そうやって生き残ってきたのだと。
きっと今までも、多分これからも。
「――おやアリエッタ。ここ、腕のところ。血が出てるじゃありませんか」
「……血……?」
いつも薄暗い教団内、本人の小さな身体よりもずっと大きな魔物の姿に少女がそこにいることに気が付いた。別にだからといっても何もないけれど、多分気が向いたのだろう。すべるように近付けばとぼとぼと歩く彼女のその黒い服の袖に見覚えのない赤い模様を見つけた。
なんだろうと好奇心が刺激されて、何気なく声をかけてさらに近寄ったなら。
なんてことはない、それは単なる傷のようだった。
「怪我をしたなら治療をするものですよ」
幸いここは教団内、通常は希少な第七音譜術士も多数いる。手近な奇跡として治癒は人気が高いから、預言士以外に治癒士も多数いるだろう。
なんでもないことのつもりでそうつぶやいたなら、ぼんやり自分の腕を、傷を見ていたアリエッタがけれどゆるりと首を振る。いつかディストが贈ったぬいぐるみを怪我をしていない方の手で抱え込んで、それにあごを埋めてゆるりと首を振る。
「……いい、いらない……薬も術も、アリエッタは嫌い」
「好き嫌いの問題じゃないだろう、バカだな」
三人目の声にふと顔を上げたなら、いつの間にかシンクが来ていた。
その場で大げさに、いつものように人を小馬鹿にするように肩をすくめてから足早に近寄ってくる。ディストの存在を無視してその脇をすり抜けて、少女のすぐ脇に立って。多分傷そのものには触れないように、けれど乱暴に傷のある方の腕を取り上げた。
元から泣きそうなアリエッタの顔が、そしてきゅっとゆがんで。どうやらシンクは笑ったらしい。
「……手当てしないと痛いんだろう? それで薬も術もイヤだなんて、まったくバカじゃないのかい?」
「それだけの血です、傷はかなり深そうですよ。治癒士のところへ送り届けるなりその手で手当てしてあげるなり、何とかしてあげたらどうです、シンク?」
「アンタに言われるまでもないね。――来なよアリエッタ、ほら」
指先から滴り落ちていた床の血に気付いて指摘したなら、それこそ人を小馬鹿にするようなかわいくない台詞が返ってきた。
決してやさしくはない、ひょっとしたらモノを扱うようないい加減さでアリエッタの腕を引いて、そのあとをそういえば落ち着きのない魔物が追って歩いていく。
薬も術もいやだと、では今まで怪我をしたときはどうしてきたのか。思って、魔物に育てられたという少女の特殊な生い立ちに、では魔物と同じく舐めることで傷を癒してきたのかと思い当たった。
運よく大きな怪我をしなかったならそれですんだのかもしれない。年齢の割に発育の遅い細く小さな身体は、けれどおそらく健康だ。
それでも、六陣将として、教団の中に実際に戦う兵としているならば。
いつか薬や術に頼らなくてはならない大怪我をするだろう。あるいはあの腕の傷も早めに人の手で治療しなければ、最悪障害が残るかもしれない。もしかしたら常にそばに控えるあの魔物の方が、人の血のにおいに狂う可能性だってある。
――そうやって生き残ってきたのだと。
――きっと今までも、多分これからも。
彼女本人はそう主張するだろう。
けれど放っておいて良いことはないはずだし、昔はどうあれ今は人間の社会にいるのだ。人間の常識を身につけてもらわないことには、同じ六陣将として自分が困る。
遠ざかる二つの背中および魔物を見送って、魔物の大きな身体に比べて頼りないほどか細い背中を見送って、
床を見れば点々と残る赤い跡を無感動に見つめて、
ディストはひとり口元をゆがめた。
生も死も、ここは近すぎる。
あるいは魔物の暮らす、人の手の入らない深い深い森よりも。
どちらが彼女にとって幸せなのかは分からないけれど、少なくともここは、彼女が現在生きているここはそういう場所だ。
――緑の髪の少年は、そんな少女に果たして。
答えの出ない疑問に飽きて、そして二人の背中とは別の方へ、ディストもまた歩き去る。
あとにはただ、黒ずんでいくばかりの赤い赤い血の跡だけ。
