のばした手が届かない。
すれ違う、その感覚はなんて淋しい。

―― 離別 [離れてしまわないで]

「ルーク、」
呼びかけた声をナタリアは飲み込んだ。旅の最中の小休止、ふと脇を通り過ぎた彼に何気なく声をかけた、その程度だったから諦めた。
彼がまっすぐに見ているのは、向こうからふらりとやってきた理由は彼女になくて。きっと彼女がそこにいたことにさえ気付かなかった彼は、ただ亜麻色の髪の乙女にまっすぐ近寄って何ごとか話しかけて、満面の幼い笑顔を浮かべている。

◇◆◇◆◇◆

ずっと彼を想っていた。
ものごころ付くころには彼はすでに婚約者だったし、幼い身で将来を誓い合ったりもした。彼が誘拐されて行方が知れなくなって、目の前が真っ暗になった。無事発見されたの報に暗かった世界に再び光がさして、けれど記憶が失われていた――そう告げられて、胸の奥に重く冷たいかたまりを覚えた。
失われた記憶は、それでも再び戻ると信じて。信じて彼に接し続けて、ずっとずっと彼を想い続けて。
真実はそうではなかったにしろ、けれど彼を想い続けて今のナタリアはあるから。
想う相手を間違えていたにしろ、想っていた過去は消えたりしないから。

ずっと彼を見ていた、自分は彼の婚約者だった。
だから本当は分かっている。彼がどこを、誰を見ているかなんて本当は分かりきっている。

◇◆◇◆◇◆

「……だって幼馴染でしたのよ」
「え? 何か言ったかしら、ナタリア??」
「いいえ。……そういえばティア、先ほどふと見てしまったのですけれど。ルークと一体何を話していましたの?」
おたま片手になべの様子を見ていたティアが、ふと振り返った。さらりと流れた髪に、その無防備な笑顔に。二歳ほど年下の乙女に嫉妬めいた感情を抱いている自分を感じながら恥じながら、危なっかしい手つきで野菜を切っていた手を止めてナタリアはつぶやいた。
ちらりと目をやったなら彼女は白い肌にぱっと血の色を浮かべて、やだ、大したことじゃないのよ、とか何とかそんなことをもごもごと口の中につぶやいている。
「昔ガイと話しているとき、似たような顔を見ましたわ。事情を知ってしまえば当然ですけれど……、いたずらっこみたいな、そんな無邪気な笑みでした。
今日見たルークの笑顔はそれと似ていて違う。少し気になりましたの」
「ほ、ほんとに大したことじゃないの。ええと、だから気にしないで……」
別にいじめているつもりはなかったのに、手にしたおたまを抱きしめるように恥らう姿はなんだか、

一見はかなげな、その実強い強い彼女。詠うために生まれたようなきれいな声、自分にも他人にも厳しいけれど本当は押し殺しているだけのやさしい心。
彼が惹かれたのはその外見にだろうか、それとも内面になのだろうか。

懸命に冷静を装いながら真っ赤になってその赤は隠せなくて、勢いおたまでぐるぐるぐるとなべをかきまぜて、何かがまずかったのだろう、しまったとなべに目を落として顔色を変えている。
その、しっかりしているようでその実時おりかわいらしい姿を見せる、ギャップにかもしれないなと、ナタリアはそんな風にもぼんやり思う。

◇◆◇◆◇◆

異性として彼女が愛しているのはきっと彼ではないけれど。
十七年のつもりで実は十年と七年で、けれど確実に一緒に育ってきた大切なひと。彼女も彼も王族で、歳の近い友人なんて他に気軽に作ることができなかった、だから余計に向ける心は大きいのだと思う。
彼女にとっての彼はそんな存在で、きっとその認識に間違いはなくて。
けれど彼にとっての彼女はそうではないのかもしれない。
記憶障害を疑わなかったときは思いもしなかったそんな思い付きに、ナタリアは小首をかしげる。分裂している自分の心がなんだかふしぎな感じがする。彼は彼で、彼のまま何も変わらないのに。事実を知って変わってしまった自分の心になんだか妙な感じがする。

だからだろうか。
些細なことにぐらつくその心を感じていたから、彼は彼女を見なかったのだろうか。
大切なひと、その心は変わらないはずなのに、それでも変わってしまう心を彼はうすうす感じていて、だから……?
だから何も知らない、知らないからこそありのままの彼を見るこの乙女を、特別な異性として見たのだろうか。想いはただただ純化して、だから今彼が見ているのは乙女だけなのだろうか。

◇◆◇◆◇◆

「なっ、ナタリアが不安に思わなくても!」
「?」
「……別に何も不安に思わなくても、彼はちゃんとあなたが好きよ?」
「幼馴染として、仲間として? 異性としてではありませんわね、……だったらあなたが平然とそんなこと言うはずありませんもの」
なべの中の具は、おたまの攻撃できっとぐずぐずに壊滅的ダメージを受けているに違いない。どうでもいいことをぼんやり思いながら、ほほから耳から額から首筋から肩から、きっと肌全部を真っ赤にしたティアをただ見ていた。
照れる姿が、恥らう姿が、ああ、同性の目から見てもなんて愛らしいと思うから。
――彼女の大切な彼が惚れるのも、これはもう仕方がないかなと。

「大切ですわ、ルークが。わたくしは、けれどあなたも大切ですのよ?
仲間、ですもの。王も民も国も関係ない、あなたはわたくしの仲間ですもの」
心を落ち着けて、ナイフを手に食材に向き直る。自分でも分かっているへっぴり腰で、もう一度それを切り分けていく。
「分かっているのです、これはただ淋しいだけ。大切な人が一気に増えて、大切なひと同士が想い合って、……変わらなかった今までをただ懐かしんでいるだけ」

それでも、頼りなくてもちゃんと前進している自分に今は満足しておこう。
淋しい気持ちはあるけれど、それを認めて、今は祝福しておこう。
大切なひとが本人にとって何より大切なひとを見つけた、それはきっと嬉しいことなのだから。

◇◆◇◆◇◆

「……ところで従兄弟の奥方のことは、なんと呼びましたっけ……?」
「ナタリア!?」

のばした手が届かない。
すれ違う、その感覚はなんて淋しい。

それでも彼女は、また真っ赤になったティアにふわりと微笑みかける。

―― End ――
2006/08/24UP
離れてしまわないで / 安心をくれる人へおくる5題_toaルーク×ティア_
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離別 [離れてしまわないで]
[最終修正 - 2024/06/14-16:36]