すべての美しいものを、あなたに。
――そうか、俺は死ぬのか。
たった今聞いた説明が、脳みその表面をすべっていくのを感じながら。ただぽつりとそう思った。
――そうか、俺は消えるのか。
ここのところ時おり襲ってくる発作、そのたびにゆっくりと薄れていく現実感――いや、彼がこの世界から存在をなくしていくような、まるでそんなあの錯覚は。そうか、錯覚ではなかったのか。
何をどう、とは覚えていない。気付けば道に出ていて、彼の脇を町の人間が歩いていた。ごくささやかな日常の中にいた。見上げたなら障気にけぶる視界、遠くかすかに譜石が見えたような気がして。
いつか消えてしまう自分は、天空のあれよりも劣っているのかと。
ぼんやりとそんなことを思えば、いいようもない感情が腹の底から生まれる。
たまたま、本当にたまたま偶然にローレライと同じ固有音素振動数でこの世界に生まれ落ちた。だからこそ単独で超振動を扱う身になったし、だからこそ他者の思惑で誘拐されて、だからこそ予定されていた人生すべてをひっくり返された。
恨むとすれば、果たして何を恨めば良いのだろう。
彼が生まれたのと同じくらい偶然の下、もしかしたらそれ以上の天文学的確率で生まれてしまった、あの愚かなレプリカを恨めば良いのだろうか。
「くそっ」
吐き捨てる。足は勝手に街の外に向かっていて、茂みの奥にアルビオール三号機の黒い機体が見えてくる。
悔しいのは。自分の最後が明確に見えてきた今も、告げられた今でも、恨む気持ちよりも先に残された時間で自分に何が出来るか探ってしまう、自分のこの生真面目さだった。人生の終わりを告げられてなお、焦がれる気持ちのまるで曇らないこの心だった。
――やるべきこと、できること。
この生の終わりまで、彼のすべてを捧げても惜しくはない存在を想うこの心は。それはなんて厄介なのだろう。どれほど厄介と思ってもとうてい棄てられるものではないこの心は、なんて、
――ナタリア。
――すまない、本当はおまえの隣に戻れたら、とどこかで期待していたんだ。
彼の心に太陽よりも華やかに微笑む彼女。実物はさらに彼の心を捕らえて離さない。
――ああ、そうか。
――おまえに出逢えたことそのものが俺の中の奇跡だったんだな。
――おまえと同じ夢を見ることができた、あの幼い日々それだけで。
――俺は俺の中の何かすべてを、きっと使い果たしてしまったんだ。
王となる彼女の隣に、伴侶として控えたかった。それが当然で、けれどそれはついえた。ならばそれがたとえかなわなくても、たとえば彼女の治める地にただ立つことができたなら。
それで十分だと思っていた。
けれどそれさえも、彼には過ぎていたらしい。
――それなら。
――ひっくり返すことのできないこの事実に、けれどそれでも少しでも抗うには。
飛び立った先、高い高い空。見下ろしたならどんよりとけぶった、障気に覆われた大地。見た目だけではない、次世代にはぐっと出生率を落とすというまさに魔の空気。
障気。
――すべての美しいものを、あなたに。
――醜いものは、俺が排除しよう。
できることはまだある。限られたとはいえ、彼の時間はまだもう少しある。あるいは、――認めたいわけでは決してないものの、あのレプリカも彼の一部だともしも考えるなら。
彼にできることは、彼女のためにできることは。
まだ、いくつかある。
すべてを試すことはできないまでも、いくつかは。
――ナタリア。
――俺の、太陽。
――血にまみれても泥をすすっても、おまえを想う心だけは棄てないから。
――おまえを想う心だけは、きっとおまえの存在だけで少しも汚れたりしないから。
――おまえを想う心くらいは、俺の好きにできると。
――愚かでもいい、そう信じているから。
この生の終わりまで、人生の最後の瞬間まで。
華やかで美しい彼女の笑顔を、ただそれを願う。
それを守るためなら、それこそ生命を賭けても惜しくはない。どんなことだってしてみせよう。
共に歩む未来はかなわなくても、
――あの約束を果たすことが、絶対にできないと悟った今でも。
