのに、片付いていない書類が手元にあるのはなんだか気持ち悪くて。
だから当然のようにのびてきた腕を無視してはねのけて、机に向かった。
むっとして文句を言おうとした男を邪魔して、ちょうどそのタイミングで。ペン先をびしっと突きつけて、宣言した。
「あたしの仕事の邪魔するんじゃないよ。終わる前に手を出してきたら、」
「あん?」
「……手を出してきたら、――一生あんたに触らせない」
何に、とは言わなかったけれど。たぶん据わった目をしていたのだろう、本気を嗅ぎ取ったのだろう。それではっきり変わった顔色が、正直ちょっと面白かった。
ぱくぱく動く口を無視して、今度こそ書類に向かう。
宣言してもきっとすぐに痺れを切らせるのだろうと思いながら、思いながらも。少しでも邪魔されない時間をのばそうと、そんなつもりだった。
――いや、本当に忙しかったんだ。邪魔されたくなかったんだ。
――それなのに、かまわれたがりのあんたはきっとちょっかい出してくるから。
――だから。だから先に言っておいただけなんだ。
――まさか、本当に本気でそんなつもりだったわけじゃない。
――あんただってきっと分かっているだろうし、でもそれだけ真面目に仕事したかったんだ。
――ただそれだけだったんだ。
意外なことに、たった一言でその後アルベルはちょっかいを出してこなかった。
一度だけちらりと背後を見たなら、いかにもふてくされたぶーたれた顔で杯を重ねていて。どこに持っていたのか、周囲には酒瓶がごろごろしていて。
――別にこの部屋にいなくても良いのに。
そんな無情なことを思って、あとは仕事に集中していた。事務作業だって嫌いではないから、むしろ夢中になっていた。
夢中になって時間を忘れて。
――気が付けば明かりがないと文字が読めないくらい、周囲は暗くなっていた。
「……ああ、もうこんな時間だったんだ」
一度我に返ったら、先ほどまで読めていた文字も周囲の闇に飲まれてまるで読めなくなる。
――やれやれ、明日は目が痛そうだ。
ちょうどキリの良いところだったので、ネルは今日の作業はここまでにしようとペンを置く。
とんとん、と処理積みの書類をそろえながらふと背後を見たなら。
いつからだろう、むしろ最初からか。すっかり据わった目で、酒のグラスに口を付けたアルベル。
「暗いだろう? 明かりくらいつければ良いのに」
「酒呑むのに明るさなんて関係ねえだろうが」
――いつも思う、こいつは酔ったりしないのか。
――空の酒瓶が何本あるのか知らないけど、その酒の強さはよく分からないけれど。
そんなことを思いながらばさりと書類を置いて、彼の前に移動したならどんよりにごった目がじとりと見上げてきて、
「……終わったのか」
「いや? でもまあ、だいぶ片付いたよ。明日いっぱいかからなくても、半日――ひょっとしたらそれより前に終わりそうだ。キリが良いから、もう休もうかと思ってさ」
――文字も見えない暗さで、あたしはなぜこの男の表情が見えるのだろう。
そんなことを思いながら目線を合わせて笑ってみせて。
けれどぷいっとそっぽを向くアルベル。
「……?」
ネルはきょとんと瞬く。
――どうしたのだろう。
――いつもなら、これだけ隙を見せれば襲いかかってくるのに。
――いや、別に襲われたいわけではないけれど。
――でもいつもがいつもだから、こうも違う態度はなんだか心がざわざわする。
「……どうしたんだい?」
「全部終わらないうちに手を出すな、とかほざいたのはどこの誰だ」
分からなくてつぶやけば、そっぽを向いた顔がぼそりとうめいた。今度は身体ごと彼女に背中を見せて、背中を丸くして――どうやら手酌でまた一杯やっている。
顔を見ようと回り込もうとすれば、その都度ぐるぐる回って絶対にそうさせようとしない。
そのくせどうしようかと一歩引けば、そんな彼女を探る気配。
――なんて、分かりやすい。
気付いてしまえばむしろ浮かんでくる苦笑。
――スネている。
ためらったけれど、どうもこのままにしておくのは気分がよろしくなくて。分かってしまえば何てことはないはずなのに、胸のざわざわは小さくなっても収まらないので。
とりあえず、目の前の背中に抱きついてみた。
「!!」
――そういえばいつだってアルベルの方が手を出してくるから、ネルから抱きついたことなんてほとんどなかったかもしれない。
きっと驚きに硬直した身体をどうしようかと思って、それでも動いてくれないのでどうしようかと思って。鎖の付いた首輪の影、普段ならまず滅多に見えないだろう首筋に。
軽く、歯を立ててみる。
「て、め……!」
「あたしが触るのはダメなんて、言わなかったしね」
屁理屈をこねて、――ああ、頬が熱い。
「それよりどうしてくれるんだい。この絨毯、安物じゃないのに」
照れ隠しに、きっと中身入りのグラスが落とされた絨毯を心配して、
「……て、てめえのせいだろうがっ」
「落としたのはあんただよ」
動揺しまくった声に、小さく笑う。
――いつもならこんなことしない、誰にだってするわけがない。
――あんただけなんだ、いや本当はあんたにだって嫌なんだ。
――恥ずかしいから。
――ただただ、どうしようもなく恥ずかしいから。
――でも、それでも。
――どこまでも直線のあんたは、直線しか分からないあんたには。
――こうでもしないと通じないだろう?
……だったら仕方ないじゃないか。
――いつもべたべたしてほしいわけじゃないけど、
――ほったらかしに、無視されるのは淋しから。
――悔しいから絶対に言ってなんかやらないけど、
――でも、かまってほしい時にかまってもらえないのは、もっと嫌だから。
――ワガママだって、分かってる。でも。
――こうしている今だって、恥ずかしい。でも。
――でも。
――さてこれ以上はどうしよう。
悩むネルが抱き付いた身体が、ごそりと動く。
動いて、そして。
そして、
