まるでひとりでダンスでもしているように、滑稽な今の自分は分かるのに。
過去の自分が分からない、未来の自分が見えない。

―― 伴舞 [瑠璃色の影]

ナタリアがぽかりと目を醒ましたとき、周囲には誰もいなかった。
……わた、くし……?
二度三度瞬いて、妙に重くだるい身体を何とか起こす。ぎょっと目を見開いたのは変にごわついた髪にやった手を、何気なく見下ろしたからだった。
白い手をべったりと汚す、赤い……、
一瞬、再び遠くなりかける意識。けれど意識はそんな状態なのに口が勝手に何か呪文を唱えていて、次の瞬間には淡い光が生まれていて、それは身体に残る傷を急速に癒していく。身体にへばりついたけだるさも、見えないけれど身体を覆うようだった奇妙な重みも、どうやらそれですっかりなくなっていく。
「……ええと、」
そしてすっかり回復してから、ナタリアは改めて周囲を見回してみた。目に付くのは、緑、緑、緑……そして背後に、仮によじ登ろうとすればとても骨の折れそうな――崖。他には何も見当たらない、誰もいない。眉を寄せながらゆっくりと立ち上がってみて、大丈夫、足はふらついたりしなかった。
立ち上がったその状態で身体全部でさらに周囲を見渡してから、ナタリアは眉を寄せる。
「どこですの、ここは……。わたくしなぜ、こんなところに……?」
つふやいてから、はたと気付いた。
「――わたくしは、一体……」
――誰、なのでしょう。
過去の記憶の、どうやら一切失くした自分に――気が付いた。

◇◆◇◆◇◆

――誰か、と声を上げようとしたところで、見知った……自分は忘れてしまったけれど、誰か自分を見知っている相手に自分を見つけてもらうよりも。もしも逆に自分に危害を加えてくる何かを呼び寄せてしまったらどうしよう、と思うと上げかけた声は声にならないままのどの奥に消えていく。ではと歩き出そうとしたところで、そもそも獣道さえ見分けられない事実と、ひょっとして誰かが探していてくれないかという期待が、踏み出しかけた足を止める。
いや、そもそも自分には誰もいないのかもしれないと思えば切なくて、いや、誰かがいたはずだと思えば煮え切らない自分の態度が恨めしい。
「わたくし、は。――」
そもそも血だらけに傷を負ったままで、こんなところに放置されていたことがすべてを物語っているのかもしれない。いいや、突発的な事故が起きてここに倒れる羽目になっただけで、今ごろ誰かが自分を探してくれているのかもしれない。
分からない、分からない。
自分は誰で、誰とどこに向かおうとしていたのだろうか。何をしようとしていたのだろうか。
分からない、分からない、分からない。
まるでひとりでダンスでもしているように、滑稽な今の自分は分かるのに。
分からない、分からない、分からない。
過去の自分が分からない、未来の自分が見えない。
分からない、分からない、分からない。
――わたくしは、
「――ナタリア!」
そして、
立ちすくんだままに混乱する彼女に降ってきたのは、鋭い声。ざかざかと緑を掻き分けて現れたのは、鮮やかな深紅。

◇◆◇◆◇◆

「……あ、」
「こんなところで何をしている!?」
血相を変えてやってきた赤毛の青年は、見た瞬間に敵ではないと知れた。理由などない、それは先ほど勝手に口が呪をつむいだように、なぜかそう分かった。
身体のそこかしこに、強引に緑を掻き分けた名残の葉を何枚もくっつけながら、それにかまうことなく彼女だけを目に映した青年。彼を疑う気持ちは瞬いても瞬いても生まれることがなくて、むしろそうしているうちに生まれた衝動に、ナタリアは誰とも分からない青年に、ただすがりつくように抱きつく。
「っ、……おい……?」
触れた瞬間にびくりと跳ね上がった青年は、それでも困惑したような声を上げながらナタリアを振り払うことはなくて。それは当然のように思ったのに、それが嬉しかった。忘れていたのか気付いていなかったのか、自分の身体が細かく震えていることに気づいたのはその時で、たぶんそんなナタリアよりも先にそれに気付いていた青年はしばらくうろうろさせていた手を、やがて彼女の背に回す。
背に、回してくれる。
「わたくし……、」
「――あいつらが、血相変えておまえを探してた」
抱き合っていればそれも当然なのか、身体に直接響く声がなんて優しいのだろう。
「崖から落ちたとか、何とか……怪我は?」
「それは大丈夫、です。……けれど、わたくし……っ、」
思い出すことができない、けれどたぶんきっと確実に、大切なひと。誰より先に自分を探し出してくれたと思えば、いつの間にか涙腺がゆるんでいて声が声にならない。思い出すことができないと、すべて、どんな些細なこと大きなことすべてを忘れてしまったのだと。伝えようと思っても、口からは気付けば嗚咽が漏れるばかりで、声が声にならない。伝えなければと気ばかり焦って、声が出ない、言葉がまとまらない。
やさしい手があやすように背をなでて、だからこそ。
幼い子供のようにしゃくりあげることしか、できなくなっていく。そんな自分が情けないのに、そう思う心がよけいに心をぐちゃぐちゃにかき混ぜて。ますます、
「――ナタリア、」
叱るように名前を呼ぶ声は、ああ、なんてやさしいのだろう。
「……泣くな」
そうして困ったように命じる声は、ますます涙を誘う声は、それは、ああ、なんて、
なんて意地の悪いのだろう。

◇◆◇◆◇◆

やがて緑が濃く深くなって、周囲の緑がすべて黒に似た色に染まって。
寄り添ったままの二つの影が、いつか瑠璃の色に変わっていって。

状況に踊らされたままそんな自覚さえなく、ただ闇の中に沈む。

―― End ――
2007/06/28UP
瑠璃色の影 / I・RO・HA goto_ジャンル・CP混合_
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伴舞 [瑠璃色の影]
[最終修正 - 2024/06/17-12:59]