物怖じするわりに、まっすぐに目を向けてくるところとか。
とまどいながら恥じらいながら、それでも微笑みかけてくるところとか。
肩口になんだか重みを覚えて、そして目が醒めた。間近い気配にゆっくり目を瞬いたなら、ふわりと目を伏せた愛らしい顔がそこにあって。
もう一度瞬いた。
けれど揺らぎもしないその間近な気配に、どうやらこれが現実だと分かると。
――さてどうしようか、と彼は眉を寄せる。
野暮用で修練場に来ていた。なぜだかこの娘もくっついてきた。
――いや、くっついていってもいいですか、の事前の打診があったかもしれないけれど。
ともあれ、暗くて不吉で寒いばかりのこんなところに、彼女の喜ぶような何かがあるとも思えなくて。それなのにくっついてきたがった理由がなんだか分からなくて。
ともあれ、ほとんど唯一といっていい、修練場中一番日当たりの良い部屋――つまりはここ、団長執務室に。連れてきたのだけれど。別にいじられて困るものはなし、下手に武器いじって怪我をするなよとかなんとか、そんなことを言っておいたはずだけれど。
嫌々山になった書類を片付けているうち、もともとなかったやる気はすぐに費えた。
別に処理は急いでいないだろう、急いでいるならまだ彼が顔を出す頻度の高いアーリグリフに運んでいるだろう、と。
そんな理由を見つけたならますますやる気がなくなった。
椅子の背に体重をかけるように、のびをする。そして当然のように脚を机に投げ出して、うっかり書類の数枚はそれに巻き込まれたかもしれない。
――まあそんなことどうでもいい。
――ただ。ちょっと探検でも出てきますね、と駆け去っていった少女の後ろ姿が、
その小さな背中ばかりがなぜか眼前にちらついて。
――どうせ何もなかっただろう。
――まあ、お前のことだから、何か見つけたりしたのか?
――何か面白いもんでもあったか?
彼にしては珍しく、そんな言葉をかけようかとも思ったけれど。何か魔がさしたのだろう、そんなことを思ったけれど。
けれど伏せられた目、薄く開いた口からかすかに漏れる呼吸は規則正しくて、元からやわらかな身体は今完全に弛緩している。馬鹿げたことに意識して動かないようにしている彼だけど、起きた以上多少身じろぎしているはずなのにそれに気付くようすもない。
無防備に、あるいは彼を完全に信用して。
行儀悪く机に両足を投げ出して、背もたれに全体重をかけて。その状態で器用にうつらうつらしていた彼に。どこから椅子を見つけてきたのか、そこに膝をそろえて座ってどうやらそのまま、
うつらうつらやっていた彼に引きずられるように、寝入ってしまった少女。
そんな彼女を起こしたくなくて、慣れない気遣いをしている彼。
起こす気がなくて、だから動くわけにいかなくて至近距離でその寝顔を見下ろしながら。
思う。
――なぜこんなところにいるのだろうか。
――誰も強制はしない、無限の選択肢の中で。
――なぜ他でもない彼を選んだのだろうか。
――他の男をいくらでも選べたはずなのに、
――彼が勘違いする前に、なぜそちらに行かなかったのだろうか。
――別にこんな何もないところにまでくっついてくる必要などないだろうのに。
――興味がある何かがあるとも思えないこんなうらぶれた砦に、なぜくっついてきたのだろうか。
――そして、
――今、
――なぜ、こんな彼にここまで無邪気な寝顔を見せることができるのだろう。
戦乱があってこそ存在の意味がある自分。
平和の中でこそ相応しい彼女。
正反対が惹かれあうのは、かまわない。だから彼も彼女が気になったのだと思えばかまわない。
けれど惹かれあった結果、なんて勝手なことだろう。
彼が歩み寄る、それはかまわなくて。彼女が歩み寄ろうとする、それはなんだか許せない。
たとえば物怖じするわりに、まっすぐに目を向けてくるところとか。
たとえばとまどいながら恥じらいながら、それでも微笑みかけてくるところとか。
たとえば些細な彼の傷に、なぜだか涙ぐみさえするところとか。
たとえばどこまでも、
どこまでも透明な心とか。
つらつら考えながら、誰もいないのに何となく周囲を見回して。
寝入る彼女の、その細い肩にそろっと手をのばした。
血に汚れた自分に関わることで、彼女が汚れることを恐れているくせに。
それなのに隙を見つけて触れたがる自分が、その阿呆さ加減がもうどうしようもないと思う。
肩を包み込んで、彼女がかすかに身じろぎをした。ぎくんと背筋を伸ばして、けれど別に起きたわけではないらしい。
それを確認して、挙動不審だった自分をあざ笑う。
動揺を誤魔化すように、またひとつ周囲を確認して。
誰もいないのに確認して。
――ふと、思った。
修練場ほとんど唯一、そこだけは日あたりの良い部屋で。
――ああ、そうだ。こうして自分は彼女を守っていきたいのかもしれない。
一歩外に出れば暗くて不吉で寒くて、けれどここにいればそれを知らずにいられる。
だからすべてを知らせずに、きれいな、あたたかなものだけを彼女に届けたいのかもしれない。
誰よりも身勝手な自分を実感しながら、けれど彼はやはり思う。
たとえば、この彼女を。
――守ることができたなら、きっとそれはとてつもなく誇らしい。
――薄汚れた、汚れきった気分に彼女を守ることができるのなら。
――それは、
……それは。
