――まるで挨拶のように、まるで呼吸のように。
――今までは自然に出てきた言葉が、今は喉元につかえて出てこない。
「フェイト」
「……ソフィア」
声をかけたなら、それがどんなに小さいものでも耳ざとく聞きつけるところも。よほどのことではない大抵の場合、何かをしていたとしてその手を止めて、振り向いてくれるところも。その時に浮かぶやさしい笑みも、細くなる碧の目も。
全部ぜんぶ、同じなのに。
「時間、あるかなあ? ううん、別にどうしてもってことはないんだけど」
「うん。あ……ちょっと待ってくれるかな」
同じ顔が同じ笑みにゆるんで、同じ声がけれど違う言葉をつむぐ。そんな風にフェイトは言わないと、彼との違いを探してしまう。
さらっと言おうとした言葉は、見つけ出した些細な違いでぐっとまた飲み下してしまって。
一度呑みこんでしまった言葉は、またしばらくは浮かんでくれなくて。
「何してたの? 本当に、平気??」
「平気、大丈夫だよ。……スキャナ見てたんだ。何か見覚えのある言葉とか、ないかなって思ってさ」
ぱたん、言葉通り手にしていたクォッドスキャナをたたんでしまって、どうしたんだいと小首をかしげる青年は。
まぎれもない本人で。
それでもどこか、まぎれもない別人。
「調子、どうかなあって思って。でも、ダメ、みたいだね……」
「うーん、なかなか上手くいかないみたいだ。なんとなくいろいろ引っかかるけど、ざわざわするだけで、具体的には何も出てこない。
とりあえずのことは覚えたから、普通に生活する分には平気だけどさ」
おだやかな笑み、なんでもないようにつむがれる言葉。
本当は、その奥に。
誰よりも真剣に焦っているのが、長年幼馴染をしてきたソフィアには分かるのに。
そんなソフィアを知っていて、知らんぷりしてひとりで解決しようとするフェイトは。今、いない。
ここにいるのは、焦りを完璧に押し隠せていると思い込んだ、分かっていないフェイトだけ。
記憶を失くした彼が。
そう思うのは無理もないと思う。すべてを失くした彼に、彼の状態を知った時に自分のことを幼馴染だと自己紹介したソフィアでも。幼馴染というその中身を、それがどれほど身近な存在なのかを。言葉でなんて説明できなかった。
自分の状態を聞いて、知って納得して、けれどこのままではいけないと。誰よりも生真面目に思い詰めている彼を、ソフィアは知っている。ひょっとしたら知らなくても気付くかもしれないことに、だから気付くだけの余裕がないことを。
知っている、のに。だから、こそ。
まるで挨拶のように、まるで呼吸のように。
今までは自然に出てきた言葉が、今は喉元につかえて出てこない。
言いたいことなのに、伝えたいことなのに。分かってもらいたいのに、
それ、なのに。
「……ソフィア?」
「ううん、平気。がんばっているのはフェイトだもんね?」
「平気って、顔じゃないよ。……ごめんな? きっと、すごく心配かけてる」
「謝ることじゃないよ。フェイトが謝ることじゃないんだよ。
……平気、っていうのは違うかもだけど。でも、わたしは大丈夫」
がんばっている彼に、今よりさらにがんばれとは言えない。
がんばっている彼に、けれどがんばるなとも言えない。
知らない他人と同じ扱いがいやだから、このままでもいいよとも言えなくて、
この事態に便乗して、今まで以上の関係をでっち上げることなんて最低なこと、幼馴染だけど恋人だよだなんて嘘、とても言えるはずがない。
それよりも、もっともっと手前のことも。
さっきから言おうとしている、言おうと思っているのに。
声にならないから、伝えられない。
「早いとこ、思い出さなきゃって思うんだ。みんなに迷惑かけてるし、ソフィアの顔も曇ってるし」
「……フェイトが全部思い出したから、わたしがずっと笑顔、なんてことはないよ?」
「知ってるよ。うん、分かってる。でも……無理な笑顔じゃないソフィアの笑顔、見られるんじゃないかって」
「わたし、無理に笑ってる?」
今までよりもこぶしひとつふたつ遠くのフェイトが、笑みによく似た、けれど笑みではない表情を見せる。本人は笑っているつもりで、けれどソフィアには笑っていないと分かる、そんな笑みに似た何かの表情を作る。
そして、目もそらして。
遠くを、ソフィアに見えない遠くを見る目になって。
「……分からない。でも、たぶん僕の見るソフィアの笑顔は本当の笑顔じゃないんじゃないかって。思うんだ」
まるで挨拶のように、まるで呼吸のように。
今までは自然に出てきた言葉が、今は喉元につかえて出てこない。
あふれてむせてしまいそうなほど、こころがおぼれてしまいそうなほど。
浮かぶ感情は、たったの一言をつむいでくれない。
まぎれもない本人で。
それでもどこか、まぎれもない別人。
哀しいくらいにどうしても別人で。
けれど当たり前のように、どこまでも本人。
彼に。
好きだよ、と、伝えたいのに。
違うけど同じフェイトが好きだよと、伝えたい、のに。
声が、出てこない。
こんなに近くにいるのに、どうしても遠い彼を。
呼び寄せることが、たったそれだけなのに。
どうしても、
……できない。
