花さえほころぶその笑みを。
たとえ自分に向けられなくても、
「おーい、まり、」
何の用だっただろう、確かどうでもいい用事だった。タオル取ってくれとか喉が渇いたから何かないかとか、たとえばそんなくだらない用事だった。
そうして振り向いた先に、確かに養女はいて。
けれど彼ではない別の男へ、嬉しそうにはにかんだように、笑っていた。
「……、」
呼びかけていた声が止まる、そのとき呼吸を一瞬止める。
視界の先の養女は、そんな彼に気付かないままやはり笑みを浮かべている。
――いつも笑っていてほしいと思う。
――心底そう思うし、そう思ってきた。
はじめて、大人用の脱出ポッドに力なく横たわった小さな彼女をはじめて見た瞬間から、すっかり大人びてきた今までずっと。
――ずっとずっと、ただそれだけを願ってきた。
だから今はそれは、望みどおりのはずなのに。
「……何だろうなあ」
ため息を吐く。ブランデー入りのグラスに浮かんだ今はすっかり形をなくした元氷が、かろりと小さな音を立てて。ちらりと目を上げたバーデンが、何も言わないうちに同じものをもうひとつ作る。
こちらにすべらせるのを、ぱしっと受け取る。
――養女は、マリアは最近よく笑う。
――華やかな、けれどはにかんだ笑みを。
――たったひとりに向けて、自覚さえなく笑みを浮かべている。
――心から嬉しそうに笑っている。
それは、彼に――クリフに向けられているわけではなくて。
けれどそれがどうだというのだろう。
ぐい、一気に空けようとしたけれど。グラスに口を付けた瞬間にそれはやめることにした。
一口だけ含む、鼻に抜けるアルコールをゆっくりと楽しむ。――味は分からなかったけれど、味わおうとしてみる。
――そうだ、それがどうだというのだ。
――彼にとっての重要は、養女が幸せであることで、
――彼女が本心から笑っていることで。
――無理を重ねる悪い癖のある養女だけれど。
――けれどそれでも、最近浮かべる笑顔はそれとは違う。
――笑うつもりはなくて、けれど知らず笑みがこぼれるような。
――そんな笑顔は、さすがの彼女でも演技で浮かべられるものではない。
一口二口、それなりに上等なはずなのにまるで味がしない酒を含む。ゆっくり舌で転がして、それでもやはり味がしないのをムキになって味わおうとする。
脳裏に浮かぶのはたったひとりの笑顔。
彼の、花。大切な花。
――誰より笑っていてほしい、誰より幸せになってほしい、それだけの権利が絶対にあるはずの、
彼の――愛娘。
祝福してやりたい。
彼女が彼女のたったひとりを見つけたなら、心から祝ってやるつもりだった。
昔からずっとそう決めていて、けれどいざそういう場面に出くわしたなら。
なんてことだろう、たかが一言がまるで口にできない。
祝福の言葉を紡げない口に、アルコールを流していく。
酔いもしない頭は醒めていくばかり、どんどん自己嫌悪がつのっていくばかり。
それでもゆっくり一口ずつ、意地でもそうしてやろうと決めたから。
だからひたすら、胃にアルコールを流し込む。
――誰より幸せになってほしい。
――誰より輝く笑顔を浮かべていてほしい。
幸せはともかく、叶ったはずの笑顔が。
けれど向けられているのは、彼ではなくて。
かまわない、と思うはずなのに面白くないのは。
なんだか面白くないのは、
「……くそっ」
「あら、珍しいじゃない。クリフがそんな風に毒づくなんて」
ぼそっと吐き出したなら、意外なことに答えがあった。自覚はないけれど酔っているのか、気配に気付かなかった。
そこに立っていたのは件の養女。
口の端に浮かぶのは、苦笑によく似た――けれど透明な笑み。
「それに、それこそ珍しいわよね?
不調を表に出すなんて、はじめて見たわ。さっきから一体何すねてるのよ」
「そんなことねえよ」
言われた言葉にそれこそむくれてみる。むくれたポーズを取ってみて、マリアの雰囲気が少しやわらかい。
――あの笑みではない。
――けれどこの笑みなら、彼にまっすぐ向いている。
――それに、これだって決して鬱々としているわけでもない。
思って気分を浮上させようと思うのに、どうしてもテンションは下がったまま。それともよもや「すねた」の言葉にショックを受けたわけでもないだろう。
きっとそのはずだ。
ずっと願ってきたことがどうやら叶ったのだ。多少何を言われたところで、落ち込むはずがない。
だから。
花さえほころぶその笑みを。
たとえ自分に向けられなくても、
――あなたの幸せを願っている。
――あなたの微笑をずっと守りたい。
――その気持ちに、偽りはないはずで。
「……なあ、お前は今、幸せか……?」
「?」
ぽろりと転げた質問に、マリアの目が見開かれた。
少しだけしてやったり気分で溜飲を下げて、クリフはつらつら思う。
――この気持ちの正体は、一体何なのだろう。
――望みは、たったひとつではなかったか?
考えてもきっと埒の明かないことをつらつら考える。
その横で、マリアが。
――きっと微笑んでいる、その種類を意味を知りたいと、
少しだけ、思ってみる。
