あたしはどうしたらいいんだろう。
……あんたはあたしにどうしてほしい……?

―― 丁寧 [日暮れ雪]

白い白い白い、白の中。ただ一点、紅を見つけた。
「……てめえ……」
こんなところにいやがったのかとぼやく吐息もまた白く、白の中に薄れて消える。どうやらそれは届かなかったようで、いつもならそれでも耳ざとく振り向くだろう女は、けれど今はただ、ぼんやりと彼に横顔を見せている。
「……捜した」
愚痴も文句も山ほどあったけれど、彼を見ない横顔にそれらを吐き出す気にはなれなかった。だからただ、さくさくと雪を踏みつけながらぶっきらぼうに言葉を投げたなら、そうしてようやくちらりと、目だけで振り向いた女が微笑らしきものを浮かべる。

◇◆◇◆◇◆

どうやら記憶を失くしたらしいと。聞いて、そうかとつぶやいて、それから少し目をはなして、――再び前を向いたとき女は消えていた。
普段ならそれでどうということもないけれど、現在地はアーリグリフで相変わらず雪が深くて気温が低くて。普段ならどうということもないけれど、その時の女は防寒にはまるで役に立たない病人着姿だった。
……本当はそんなこと、考える余裕さえなかったかもしれない。
ただ、姿を消した女に呆然とした。我に返った瞬間何を考える間もなく身を翻していて、それが女を捜すためだとはしばらく道を行くまで気付きさえしなかった。捜して走って、道を行く人々がひょっとしたら目を剥いていたかもしれないけれどそんなもの限りなくどうでもよくて。
見つけた瞬間ほっと息を吐いた自分が、――ただただ腹立たしくて。

◇◆◇◆◇◆

そして女は。白い雪の中白い病人着で、ただ髪の紅だけが色を持っている。
炎のように、血のように。
周囲の圧倒的な白に負けず、周囲が白いからこそ紅が際立っていて、
……勝手に浮かんだ慣れない思考を首を振って止めて、動かない女の、すでに冷え切っていた腕を彼はつかんだ。

「戻るぞ」
「もうちょっとだけ。……ああ、そうだ。訊いてもいいかい?」
「せめてまともな格好してからほざけ」
相変わらずこの極寒の中腹出し脚出しの彼がうめいて、そんな余裕なんてなかったはずなのにいつの間にか引っ掛けていた外套をばさりと女に投げつける。そうして一歩引いてみれば薄いスリッパで雪の中に立つ女に気付かずにいられなくて、けだるく舌打ちをするとその身体を抱え上げた。
きっと反射的に身をこわばらせて、たぶん反射的にもがくのを力で押さえつける。
拳やら脚やらが飛んでくるかと思ったけれど、ひとしきり暴れてからそれはぴたりと止まって、くすりと吐息が漏れるとなんと身をもたれかけさせてきた。驚きに目を落とせば、女はどうやらくすくすと笑っている。
「……ありがとう」
普段ならそうそう聞かないだろう言葉にいよいよ目を剥けば、さらにくすくすと笑った。

◇◆◇◆◇◆

「……さっきさ」
ささやくような声。
さくりさくりと雪を踏みながら、行きの足跡をたどりながら、普段ならどちらもすぐ消えるのにと思って、ああ、今は雪がやんでいるのかと空を見上げる。
「この圧倒的な白にとけて消えることができたなら、昔のこと何も覚えてない、不安なこの気持ちもなくなるかなって思ったんだ」
馬鹿みたいだよね、女がささやく。
そうして見上げた空は相変わらずいつもどおりにどんより曇っていたけれど、そうして見たなら確かにいつもよりもそれはいくらか薄くて、奇跡のようにほんの少しだけ陽の光が見えるような気さえする。
「でも、できなかったよ。……当たり前だけどさ。でももしもそれが叶うとしたら、あたしはどうするかなって、思った」
見上げていたから見えはしなかったけれど、きっと外套の襟元をきゅっと握る。不安なときの、それが女の癖だから。
もしもそうして陽の光がこぼれるのなら、それはこの女にだろうと思う。闇に生きる隠密という職に就いているくせに、血にまみれた自分よりも、この女は陽の光がよく似合う。陽の光が女を愛しているのだと、あるいは錯覚するほどに。
「消えたいって思った心は、きっと本当なんだ。みんながやさしいのが、なんだか胸に痛いんだ。やさしくしてくれるのに、あたしは結局、何も思い出せないから」
そうしてたぶん、口元をゆがめるのだ。笑みに見えなくもないそれは、彼が見たなら痛々しい以外の何者でもないのに。そうと知っていて全部分かっていて、それでも笑みに似たものを無理やり女は浮かべる。
いつの間にか止まっていた足を、だから再び踏み出した。さくりさくりと、決して急ぐことがない足音。もしも奇跡のように陽の光が降るのなら、それが決して女を見失わないような、そんなゆっくりした歩み。
「……けど、消えたいって思うけど、思うのに、それでもあたしはここにいたいって願っちまう。矛盾してるって分かってるんだ。それなのに。なんでだか、ここにいたいって。
ねえ。……訊いてもいいかい?」
そうして女の手がのびてきて、恐るおそるほほに触れてきた。きっとまっすぐ見上げてくる視線に目を落とすこともできなくて、けれど再び足が止まる。

「あたしはどうしたらいいんだろう。
……あんたはあたしにどうしてほしい……?」

思考が時間が、きっと凍りつく。

◇◆◇◆◇◆

好きなようにしろ、と思う。
好きなように生きればいいと思う。
自分ではない他人にかまけてばかりで、結果無理をして倒れるような女だから。せめてこの機会にその性格を矯正すればいいと思う。
無理に決まっているけれど。
そして果たしてそう告げたところで、本当に女が好きなようにしたなら。それは果たして、女の意思なのだろうか。それともそうではないのだろうか。

◇◆◇◆◇◆

「……阿呆」
いつもの台詞を吐いて無理やりに足を踏み出す。きょとんと瞬いた女が、けれどそのうちやわらかな吐息を漏らす。
さくりさくりと雪を踏む足音だけが続いて、そしてそれ以外は耳の痛くなるほどの静けさ。

わけが分からない。余計なことばかり心配する女が分からないのはいつものことだし、それに振り回される自分もよく分からない。人が雪に溶けるなんて無理に決まっているし、それが叶うところで彼に何を望めというのか。

ただ、まるで分からない中でまとまらない思考の中で、それでも確かなのは、
抱え上げた身体が頼りなくやわらかいことと。
吐息の凍る寒さの中、それでもあたたかいことと。
奇跡のように分厚い雲を割って降ってきた夕陽が、この一帯を染め上げていることだけ。

そして白が赤に染まって、紅を抱いて彼はただ足を進める。
まるで現実味がないなと、どうでもいい思考がぽかりとはじけた。

―― End ――
2007/06/30UP
日暮れ雪 / I・RO・HA goto_ジャンル・CP混合_
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丁寧 [日暮れ雪]
[最終修正 - 2024/06/17-13:00]