相変わらずのマリア、彼の知るマリア。
いつもと違うのは、

―― 忘本 [忘れるな]

彼が部屋に入ると、ベッドの上の人影はどうやら窓から外を眺めていたようだった。先日包帯が取れたばかりの青い頭は、たぶん彼の存在を知っているだろうに身じろぎもしない。
「……おとなしく寝てろ」
無視されることが腹立たしくないわけではなかったけれど、それをおさえてどうにか頭の中を探して浮かんできた言葉。投げつけながら歩いて、彼女のいるベッドまで歩み寄って、力づくでもというつもりで細い肩に触れる。
「別に、身体はなんともないのよ。寝飽きたわ」
相変わらず視線は窓の外を向いたまま、けれど感情の揺らぎのない声があっさりと逆らった。

◇◆◇◆◇◆

現在地、カルサアの某領主屋敷の一角。マリアがここに寝泊りしてすでに数日が過ぎていて、仲間たちはばたばたと出入りが激しくて、お前はここにいろとアルベルは釘を刺されていた。
ここに、というのがこの部屋になのかこの屋敷になのかそれともその周辺まで含むのかはては町全体国全体大陸全体なのか。誰も言及しなかったためアルベルの好きに取れたけれど、とりあえず彼はこの屋敷からは出ていない。言われて聞くような彼ではなかったけれど、言われるまでもなくここから離れる気は起きない。
離れないまま日に数日、マリアのいるその部屋に顔を出している。

◇◆◇◆◇◆

「なんともないってのはねえだろうが。死にかけの大怪我したのはどこの誰だ」
「アイテムやら施術やら大盤振る舞いだったんでしょう? おかげで今は傷痕ひとつ残ってないわ。なんともないわよ」
相変わらず窓の外を向いたままのマリア、彼の知るマリアどおり、どこまでも冷酷に苛烈に言い切る口調。

いつもと違うのは、先を急ごうという焦りがないことと。
別の意味で焦って追い詰められて、それを隠しきることができないこと。
ささくれ立ったアルベルのこころと、それに対するかすかな怯えを隠しきることができないこと。

「なんともないってのはねえだろうが」
ぼそりと低くつぶやけは、ひくりと細い身体がはねる。片膝を乗り上げたベッドがぎしりと小さくきしんで、触れていただけの手はいつか細い肩を掴んでいる。
それでもかたくななに窓の外を見る、彼から目を顔を背けるマリア。すねているのとは違う、必死に、たぶん必死に。アルベルから目をそらしている。
あるいは、それは現実から。
彼の目に、今のマリアはそう見える。

「なんともないわ」
「……こっち見てほざけ」
「必要ない、なんともないのよ」
「それは俺が決める」
力に訴えれば、やたらと細くてしかも病み上がりのマリアなんていくらでも彼の好きにすることができる。分かっているけれどそうしたいとは思わなくて、かみ合わない会話だけがただ行きかう。意味のない会話だけが続く。
窓の外には、土ぼこり立つカルサアの町並み。昼間の空虚な時間なのか、人影も猫の影すらない。そんなものに何か価値を見出すようなマリアではないと、アルベルの知るマリアではないと、思うからただ彼と顔を合わせたくないのだろうと。
思って、苛立って。掴んでいた手にうっかり力を入れてしまったらしく、掴まれていた肩がきしんだのかマリアが小さく跳ね上がる。

「こっち向け」
「いや」
マリアの反応に思わず引いた手、それに腹が立って細いあごをつかみ上げる。くっと持ち上げるように、結局は無理やりに彼の方を振り向かせる。
きつい目つき、非難する翠の瞳。冷酷で苛烈で、誰よりも脆くて誰よりも強い女。
アルベルの知る、マリア・トレイター。
「今の私を見ないあなたなんて、見たくない」
きつくて淋しい、きっぱりと言い切るその言葉さえも。

◇◆◇◆◇◆

生死の境をさまようような大怪我を負って、何とか生還したマリアからは記憶が失われていた。そういう症例もあると、大騒ぎすることではないと、カルテを片手にあの金髪の女は静かに言った。
――何気ないきっかけで戻ることが多いと聞きますから、体調が回復したならあちこちつれまわすのもいいかもしれませんね。
ほつりとつぶやいて、忘れ去られたことに落ち込むあの筋肉男を片手一本で引きずって、どこかに消えた。まったくあのマリアの養母らしいと舌を巻く。そんな金髪女につられるようにパーティとか仲間とか自称するやつらはあちこちに散り散りになって、アルベルお前はここにいろよと青髪のパーティリーダーは傲然と言い捨てた。

◇◆◇◆◇◆

「……記憶を取り戻したくねえのか」
「どっちでも」
ある、のか、ない、のか。
一瞬だけ彼を射抜いた翠が、そのころにはすぐに脇に流れている。至近距離のアルベルを意識して意識しないようにしているのだろう。振り払おうとしないのも、たぶんそのせいだ。

それはまるでまったく、マリアらしいのに。
記憶を失っても、彼女は彼女のままなのに。
マリア本人だけが、それを認めない。

「お前は今のお前が不服か」
「何と比較して答えろっていうの? ばからしい、何もおぼえていない私に」
そらされた視線、躊躇なく返ってくる苛烈な言葉。脆くて強い、アルベルの知るマリア。
「何に苛立っている」
「機嫌が悪いのはあなたでしょう。私は、問題ないわ」
過去を失くした不安定な状態で、けれどマリアはまるで揺るがない。
「問題ない、か」
「問題ないわ」
言葉を重ねれば重ねるほど、マリアはどこまでもマリアで。

◇◆◇◆◇◆

アルベルは、だから手を離した。解放したマリアはけれどしばらくそのままで、やがて逆に、そんなアルベルを怪訝そうに見上げてくる。
「……何?」
「記憶がどうだろうと。お前がお前のままなら、俺も問題ねえな」
瞬く翠は無垢な子供のようで、けれどいつものマリアらしくないその姿さえ、アルベルの目にはマリアそのままに映る。
マリアの中に無垢なマリアは、とっくに見つけていた。不安に怯える姿も、現状を打破できない苛立ちも、自分の弱さを認める強さも。
全部とっくに知っていて、それは今のマリアと外れたりしない。記憶があろうとマリアがマリアなら、アルベルは、

「……ばか」
そしてぽつりと彼女がつぶやいた。再びそむけた顔の、その頬が熱を持って染まっている。
罵倒されたはずの彼は、ただにやりとくちびるの端をゆがめた。

―― End ――
2007/06/16UP
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