分かっていて、それでも時々ふっと、
胸の中黒いもやがよぎることがある。
ずっとずっと、もうずいぶん長い間あいつを見てきた。
最初は憎しみをこめて、あの時を境に今度は親しみをこめて、だけど仕事でもそうと望んでも、つまりはずっとあいつを見てきた。あいつがどう育つか、どんな人間になっていくのか。興味本位でも別の何かが理由でも、つまりは結局あいつには人の目をひきつけるだけの何かがある。
だから見ていた、だったら気付かないはずがなかった。
あの碧の目に。
「よぉルーク、どした、考えごとか?」
胡坐をかいて座り込んだ丸い背中に何気ないふりで声をかければ、それはいっそ面白いくらいにびくりとはね上がった。声で誰かなんて分かったはずなのに振り返って目で見て確認して、それではた目にも分かるくらいほっとした顔になる。
頭を冷やしてくれればと離れていた間、ただ寝ているだけと思っていたけれどそうではなかったらしい。再会して以降いっそ卑屈にさえなってしまった、元は尊大そのものだった主人に小さく笑いかけて、ガイはその場にしゃがみこんだ。
ルークは胡坐の太ももに肘をついたままそんな彼を見ていて、やがて泣きそうな苦笑交じりにため息を吐く。
「んー、……まぁな。おれって今までぜんっぜん何も考えてなかったんだなーってさ」
「ははは、気付いたか。ま、いいことじゃねぇか? 少なくとも一歩前進、てな」
「……それってフォローのつもりか……?」
「どうだかな」
切り落とした髪と一緒に自信までなくしてしまったのか、今までだったらムキになって怒ってすねただろう彼は、けれど目線をはずしてうなだれる。軽口で怒らせて気分を変えよう思っていたのに目論見が外れてしまい、ガイはどうしたものかとあごに手を当てた。
そうして何気なく碧の目線を追って、何のことはない、しょげている原因はすぐに分かってやれやれと大きく息を吐く。
「……怒らせたなら素直に謝ったらどうなんだ」
「なっ!? ち、ちげーよってーか何の話だよ!!??」
今度は成功した。いつものように今までのようにかっと赤くなって怒鳴って、いきなりの大声に何かしらと振り向いた彼女にぎくりとして、わざとらしく顔を背けている。
ずっと見ていた。バチカルから姿を消した彼を捜索に出てようやくのことで再会したあの時、すでに温度を変えていた碧に、だから気付かないはずがなかった。
ひょっとしたら一目惚れだったのかもしれないし、彼の知らない間の何かがきっかけだったのかもしれない。それは分からないけれど基本的に無気力だった碧は、再会したときにはすでに温度が違っていた。
それは昔、王女に向けていたのとよく似ていてまるで違う色、温度。
――彼女を特別なひとと、どうやら認識したらしい。
指摘したならムキになる意地になると分かっているから、何も言わない。すべてを忘れてリセットされた心に、少なくとも彼だけは文句をつけるつもりはない。本当は何ひとつ知らなかった無垢な心に、やはり彼だけは何も言いたくはない。ひょっとしたら面倒くさい立場や何やかやでそのうち苦労するかもしれないものの、まあそれはその時、負けず嫌いの彼なら自力でどうにかしようとするだろう。
助けを求められたなら、その時にはもちろん全力で応援するつもりだけれど。
何かあると、いや、何もなくても常に彼女を捜している目、
その割にじっと目線が合ったなら、その瞬間から落ち着きなくそらされる目、
目線さえ合っていないならそれだけで安心して、はた目から見たらほほえましいほどやさしい目をして、
泣いて怒って笑って、いつだって感情あらわなその目は彼女を映すときだけ温度が違う。
多分、自覚さえないのだろうけれど。聡いようでこういった面には鈍い彼女は、彼女だけは気付いていないのだろうけれど。
本人たち以外、誰もがそれに気付いていて。
「どうせ何かやらかしたんだろ? で、余計なこと何か言ってさらに彼女を怒らせたんだろ?? おまえの悪い癖だよなー、こーゆーとこで素直なら面倒がないってのに」
「べ、別にティアが怒ってようがおれは……」
「ほー。オレは誰がとは言わなかったはずなんだがなあ」
「ぐっ……」
図星に息を声を詰まらせるルークに、ガイは笑った。こういうところの反応は変わらない彼に、なんとなくほっとしていた。どこか安堵している自分をその意味を分かっていて、だから声を上げて笑って、
「謝るなら早いほうがいいと思うぜ? どうせおまえのこった、自分が悪いって分かってて、それでも踏ん切りつかないだけだろ?? ……そうだな、普通は花やら何やらを持っていくのがセオリーってもんだが、まあ、相手がティアなら手ぶらのほうが良いなきっと。
ほら行った行った」
「な、おいガイ! おれは、」
「おーいティア! ちょっといいか、ルークが話があるってさ」
「おい!?」
大声で呼んだなら、件の彼女はすぐにやって来た。多分先ほどの大声が原因でずっとこちらを伺っていたのだろうに、それに思い当たらないルークはひたすらあわてて立ち上がる。立ち上がって二歩三歩、逃げようというのか歩み寄ろうというのかガイから離れて。
それでもあわてながらも一言二言、立ち居地の関係からルークの表情は分からないけれど、怪訝そうだった彼女の顔がやがて苦笑に変わったから。だからきっとうまくいったのだと思う。
変わろうとして、けれど人間はそうそう変わったりしない。意識していない点ではなおさらだ。だからいちいち心配なんてしていたら身がもたない、――彼はちゃんと成長している。
今までもそうだったように。
分かっていて、それでも時々ふっと、胸の中黒いもやがよぎることがある。
「……まあ、正体は単なる嫉妬心とかそのへんなんだろうけどな」
わざと声に出してつぶやいて、ガイはやれやれと自分に息を吐いた。
年齢以上に幼いルークは彼にとって手がかかる分かわいい弟分で、横からかっさらわれたようできっとそれが面白くないのだろう。
馬鹿みたいな嫉妬心だ、分かっていてもそれをおさえられない自分のなんて未熟なことか。
ルークは成長している、たとえばこうして彼にとって特別な女性を自力で見つけ出した。
その気さえあったならやってやれない彼を、不可能などきっとない彼を、何ごとであれやりとげるだろう彼を。誰より近くで見続けてきたガイはちゃんとちゃんと知っている。
変わりたいと願うなら、きっと彼は変わるだろう。彼の願う方向に変わることができるだろう。
そして、そのかたわらにはきっとずっと彼女がいてくれるはずだ。
心の底に、だから黒いもやを押し殺して。ゆっくり立ち上がった彼は、一度だけ振り向いてみた。
幼かった少年は、そして今彼の特別な彼女と何やら笑い合っている。
だから無理やり安堵して、彼はまっすぐ前を向いた。
黒いもやは、多分しばらくわだかまったまま消えないと知っている。
