ふわり、花の香りが流れて。
抱きしめた小さな身体はかすかに震えていて。
「うわあ、なんだかいいにおい!」
ふわり、風が運んだ香りにフローリアンは思わず足を止めた。並んで歩いていた少女が立ち止まった彼を置いてけぼりに一歩半、同じく足を止めてくるりと首を動かして、その背にあるぬいぐるみが彼女の動きに合わせて揺れる。
「……ああ、もうこの花の季節かあ」
彼女のつぶやきを聞きながら見渡した彼の視線には、やがて開かれた窓が映って。多分同じタイミングで同じものに目を止めたのだろう、それに向かって歩き出したアニスに、なんだかぶつかりそうになる。
思わず足を止めたのも同じタイミング、それがなんだか面白くて二人でくすくすと笑った。
「アニスは知ってるの? これ、花のにおい??」
「ん。なんて名前だったかなあ……ちょっと忘れちゃったけど。ぱっと見地味な花でね、でも香りはほら、こんなに良いんだ」
ローレライ教団の大きな建物には、実はあまり窓がない。そのほとんどない窓のひとつ、図書室の一角。多分通気のためにほんの少し開かれた隙間から、ふわりふわりと今もいいにおいが流れ込んでくる。目当ての本を探してうろうろしていた二人を引き寄せて、今もふわふわいいにおいがただよってくる。
そしてガラスに手をついて香りの元を探そうとするフローリアンに、アニスがなんだか笑った。
――けれどそれは、あまり楽しい、明るい笑みではなくて。
「……アニスはこの花、きらい?」
「ほへ? ……そ、そんなことない、そんなことないよフローリアン!」
「でもここ、ぎゅってなってる」
自分の額を指差したなら、あわてた顔の彼女が自分の眉間に大急ぎで触れる。なでてのばしてなかったことにして、たはは、と笑いかけてくる。
「だいじょぶ、……うん、大丈夫。いい香りするし、あたしはこの花好きだよ?」
「でもアニス、」
無理に作っているに違いないその笑顔が胸に痛くて、フローリアンは納得できない。そんな彼にアニスがまた、先ほどと同じどこか痛々しい笑みを浮かべる。
「前にね、聞いたことがあったよ。においって、他の何よりも記憶と結びつきが強いんだって」
「……?」
言ったのは多分、彼女と一緒に行動しているあの軍服の長身だろう。そんなことはぼんやり分かるけれど、アニスの言いたいことがフローリアンにはよく分からない。
ますます首をかしげたなら、彼女はただ笑う。
「だから、大丈夫。……この花は好きだしこの香りも好きだし、やな記憶じゃないんだよ? ちょっと淋しい記憶ってだけで、だから、……大丈夫だから」
痛々しい笑みで、ただただ笑うから。
切なくなって、フローリアンが切なくなってアニスに手をのばした。少しだけ逃げるそぶりを見せた彼女を許さないで、包み込むように抱きしめる。
「ふ、ふろーりあん!?」
ひっくり返った声をあげて、身じろぎしようとするアニスを。ますますきつく、力いっぱい抱きしめる。
ふわり、花の香りが流れて。
香りのように彼女が消えてしまわないように、そんなことを祈りながら。香りのように彼女の顔から哀しみが消えるように、そんなことを祈りながら。
抱きしめた小さな身体はかすかに震えていて。
――その震えが、やがてゆっくりおさまっていく。
