普段どれだけちゃらんぽらんでも、
それでもやはり、どうしたって本当に何も考えないで生きる、なんてことできなくて。
「今日も一日おつかれさーん」
誰もいないけれどそんなことをつぶやいて、手にした大ジョッキをかかげてみた。雰囲気重視というよりもむしろ照明代をケチった店内、入口に一番近いカウンターの隅。誰もいないのに乾杯の仕草をして、一気に乾す勢いでジョッキに口をつける。
ごっごっごっ、のどを鳴らして――けれどふと途中で財布のことを思い出してしまえば。ぴたりと動きが止まって視線の先、ジョッキの中身は半分ほど。
安物のエールでさえ、一杯……いや、なんとかがんばって二杯。それしか呑み代の予算がない。
だから残りはちびちびやることに決めて、つけだしの豆に手をのばした。
「クリフさん! やっと見つけた……ダメじゃないですか何も言わずにいなくなっちゃあ」
「……おう、嬢ちゃん。ダメだぜこんな店に近寄っちゃあ。
どうかしたのか?」
「別に何もないですけど……何か気になったんです」
こんな店というかこんな界隈というか。可憐な少女にはまるで似つかわしくない店でクダを巻いていたクリフは、とりあえずこのまま追い返すのも怖いような気がして。
――まあ座れや。
指した隣の椅子にソフィアが素直に腰かける。クリフの手元に空ジョッキが一つしかないのにふと気が付いたらしい、なにやら不思議そうな顔をする。
「体調、悪いんですか?」
「いや、財布の関係でな。マリアにどうせ酔わないんだから自重しろとか言われて、小遣いあんましもらえなくてな。
――そういやマリアっていや……間違いだぜ、何も言わずにってのは。金もらうついでに、マリアに断っといたはずだ」
「え? 聞いてないですよ??」
「………」
無邪気につぶやいたソフィアに悪気はなかっただろう。
けれどクリフは、思い切り渋い顔をしていた。
最初、乾杯のしぐさの時に脳裏によぎったこと。
――ちょっと呑んでくるから金くれ、と言った彼に向けられた養女の冷たい目。
お疲れさん、とつぶやいた時に脳裏によぎったこと。
――たしかに疲れた、とても疲れた。思わず呑まないとやってられないくらい、ものすごく疲れた、その理由。
口に出すには、自分の声とはいえ耳で拾ってしまえば、きっと際限なく沈んでしまいそうな事実。被害妄想であってほしいけれど、きっとそうではない純然な事実。
「……最近、マリアが冷たいんだ……」
「え……?」
金なら何とかなるから好きなもん頼めよ、とメニューを渡して。それに目を落としていた少女が、聞き取れなかったのか小首を傾げた。
想像どおり耳に聞こえたそれに勝手にダメージを受けながら、それでもなんとかクリフはぼそぼそと、
「話かけりゃあ逃げるし、やたらケンカ腰だし。確かに金せびりにいったのは事実かもしんないけどよ? 今日なんてあからさまに冷たい目を向けてきやがった……。
仕方ねえじゃねえか、現金全部マリアに預けてあんだから。それも、しょっぱなはマリアから言ってきたんだぜ? 現金じゃらじゃらポケットに入れられるとうるさいからよこせ、ってな」
「……ええと、」
「ついでに最近じゃあ、フェイトのヤツもなあ。
……なあ嬢ちゃん、あんたの幼馴染に注意してくれねえか?」
愚痴にしかなっていないことを、ソフィアを困らせるだけ、嫌な気分にさせるだけのことを。らしくなくぐちぐちつぶやいて、いつの間にか届いていた二つ目のジョッキを、とりあえずぐびりとやる。
本人たちは、限界が見えないクリフの限界を知りたいから、と言い張る。
そのためには追い詰めなきゃだから、甘い顔なんかしないだけだと言い張る。
けれどただでさえ頭の回る二人にさらにタッグを組まれると。そんなコンビにいじめに近い反応を向けられると。
さすがのクリフだって、泣きたくなる。
酔わないと分かりきっているくせに、それでも酒に逃げたくなる理由も。
疲れた理由、ものすごく疲れた理由も。
つまりは目下クリフの悩みは全部、そこにある。
敵が強くなってきてここしばらく戦闘がきつくて、だから戦闘不能になる回数が増えてきたのはまあ仕方がないだろう。今日だって何度かキレイなお花畑を見てしまって、それでもアイテムなり術なりでどうにか生還した、それはまだいい。
生命のやりとりをしているのだから、それはそれで仕方ない。クリフがもっと強くなればすむ話だ。
けれど、
それ以外の面で生命の危機に脅かされるというのはいかがなものか。
それがよりにもよって養女にだなんて。
その養女が執着した、クリフも彼なりにかわいがっていた青年にだなんて。
「……愚痴って悪いなあ、嬢ちゃん。これがバレたらまたぞろマリアあたりに、しつこいとかって怒られるんだろうけどよ。
思春期ってヤツはもうとっくに過ぎてるはずだろ? どうにもやるせなくてな」
肺が空になるような大きな息に、ちゃっかり頼んでいたジュースを一口すすったソフィアが困った顔をしている。きっと一つひとつ言葉を選んでいるのだろう、やがてまるで、ぽつぽつ単語をつぶやくように、
「ある意味では、信頼、されてるんじゃないですか? わたしの目には、クリフさんとマリアさん、仲が良いように見えますけど。
……フェイトはまあ、昔から男の人に失礼なヤツなんですけど」
酔っ払いがひとり、ソフィアに絡みかけてきたのを目だけで脅して。呑んだ自覚がないのにすでに空になっていたつけだしの皿に手を突っ込んでから、半分ほどになっていたジョッキをあおって。
反応に途惑いながらも、それでも真面目に考えて。すみませんあんな幼馴染でと頭を下げるのに、いや嬢ちゃんのせいじゃねえんだからよ、と頭を上げさせて。
普段どれだけちゃらんぽらんでも、
それでもやはり、どうしたって本当に何も考えないで生きる、なんてことできなくて。
だからこうして酒を呑んでクダを巻いてみたり、
だからこうして誰彼ともなく誰かを捕まえては愚痴を吐き出してみたりするわけで。
「悪ぃな、んで、ありがとな、嬢ちゃん」
「え、わたしは何も……」
深々と、今度はクリフが下げた頭にソフィアがあわてる。やだ顔上げてくださいよそんなのクリフさんらしくないですよ、のあわてた声に、普段一体どんな風に思われているんだとなんだか思う。
そして、
「――ああ、でもフェイトやマリアさんの気持ちも何となく分かるかも。
クリフさんて、なんだか殺しても死なないイメージありますよね」
そして、無邪気な言葉にぐっさりトドメを刺されて。
――違うんです、わたし、誉めているつもりだったんですよ!?
――いや、それ全然逆っぽいから。
カウンターテーブルに突っ伏したクリフに、ひっくり返りかけた声があわてて上がった。
図太いと自覚しているはずなのにいろいろぐさぐさやられて。
さすがのクリフも、素でちょっと泣きたい気分だった。
