もしも、あのとき。
冗談が冗談ではなくて、いたずらがいたずらではなかったら。
もしも、――もしも。
「……なあ、どこ行くんだ?」
「どこだって良いだろう? ついて来るんじゃないよ、別にあたしがどこ行こうが勝手だろう??」
「オレがどこ行こうと勝手だろ? たまたまお前と同じ方向に行きたいだけだ」
「下手ないいわけは止めな、女々しいヤツだね」
右手になにやら包みを持った赤毛の女の後ろを、クリフは歩いていた。もちろんいいわけはいいわけで、暇な時間、どうせなら彼女と一緒に過ごしたいというささやかなワガママを実行に移しているだけだった。
まあ、隠密の彼女が、隠密にしか入れないような場所に行くというなら。明らかに仕事の邪魔になるというなら諦めもするけれど。
けれど彼女は、ついてくる彼を確かに確実に煙たがりながらも、それでも彼を撒こうとはしない。それをいいことに、それに甘えて。クリフはネルの後を追う。
――天国でも地獄でも、ネルと一緒ならどこでもかまわねえぜ。
自分でも馬鹿げたそんなことを思いながら、実際彼女に言ったならどういう反応をするだろうか。
結局はそれを口に出すことのないまま、ときどき彼女にちょっかいをかけながらただ、歩いて、
そして、
「……墓……?」
着いたそこは天国でも地獄でもなく、ただしそれらに一番近そうな場所だった。
昼の陽の光をうけて神秘さも不気味さも影をひそめて、ただ白い石が並ぶ。墓守でもいるのか、それとも巫女の国だからなのか、どの石もきちんと手入れされて陽の光にただ白い。
そんな石の列を縫うように赤毛が迷いのない歩みで進んで、
そこが目当てだったのだろう、おもむろに抱えていた包みをほどいて、そこから出てきたのは、
「……酒……??」
「さっきから素っ頓狂な声ばっかり上げるんじゃないよ」
それだけ腹に据えかねていたのか、いきなり振り返った紫がにらんできた。言うだけ言ってすぐに顔を戻すと、慣れていないからだろう、まごついてそれでもなんとか栓を開けると、
あとは迷いなく墓石に瓶をかたむける。
「ねー……ベ、る……ぜ……る、」
「ネーベル・ゼルファー。あたしの父の墓だよ――ずっとずっと昔に、あたしが大人になったら一緒に呑む約束をしたんだ。してたんだ」
瓶の半分ほどで濡れた墓石に、刻まれた名前。たどたどしく一文字ずつ読んでいたなら、むこうを向いたまま告げられた正解。
聞き覚えがあるような気がして首をひねって、そんな彼を見ていないのに、
「先代のクリムゾンブレイドさ。で、あんたが以前、冗談で折ろうとした剣の、元持ち主」
「おお」
言われてぽんと手を叩いて、背中しか見せてくれないネルが、
――どうやらただ静かに手を合わせているようで。
知らない特定の人間に手を合わせるのは、たぶん間違っているだろうと思うから。だからクリフは腕組みをして、ネルの細い背中をただじっと見つめた。口の中でもごもごと、きっと生真面目にいろいろな報告でもしているのだろう。背中は身じろぎさえしない。
――もしかしたら、あのときの怒りでもぶり返したのかもしれねえな。
手持ち無沙汰なクリフがそう思うのに、ネルの背中は何も語らない。
――形見の剣をもらったんだ。
いつかのあの日、カルサアでの自由時間終了後。誰ともなく彼女が言った。言われてみてみたなら確かに、見慣れないデザインの短刀がその細い腰に下がっていた。
話にしか聞かない先代のクリムゾンブレイドは、何でもウォルターと死闘を演じたとかで。
その彼の握っていた短刀を、どうやら返してもらったらしい。
嬉しそうなどこか安堵したようなその顔に、どれオレにも見せてくれよと手を差し出した。
竜を穿つ、の名前を関したその剣を、身を守るためだけのちっぽけな短刀を。受けとって、どれどれとばかりに鞘から引き抜いて。よく分からないけれど、手入れされて大事に使われている、素人目にもそうと分かったその短刀を。
おもむろに、何気なく折る真似をしてみたら。
もちろん冗談だったのに、本気で怒ったネルがぐーで力いっぱい殴りつけてきた。
あっという間に奪い返して、それから数日、口さえきいてくれなかった。
――自分の後を継ごうという、その意志は嬉しいだろうけど。
――けど実際、お前に隠密になってほしいって親父さんは言ったのか?
あのときの自分の台詞が脳裏に甦る。言わなくても良かったその台詞に、はっきり顔色の変わったネルを今もくっきり覚えている。
――隠密ってのは物騒な職だろ。
――戦時中とはいえ、血まみれ覚悟の職だろう?
――そんなもんに果たして、親父さんは就いてほしかったのかね。
――オレなら、娘にそんな道選んでほしかないが。
言い終わる前に今度は平手にはり飛ばされて。あのときのじんじんした頬の痛さだって、鮮明に覚えていて。
もちろんそんな理屈、いいわけでしかなかった。
引き合いに出された彼女の父親も、さぞ迷惑したことだろう。
クリフは、ただ、
――ただ、
父の形見というその刀を手に入れたとき、
ネルがあんまり嬉しそうで誇らしそうで、哀しそうで苦しそうだったから。
安堵したように微笑みながら、けれど今にも泣いてしまいそうだったから。
彼自身、ネルの手を血に染めたくなかったのがひとつ。
泣きそうなネルの気を、よそに逸らしたかったのがひとつ。
――彼女にそんな顔をさせた、彼の父親に殺気めいた怒りを覚えたのが――ひとつ。
――もしも、あのとき。
――冗談が冗談ではなくて、いたずらがいたずらではなかったら。
――ああそうだ、今思えば。
――きっとあのとき、折れるものならあの刃を折ってやりたかったんだ。
――意味のないことだって分かっていても、それでも折りたかったんだ。
彼女を、他の誰にも渡したくなくて。ただそんな独占欲で。
祈りを捧げるその細い背中、出てきた風に舞い上がった赤毛。
ただ怒らせるだけと分かっていながら、
――それでも衝動的に、そんな彼女を抱きしめてしまった馬鹿な自分。
さらに怒らせるだけと分かっていながら、
あらわな首筋に、ゆっくり唇を押し付ける。
「あ、んた……!?
呑んでないのに酔っ払ってんじゃないよ!!」
あのままあの剣を折っていたら。
冗談ではなく本気で、本当に折ってしまっていたら。
その時の「今」、彼女は自分は一体何をしていただろう。
こなかった「もしも」を考えて、それにとらわれている自分を自嘲して。
クリフはもがくネルを抱く腕に、ただ力を込めた。
あるいは、酒にぬれた墓石に、その主に見せ付けるように。
大切に、逃がさないように。
子供っぽい独占欲丸出しで、ただ、
