もしもの話なんて言いたくない、聞きたくない。
けれど、
けれどそれでも、何か約束をしたかった。
思う気持ちは分かったし、きっと分かってもらえたのだと分かった。
「……寝ないのかい?」
「つれねえな、お前さんの帰りを待ってたってのに」
「嘘だろう」
「バレたか、ああ、冗談だ」
きっと最後の綿密な打ち合わせをして、深夜、帰ってきた領主の館。足音を忍ばせて気配を殺して上がった階段の先、様子見にちらりとのぞいた部屋の中。ベッドのふくらみとかすかな寝息、そして、
窓の向こうに目をやる人影。
見間違えようのない長身、筋肉質の身体。それが癖なのだろう気配を消して、まるで部屋には誰もいないないように――起きて意識のある人間が部屋にいないように、部屋の気配はやけにひそやかで。
「とっとと寝な、明日は決戦だ。朝は早いし容赦しないよ?」
――興奮で寝られない繊細な神経だとか、月を愛でる風流な趣味だとか。そんなものもちろん持ち合わせていないんだろう??
薄く開いたドアの向こうに軽く言葉を投げ付ければ、肩がひょいとすくめられて。
足音も気配もなしにすべるようにこちらに近付いて、手をのばせば余裕で届くような距離で。
――ただ、彼は目を細める。
決戦は明日、朝陽が昇ると同時にアイレの丘に陣を張ったアーリグリフへ総攻撃をかける。紋章兵器の仕上がりは、徹夜で進めてもきっと開戦にぎりぎり間に合わない。その時間差を少ない兵力でうまく埋めるのが、明日のネルに割り振られた主な仕事だから。
情報が流れているアーリグリフの方も、きっとそれは百も承知だろう。向こうの目論見は、こちらの準備が整う前にこちらを制圧すること。
なめてかかることのできる相手ではない、気をゆるめる隙などない。
――勝利を。
それ以外に、求めるものはなくて。
きっと明日のことを考えているのだろう、目つきも雰囲気も表情も硬いネルに、クリフは薄く息を吐いた。
――まあ、それも当然か。
あくまで異邦人の彼らと違って、ネルはこの国に生まれてこの国に生きてきた。単なる陣取り争いとはいえ、明日負ければ彼女の故郷は奪われる。それに何より、自分以外の生命がかかっている。生真面目なネルが、こんな時に少しでも気を休められるはずがない。
肩の力を抜いた方が良いと言ったところで、無意味に決まっている。
言われてその通りにできるほど、今の彼女に余裕はない。
だから。
「どうせこんな時間に来てくれたんだ、どうだ記念にいっぱ、」
「下品なこと言うんじゃないよ!!」
にやにやと下卑た笑いに顔をゆるめて言ったなら、次の瞬間には頚動脈にびたっと短刀が突きつけられていた。本気で憤慨したらしくネルの目は怒りに燃えているようで、のどに薄くはり付いた鋭利な刃はぴくりともしない。
クリフはゆっくり両手を上げて降参のポーズをとる。
三拍、
突きつけられたときと同じように、素早く刃が引っ込んだ。かすかな音と薄くなった殺気に、彼はふひーっ、と息を吐く。
いつでも、彼は冗談を言う。それだけの余裕を常に持っている。
特にこちらの緊張をほぐすためには下品な冗談を言うことが多くて、それはいただけないけれど。
――けれど、
「……この闘いが終わったら、あんたはどうするんだい?」
「んあ? ――ああ、別に今までと同じだよ。お守りしながら移動手段を探す。
まあ、あいつがいりゃあそれもずいぶん楽なはずだし」
――あいつ。
……あの、金髪の、
ずきん、心臓が悲鳴を上げて、ネルは唇を噛んだ。
「さっきの、」
「……ん?」
「ああいうのは、軽々しく言うもんじゃないよ……程度が低すぎる。恋人がいるなら、なおさらじゃないか」
「こいびとぉ!? おいおい、早合点するなよ。あいつは別にそんなんじゃねえよ」
――オレはいつでもフリーだぜ!
にかっと笑って、その笑顔が――言っている内容はともかくその笑顔はまるで無邪気な少年のようだ。
ちらりと見てそんなことを思って、なんだかそんな自分がいやになる。嘘に決まっている軽い言葉をうっかり信じて、そして思った自分を恥じる。
一瞬でも期待をした自分をただ、恥じる。
自分の心さえ見えていないのに、何かを思った自分が許せなくて。彼の事情も分からないのに、勝手な幻想を抱いた自分が情けなくて、
うつむいた彼女が何を思ったのか何を考えているのか、クリフには分かった。まるで手に取るようによく分かった。
――相棒はあくまで相棒で、それ以上の感情はないのに。
信じない彼女をのばした腕の中に閉じ込める。びくんと跳ね上がってあわてて顔を上げて、決して直には触れないでけれど腕の中に閉じ込めたまま、クリフは口の端を持ち上げる。
「――ネル、お前さんオレに言いたいことがあるんじゃないのか?」
一言告げられたなら、いろいろかなぐり捨ててがむしゃらになるのに。
「な、ないよ……! あんたに言いたいことなんて、」
真っ赤になってどもって。それで否定しても説得力なんてまるでないのに。
「本当に?」
「しつこいね! あんたに、言いたいこと、なんて……」
いいわけを探してうつむいていた顔が上がった、鋭い目がにらみつけてきた。
けれど言葉は失速して、力の抜けた目はまたうつむいて、
「――言いたいことなんて、ないよ。今は、ない。
……そうだね、でも――もしも、」
「もしも?」
「もしも明日生き残ったら、あたしもあんたも生き残れたなら。
ひょっとしたら、言いたいことができるかもね!?」
最後まで目を合わせなかった彼女が、きっと恥ずかしがっているネルがいじらしかった。
他でもないネルなら逃げられる彼から、けれど逃げようとしないのが嬉しかった。
ネルにとっての「特別」になれたなら、きっとそれは光栄で。
本当はもしもの話なんて言いたくない、聞きたくない。
けれど、
けれどそれでも、何か約束をしたかった。
思う気持ちは分かったし、きっと分かってもらえたのだと分かった。
そんな風にきっと思ったネルが、クリフには分かって。
「――じゃあそれで手を打つか」
「な、にを偉そうに、」
「てなわけでもう寝ろよ? オレは人のフォローするのが苦手なんだよ」
「なんのことだい!?」
もしも、――もしも。
生き残ったなら、二人とも生き残ることができたなら。
――そのときは容赦しないでおこう、と思う。
だからその前払いに。
クリフは腕の中の彼女に、その額に口付けた。
瞬時に真っ赤に茹で上がって、殴りかかってきた彼女に。
にやり、凶悪に微笑んでみせる。
