どこまでも軽い調子で、彼女が言ったから。
けれどよくよく見ればその顔は真っ赤に染まっていたから。
からかいなのか真剣なのか、まるで分からなくなった。
自分がどうしたいのかも、彼女が何を望んでいるのかも。
まるでまったく、分からなくなった。

―― 軽 [ねえ、キスしようよ]

「ちょっとアルベル、あんたいい加減にしなよ!?」
甲高い声が耳に頭にきんきん響く。重いまぶたをなんとか開ければ、いつかなぜか腕に抱えていた女が。変に抱き抱えていたせいだろうか無理やり身体をひねった状態で、ぼんやりしている彼を本気でにらみ付けていた。
――せっかくの顔が台なしじゃねえか。
思ったけれど口を開くことさえ億劫で、それはどうやら結果的に当たりだったらしい。
彼が緩慢に瞬く間にいかにも大きく息を吸い込んで、
「人が止めるの聞かずに、山ほど呑んで!
酔ったからってよく分からない理屈こねてあたしつかまえて、ベッドに引きずり込んで!!
ああ、確かにあんたなんかの世話なんて焼こうとしたあたしがバカだったかもしれないけどね! そもそも近寄ってなきゃ良かったんだろうけどね!! それはともかくひとの親切心踏みにじる真似しといて、そのまま気分よく寝入ろうだなんて、一体どういう了見だい!?」
――阿呆、もっとゆっくりしゃべれ。
――何言いたいんだか、分からねえよ。
思うけれどやはりどうしようもなく面倒くさい。まぶたが重い。
腕に抱えた体温が温もりがやわらかさがしなやかさが。どうにもやさしく眠りに誘うくせに、当の本人はそれを許そうとしない。

◇◆◇◆◇◆

――別に、特に何かがあったわけではなかった。
――なかったけれど、何だか呑みたい気分だった。

誰かに遠慮してとか、何かを思いやってとか。そんな理由でセーブする性格でもないから。
呑みたい気持ちそのままに、ひたすら杯を重ねた。
酒に強いとか弱いとかいったところで、バケモノではないから限界はあって。後半、ぐでんぐでんに酔っ払った自分を覚えている。いつものおせっかいを焼くために、のこのこ近付いてきたネルを捕まえた記憶はかすかにある。
ところどころ虫が食った記憶の中に、暴れる彼女を抱えたままベッドに崩れ落ちた記憶もなんとか存在する。
ぼんやり思いながら視線を落とせば、結局ゆるまない彼の腕の中、きっと激怒しているらしい顔があって。

◇◆◇◆◇◆

たぶん、腕が自由だったなら殴りつけてきた。
たぶん、それが可能だったなら力いっぱい蹴り付けてきた。

そうと意図したわけではないけれど、抱え方で腕の動きを封じていて、これだけ至近距離だとケリにも威力がなくて、
一眠りしたとはいえまだまだアルコールの抜け切らない頭に、自分を誉めたくなった。

じたばたもがこうとするのを、抱きしめることで邪魔をする。
放せとわめくのは、聞こえないことにする。

――ああ、しこたま呑んで酔っているせいだろう。
――たぶん普段ではできないだろうことを、今の俺はやってのけている。
――そんなことだけが、なぜだか分かる。

――何よりも大切なモノを、思うままにただ包み込んでいる。
――そんなことだけが、なぜだか分かる。

◇◆◇◆◇◆

「…………っ!!」
ずっと暴れていて、たぶん疲れたのかもしれない。
声が止んで抵抗が止んで。しばらくこっそり様子をうかがってみたけれど、肩で荒く呼吸をくり返す彼女はきつい目つきのままそれ以上は動こうとしない。

――あきらめたのだろうか、そうだとするとそれはあまり面白くない。

どこまでも自分勝手にそんなことを思ったアルベルがますます様子を見るけれど、見られる彼女はそのうち視線を落として。姿勢の関係から長いまつげの向こうがわにどんな色がひそんでいるのか、見ることができない。
それは何だか面白くない。

「……おい……?」
「ねえ、」
声がハモった。別に狙っていたわけでもないだろうけれど、ハモって、そして。
次の瞬間彼を見たのは、上目遣いの紫。普段ならまず絶対に見ることのないだろう、今だって本人はきっとそんなつもり欠片もないのだろう艶を帯びたまなざし。
息を呑んで何も言うことができなくなった彼に、どこかいたずらっぽく微笑んで、
「――キス、しないかい?」
アルベルの頭が、アルコールのせいではなく真っ白に染まった。

◇◆◇◆◇◆

――一体何のつもりだ、とか。
――どういう風の吹き回しだ、とか。
――明日にでも世界を滅ぼすつもりなのか、とか。
――雨が降る雪が降る槍が降る、とか。

間の抜けたことから失礼千万なことまであれこれ思い浮かんでは次々それが霧散して。
……ただ。

――どこまでも軽い調子で、彼女が言ったから。
――けれどよくよく見ればその顔は真っ赤に染まっていたから。
――からかいなのか真剣なのか、まるで分からなくなった。
――自分がどうしたいのかも、彼女が何を望んでいるのかも。
――まるでまったく、分からなくなった。

――分からなくて分かりたくて、
――分からなくて分かりたくなくて。

矛盾に頭がぐるぐるして、自然腕から力が抜けて。

◇◆◇◆◇◆

「ばーか」
そして離れた位置でこどもくさく舌を出すネルが、いて。瞬きを三回、まじまじと手の中を見れば、分裂するはずもない普通の人間のネルはいつの間にかそこにいなくて。

――どうやらかつがれた、のだと。
――動揺を誘ってその隙を突かれた、のだと。

動きの鈍い頭が気付くころには、手をのばして届く距離にはもういなかった。
まだ照れの残った顔でそれでもにやにや笑って、呆然からそろそろ怒りにシフトしそうなアルベルをのぞきこんでいる。

「あんた、本当にバカだよね」
「な、……てめえ……!」
自分勝手にアルベルが怒れば、くすくすと笑う。ベッドから起き上がろうにもそれがかなわずに、じたじたともがく彼に悪意ではない笑みが向けられる。
無性な悔しさにはがみする彼に、
鮮やかな笑みが向いて、

◇◆◇◆◇◆

「しばらくしたら起こしにきてやるよ。その時は容赦しないからね?」
――覚悟しとくんだね。
ちゅ、小さな音と何かが触れた額。驚きに目を見開くアルベルから、あっさり引いた気配。
「じゃあね」
つぶやきと、――そしてドアの閉じる音。

「……てめ……」
呆然とうめく彼の前には誰もいなくて。
ただ額が、確実に気のせいだけれど。

――じんじんと熱をもっている。

―― End ――
2006/03/02UP
ねえ、キスしようよ / 愛する貴方に5つの題_so3アルベル×ネル_
OFP
中国語・無断転載禁止 ハングル・無断転載禁止
軽 [ねえ、キスしようよ]
[最終修正 - 2024/06/14-16:10]