鋭くにらむような目に、けれど彼女を見るときだけはやさしくなる目に。
本当は最初から気付いていた。
――ヴァンはアクゼリュスを崩壊させるつもりだ。
アクゼリュス第十四坑道、一行と離れたティアが神託の盾にさらわれそうになったとき。抜き身の剣を手に突如乱入してきた赤毛の男は、開口一番そううめいた。口早にいくつか説明して、そして急げと坑道の先を示した彼は、そのあとの台詞はきっとティアに聞こえないようにつぶやいたつもりなのだろう。
けれど音律士のティアの耳は、こと音に関することならほかの誰よりも抜きん出ている。
だから聞こえた、聞いてしまった。
――くそっ、ナタリア、何でこいつらに同行している!?
その声を、声を確かに包む心の色までも。ティアの耳には届いてしまった。
そしてアクゼリュスのセフィロトは言葉通り破壊され、かの地は魔界に崩落して。たどり着いたユリアシティで。
気を失ったルークを部屋に運ぶ途中、ナタリアとすれ違った。
それまでどこまでも冷えきった凍り付いたようだったアッシュの目に、ほんのひとひらぬくもりがともったことを、ティアの目は見ていた。口の中でつぶやくように呼んだ彼女の名前を、ティアの耳は拾っていた。
――彼女を愛しているのね。
そう直球につぶやくことができたなら、渦巻くもやは心に生まれなかっただろうか。
――彼女もあなたを、「ルーク」をきっと愛しているわ。
そう告げることができたなら、澱は心に積もらなかっただろうか。
――想い合っているのに、想いを告げないの?
――きっとたったひとり特別に想う彼女さえ、あなたは切り捨ててそれで平気なの?
――あなたは、何に縛られているの?
疑問を、心に浮かぶ言葉たちをそのまま口に出すことができたなら。そうしたら彼は忠告どおりに彼女に伝えていただろうか。
きっとありえなかった、けれど試していない以上完全に否定もできないそれらにティアの口の端がそっと持ち上がる。
「――何がおかしい」
「いいえ、なんでもないわ。ごめんなさい、この家の二階の部屋のベッドまで彼を連れて行って」
「おまえがこんな屑のために頭を下げることはないと思うがな」
「それはわたしの勝手でしょう?」
懐かしい我が家を懐かしむ暇などなくて、任務前に整えた部屋がきっとそのままになっていることを確認するために、彼を先導するために階段を駆け上がる。灯を入れてベッドをざっと整えたころに、ひと一人抱えているとは思えないなんでもない顔でアッシュがやってきた。
そしてそのベッドにどさりと無造作に、気を失ったままのルークをおろす。
「――タルタロスを上へと持ち帰りたい、死霊使いはどこにいる?」
「あなたと一緒にいたわたしに、あなたの知らないことが分かるはずがないでしょう。任務の報告に出なければならないから、そのついでに捜しておくわ。
この家に呼んでくればいいのね」
「ああ」
それ以上は話すことがなくて会話をするつもりもなくて、すぐさま彼に背を向ける。多分きっと彼はこの家を出ない――家のすぐ前にナタリアがいたから、それはきっと多分。
彼らの間に何があったのかは知らない、けれど彼の思うことはなんとなく分かるような気がする。
「……ティア、あの、彼は……」
「アッシュならさっきまではこの家に二階にいたわ。……気を失ったルークを部屋まで運んでくれて、そのあとのことは分からない」
「そう、ですか……」
暗い顔でしょんぼりうつむいたナタリアは、ティアの目に戸惑っているというよりは落ち込んでいるように見えた。おそらくつい先ほど知った事実に打ちのめされているのだろうと予想がついて、ティアはそっと息を吐く。
――違うわ、彼は別に怒ってなどいない。
――他の相手に、たとえばルークには怒っているけれど、あなたに対しては決して怒りを抱いたりしない。
――きっと再会を喜んでいるわ、そして同時に淋しがっている。
――何もなかったようにあなたの隣に戻ることができない、そのつもりがないから、そんなことができないからただただ淋しがっている。
――彼の特別は、あなたよ。
――だからどうか、そんなに哀しい顔をしないで。
言いたい言葉が次々浮かんで、けれど結局何も言うことができない。先ほど彼に対して言うことができなかったように、ナタリアに対しても。
自分が勝手に見たこと、勝手に聞いてしまったこと、思い込みの独断の推測。だからこそ説得力がないと知っているから、ティアは何も言うことができない。間違っているかもしれない、そう思ったなら声にして伝えるわけにいかない。
だから、ただ。
細い肩に、触れてしまえば驚くほど細い肩に、包むように手を置いた。はじかれるように上がった顔に静かな微笑みを向けて、それ以上は何もしないで手を離した、そして彼女に背を向け足を進める。
するべきことはたくさんある、ここで歩みを止めているわけにはいかない。
彼も彼女も、ティア自身も。
――アッシュ。
――あなたは彼女に何も告げないの、伝えないの?
――愛していて、今も愛しているのでしょう。
――そのナタリアが、今こんなに不安に思っているのに。
鋭くにらむような目に、けれど彼女を見るときだけはやさしくなる目に。
本当は最初から気付いていた。
彼に何も言うつもりがないことを、本当は最初から分かっていた。
