たぶんあなたがいてくれるなら。
きっと悪夢は訪れることがない。
「アニスもう寝たー?」
闇の向こうから声が聞こえて、やれやれと彼女は息を吐いた。
「アニス?」
「……まだ寝てないよ。ていうかフローリアン、とっとと寝なさい」
「えー? もったいないんだもん、せっかくアニスと一緒なのに」
「もったいないとかそーゆー問題じゃないよ。夜は寝るの。……昼間あれだけ騒いでたんだもん、フローリアンも疲れたでしょ?」
「アニスがいるから平気ー」
「……う、嬉しくない嬉しくないっ! ほらほら、黙って目を閉じて!!」
「えー」
――ダアトの夜は、きらいだ。
――夜は、静かな時間は。
――思い出したくないことを、思い出したくないのに。
――もやもやもやと、思い起こさせるから。
――もやもやもやと、嫌な夢を見てしまうから。
たまに戻ってきたんだからと、仲間に余計な気を回された。必要ないのに教団に取り残されて、タトリン一家の部屋で、夜。何度目かも分からない寝返りに深く息を吐き出した。
しかも今日は、両親ともが何か用事とかで、結局この部屋にひとりきりで。
仲間たちはそんなこときっと知らなかったのだろう、けれどとにかく気が滅入る。
もやもや頭に浮かんだいろいろは決して忘れていい種類のものではないけれど、それでもこうして思い浮かんでしまえばとても陽気ではいられなくて。誰もいなければ無理な演技をする必要もないけれど、演技をしている間は確かにどこかが救われていたのだと、そんなことを思い知らせて。
――そんなこと知りたくなかったのに。
利己的に思ってため息が浮かんで、そんな自分にますます気が滅入って。
そんな時。
寝巻き姿に枕を抱えたフローリアンが部屋を訪ねてきた。
アニスになついている彼は、一般常識が足りないためその他の理由で、まだまだこの教団の外に出ることを許されていない彼は。たまにアニスが帰ってくれば大歓迎だし、時間が許す限りずっと彼女にべったりで。
それはなつかれることは嬉しいものの。
一応としごろの乙女として、野宿でもないのにひとつの部屋で休むことに対して、アニスはどうしても及び腰になるのに。
意外と頑固に押し切られてしまえば、どうしてもうなずいてしまう。
「だってアニス、明日はまた発っちゃうんでしょ? しかも朝に出発なんでしょ?? 一緒にいられるのって、もう、夜だけだから」
えへへ、と闇の向こうにフローリアンが笑う。くすぐったい、嬉しくないわけではない。――けれどやはり、どうにも気恥ずかしい。
「……なんであたしにこだわるかなー。誰かにいじめられた?」
「トリトハイム詠師とか、みんな変な顔してるけど。まだ変な顔してるけど。
でも問題ないよ。
それでもアニスと一緒にいたい」
……知っている、分かっている。
……彼に他意はない、勝手にどきどきするのに意味はない。
――それでも、こんな強烈なくどき言葉、平気に吐き出してくれなくても。
「……もういい、あたしは寝る! 旅って疲れるんだからねっ!?」
「えー。……いいよ、アニスと一緒にいられるのは嬉しいから。アニスが寝ててもぼくは嬉しいから」
「……!! おやすみ!」
にまにまゆるむ口元なんて知らない。本当は悶々を抱えて苦しむべきだと分かっている。
それでも、見えない黒の向こうに無邪気な彼の声を聞いてしまえば。
かたちのない、けれどちゃんとそこにある「何か」に。
やさしく包まれた感じがするから。
たぶんあなたがいてくれるなら。
きっと悪夢は訪れることがない。
あなたはまるで、闇を照らすあかりだから。
悪夢はあなたに近寄ることができない。
返事をあきらめて、アニスは今度こそ目を閉じた。
ひとりではない、彼がここにいる――それは。その事実は。
こうして胸に、小さく確かな明かりをともす。
