どんなに努力しようと、不可能なことはあるのに。
太刀打ちできないことは山ほどあるのに。
「……はあ」
大きく息を吐いて、マリアはぼんやりぐるりと視線を動かした。
規則正しく積み上げられたレンガ塀、影になった屋根のひさし、青い空にはこんな隙間からでは陽が見えなくて、また屋根の塀があって、そして。
そして――向こうの方から駆けてくる青髪の青年の姿。
驚きで脚が勝手に逃げ出したがって、けれど後ろめたい理由がないからと身体は動かない。
そうしている間にも彼はどんどん近付いてきて――どうやら全速力で走っているらしい。
無言で見上げるマリアの目を、いつものまっすぐな目で見つめてくる。
「……ごめん、まさか考えごとしてたなんて。
なんだか悩んでるように見えたからさ、いくら呼んでも気付いてくれないし。だからせめて話を聞くつもりでいたんだけど」
「見当違いよ、残念だったわね」
町を行く人々をぼんやり眺めながら、マリアはフェイトの言葉をざっくり斬り捨てた。それなりに付き合いも長くなってそんなマリアに慣れたのか、へらへら笑う彼は動じたりしない。
「でもまあ、僕が聞いてどうにかなることだったら何でも言ってよ」
「どうにもならないから、言わないわ。
……何か用があったんじゃないの? こんなところで時間つぶしている暇があるのかしら??」
回りくどく言って追い払おうとしたけれど、彼はどうでもいいことだから気にしないでよ、とにこりと微笑みかけてくる。
きっと好意に違いないそれが、けれど今のマリアにはありがた迷惑で。
何も言う気がなくなって、ふいっとそっぽを向いた。
悩みなんて結局、どれだけ考えてもそのうちぐるぐるとスタート地点に戻って来るのだと思う。悩んで解決策が出ることなんてほとんどない。大抵の場合、違うことを考えている最中ふっと浮かんでくる泡のような思考が一番の役に立って、つまり悩んでいたことはすっかり意味を失ってしまう。
だったら最初から何も考えなければその分時間とエネルギーをロスしなくてもすむのに、それなのに意味のない悩みはいつだって何かしら脳内のどこかにいて。
――どうしようもないと思う。
――どうしようもなく、腹立たしい。
「……ふう」
腹立たしさに、大部分は自分に向けた苛立ちにまた息を吐く。いよいよ彼女が煮詰まっていることをようやく察したのか、なんだか曖昧な笑みを浮かべたフェイトがそういえばじりじりと後退していて。
けれど彼女のため息に、その動きがぴたっと止まった。止まったのが見えた。
「?」
――なんだろう。
思うよりも早く彼が身体ごとくるりと振り向いて、
「大丈夫だよ。マリアになら絶対どうにかできるから!」
能天気に無責任に、そんなことを言ってくる。
――瞬間、かあぁっとマリアの頭に血が上る。
――なぜ、自信たっぷりにそんなことを言ってくるのだろう。
――どうして、そこまで無責任に保障したりできるのだろう。
――やってもみないであきらめるのは、彼女の趣味ではないけれど、
――いくら言葉を尽くしても、分かり合えないと証明されたようで腹が立つ。
どんなに努力しようと、不可能なことはあるのに。
太刀打ちできないことは山ほどあるのに。
それなのにマリアならできる、だなんて。
なぜ誰も彼もが彼女を万能と見るのだろう。
あるはずもない幻想を、よりにもよって彼女に抱くのだろう。
期待されても、応えられない。無理を叶えられるはずがない。
それなのになぜ彼女にばかり、
――理想が押し付けられるのだろう。
……今までの、今まで生きてきた間の鬱憤が一気に噴火したようだ。
……不特定多数への苛立ちが、一気に集約したようだ。
熱くなった頭の片隅で、そんな冷静なことを何かがつぶやく。つぶやきは聞こえて、けれどそれさえ火に油を注ぐように。
せいぜい引き金を引いただけの青年に、思わずマリアは全力で食ってかかろうとした。
何も悪くない、わけではないにしろ。大して悪くないフェイトを、そうと知っていながら悪役に仕立て上げようとした、その時。
彼の襟首さえがしっとつかみ上げた、その瞬間。
当のフェイト本人が、はにかんだような苦笑を彼女に浮かべた。
「――すごいなあ、マリアは」
……え、
「できることとできないことがちゃんと見分けられて、できないことがどうしたらできるようになるかちゃんと考えられて」
……何、を、
「何とかできそうだから、ちゃんと真面目に考えて、悩んで。どんなに煮詰まっているように思っても、そう見えても。投げ出さないマリアは、すごいよ」
……何を、言っているの……?
「今回の悩みの内容を僕は知らないけどさ、でも、だからマリアならきっとなんとかするよ。マリアだから何とかすることができる。
他の誰にもできないことだって、マリアにだったらきっとできる。
――それって、すごいことだよ」
……フェイト、キミは。一体、何、を。
「マリアはすごいひとだって、本当に思うんだ」
まっすぐ向けられた視線、まっすぐな言葉。難癖をつけようとしたマリアが思わず怯んでしまうくらい、純粋な憧れの視線。
怒りのために跳ね上がっていたはずの心臓が、今どきどきいっているのは違う意味のような気がする。いや、きっと違う意味だ。
――だって、さっきはこんなのなかった。
――こんなにもきゅうきゅうと、
――痛い、なんてなかった。
フェイトの襟首をつかみ上げようとした、今はすっかり力の抜けた手を。ふわりと彼がさらった。
キザなのにやけに絵になる仕草でそっとそこに口付けさえして、ぼふっと、怒りのためではない赤に茹で上がるマリアに、ウィンクをする。
――何に悩んでいたのか、忘れてしまった。
――何に怒っていたのか、忘れてしまった。
ただ。
ただ、きっと。
きっとあなたがここにいてくれるなら。この世界に、私の前に、微笑んでいてくれたなら。
がんばる、がんばれる。
――そんな気がする。
がんばるだけの力を、あなたの微笑みがくれるから。
できないことは何もない、きっと絶対に何だって成し遂げることができる。なんて。
――ああ、なんて馬鹿だろう、単純なのだろう。
そんな錯覚を、してしまうなんて。
