懸命になるなんて馬鹿らしいと嗤った。
けれどそんなことを言うおまえが一番、何かに懸命になっているように見えるのに。
導師イオンをさらってくる手はずの神託の盾兵の姿はまだ見えない。空はいつしかどんより暗くなっていて、もうそろそろ雨でも降り出しそうだ。
導師を引き取ったならタルタロスでザオ遺跡に連れて行って、ダアト式封咒を解かせる。
とりあえずはヴァンのそんな指示に従うつもりでいて――忙しくなることは知っていたけれど、当の導師が来ないことにはすることもない。
「思うものは違っても、想いそのものは共通なのか……?」
「アッシュ? 何か言ったかい??」
手持ち無沙汰に待つしかないアッシュがふとつぶやいて、それに反応したのは同じ任を言い渡された、おそらくは彼の監視役の仮面の少年だけだった。仮面のせいでいつも何を考えているものか表情が隠されているものの、ひょっとしたら彼も同じように退屈をもてあましていたのかもしれない。
理屈ではそう思うものの、なんだか妙な感じがした。
「――珍しいこともあるもんだな。単なる独り言に反応しやがるとは」
「ヒマジンのヒマなつぶやきに付き合ってやる程度には、こっちも退屈してるのさ」
いつだって揶揄の言葉しか吐かないシンクは、やはりアッシュの神経を逆なですることを、わざわざそんな言葉を選んで言い返す。むっとしたもののこいつはこういうやつだと自分に言い聞かせて、かっとしたら負けだと自分に言い聞かせて、感情をごまかすように鼻で笑ってみせる。
「……たとえばおまえにも守りたいものがあるのか、気になっただけだ」
「まるでアンタにはそんなモノがあるみたいな口ぶりだね?」
「死ぬために戦うわけじゃねえんだ、当たり前だろう」
あるいはそうやって言葉を混ぜ返して、本心を吐かないことは少年のいつもだった。知っていてうっかりつられてしまって、なんとなく悔しい思いを呑んだアッシュはシンクに背を向ける。
馬鹿げた質問をしてしまった。変わらなかった今までを、何もないくせにいきなりひっくり返すわけはない。
無駄話でも何でも、相手がこの少年では盛り上がるはずがない。全身虚無をまとっているような、個を押し殺しきったこの少年に、意見を求めようなんて無駄でしかない。
「懸命になるなんてバカらしいじゃないか。誰もがいつかは死ぬんだから」
だから背を向けることで、話を打ち切って。
けれど背に聞こえたつぶやきに、アッシュは動きを止めた。一瞬。すぐに何も聞かなかった風をよそおってシンクに完全に背を向ける。その一瞬に気付いたのかどうなのか、少年はそれきり何も言わない。
だから彼もそれ以上は口をつぐむ。
――誰もがいつかは死ぬ、それは事実だ。
――誰もが死ぬ、何もかもがいつかは風化し消え去る。
――けれどそれまでの間、生きている間に存在が続く間に何をなすか。
――何を思ってそれを実行に移すか。
――訊きたかったのはそこなのに。
分かっていてはぐらかしたのか、分からなくて結果はぐらかしたのか、判断がつかない。ひねくれきった少年は時としてどうしようもなく純でもあって、だからどう判断していいものか分からない。
ただ生きていくには理由が必要だと思ったし、理由を糧にするには心が必要だと思う。ばらばらで実のところまるでまとまりのない六神将も、理由なり思いなりが共通で、だからこうしてこの場にいるのではと、――アッシュは考えるけれど。
シンクの場合は、違うのだろうか。
従う相手がたまたま共通だった、ヴァンという一人の人間にたまたま従っている、たったそれだけなのだろうか。
――本当に?
懸命になるなんて馬鹿らしいと嗤った。
けれどそんなことを言うおまえが一番、何かに懸命になっているように見えるのに。
たとえば魔物に育てられたあの少女。彼女に対するときだけはなんだか雰囲気が違うような気がするのに。言葉も態度もいつもどおり、ただ雰囲気だけはどこか違うと思うのに。
すべてすべて、本当にアッシュの勘違いなのだろうか。
暗い空のおかげで視界がきかない。いつかけぶるように雨が降りはじめていて、曇天のその向こうにやがてやわらかな緑の色が見えてきた。
身体の弱いらしい導師は、あまり雨ざらしにしていいものでもないだろう。風邪やら体調不良やらを訴えられると、何より彼が面倒な思いをすることになる。
手近な兵にあたたかい飲みものあたりやら身体を拭くものやらの準備を言い渡し、別の兵にタルタロスの発進準備をするように言い渡し、神託の盾兵二人に連れられる導師を迎えるためにそちらに身体を向けた。
そのアッシュの背に、
「……守るべきものなんてボクにはないさ。壊したいものがある、戦う理由はただそれだけだよ」
つぶやくようなその声は、雨音に消されて。だから聞こえなかったことにして、同意も否定もしないことにする。本当か嘘かアッシュには判断がつかないから、きっとシンク本人にも判断しきれないものだから。
仮面の下にあるその表情を、きっと誰にもうかがい知ることはできない。
