分かっている。
それでも。

―― 赤心 [望むは]

きょろきょろと周囲を見渡しながら歩く彼女が、何かにつまずいて転びそうになった。倒れこむ前にフェイトの服の裾をつかむ、控えめに見えて実はちゃっかりものの幼馴染はここにいないから、いないと知っているから。だから心配でずっと彼女を見ていたフェイトは、いまだとばかりに手を出して細い細い肩を抱きこむことで姿勢の崩れた彼女を支える。
「……あ、その、」
「うん? なんだい、ソフィア」
「あ、ありがとう、ございま、す……」
耳まで真っ赤になった彼女がかわいくて力いっぱい抱きしめたかったけれど、断腸の思いで、どうにか。どうにか体勢を立て直した彼女を確認してからぱっと何ごともなかったように手を戻して。
「どういたしまして」
笑いかけた。
ますます赤くなる彼女が本当にかわいくて、ますます抱きしめたいなんて思いながら、それは本当に笑顔だっただろうか。……本当は少し、自信がなかったけれど。

◇◆◇◆◇◆

ソフィアが、記憶を失くした。自分の名前も出身地も両親の顔も好きなものも嫌いなものも、幼馴染のフェイトのことも。すべてすべて忘れた。
もちろん記憶があろうとなかろうとソフィア自身にはかわりがないから、小さなきっかけで思い出すことも中にはぽつぽつあるけれど。それでもいまだ、根本的に大きなことには何も進展がない。
近い近いゼロに近かった距離が一気に離れてしまって、あの日から、それはそのままで。それがフェイトには淋しくて悔しくて、そう思ってしまう自分がそこを嘆いてしまう自分が、悔しくて切ない。

◇◆◇◆◇◆

「……何か、思い出したかな?」
笑顔のつもりのまま続けたなら、いまだ赤さを残したままの顔がふるふると横に振られる。
「そう、か」
「ご、ごめんなさ……」
「謝ることじゃないよ。むしろ、急かしてるみたいで僕こそごめん」
「そんな! フェイトさんが謝ることでもない……」
「……ソフィア?」
名前を呼んだなら、ぴくんと小さく跳ね上がってうつむき加減の顔を上げる少女。さらさらの髪が勢い流れて、その感触を知っているけれど今はおいそれとふれられないことも知っていて、
いや、そうではなくて。
「僕の名前にさん付けは禁止って、言っただろ? それに、ですますなんてつけなくていいから」
そんなもの、自己満足でしかないと知っているけれど。
「何度も言ってるけどさ、幼馴染なんだ。いろいろ情けないところ知ってるし知られてるし、だから、そんなに今さらかしこまらないでほしい」
「え、えと……はい」
「無理に、とは言わないけどさ」
本当に自己満足でしかないなんて、分かっているけれど。
けれど、どうか。

……どうか。

◇◆◇◆◇◆

微笑むソフィア、耳にやさしい声。やわらかくてもろくて儚くて、けれどそんな身体と裏腹に嘘のように強い強い心。
記憶がなくなってもソフィアのそんな本質はなにも変わらなかった。
何もかもが分からなくなって、知らないものに人にものに世界に取り囲まれて。きっと誰よりも心細いだろうに、それでも笑った。笑ってくれた。……今だってこうしてフェイトに笑いかけてくれる。
本当はそれに安堵するべきだろう。喜ぶべきだろう。
分かっている。

それでも。

◇◆◇◆◇◆

「知らないんじゃないって、分かります……分かるの。でも思い出せない。フェイトさ……フェイトのことだって、ぼんやり分かるの、安心していい人だって。でも、分かるけど……思い出せない……」
つぶやいて、そして浮かぶ淋しい笑み。哀しいならどうか泣いてくれと、つきりとフェイトの心が悲鳴を上げる、そんな笑み。
けれどそうと口に出す前に翡翠の色がついと流れて、
「謝るなって言われても、だから、……ごめん。知らない、思い出せない……それなのに分かるから。多分わたしのせいで、わたしがこんな状態だから、フェイトさ……フェイトがいっぱい傷ついてるのが……分かるけど。
わがままだって分かるの。でも……どうか、謝らせてください」
「……ソフィア、」
きゅっと祈るように胸の前で両手を握り締めて、いつもならつらいとき哀しいとき、無言で飛び込んでくる彼の胸を知らない少女。誰よりも互いを知っているはずなのに、はずだからこそ。ソフィアだと知っているのに、ソフィアではないと知らされる。

泣かれるとわたわたあわてるしかない彼に、それでも涙を見せたのはきっとそれが彼女なりの甘えだったのだろう。泣かれてしまえば困惑するしかできなかったフェイトだけれど、彼女に甘えられる、それはとても幸福なことだったのだろう。
知ったところで今さら遅いけれど。遅すぎるけれど。

◇◆◇◆◇◆

迷って、それから再びうつむいていた彼女の、相変わらず細い細い肩にそっとふれた。ふれるだけのつもりがすっかり包んでいて、きっと驚いて顔を上げた彼女とばっちり目があった。
とにかく笑いかける。

「分かった。じゃあ、僕もわがままを言うよ。
……もっと、わがまま言ってよ」
「え……?」
きょとんとまたたく彼女は、何度でも思う、本当に本当にかわいい。記憶があってもなくても、衝動的に抱きしめたくなるくらいかわいい。
そんなことを思いながら、
「元からそうだけどさ、ソフィアはまわりに気を使いすぎなんだよ。特に今は病人なんだ、病人はわがまま言ってもいいだろ?」
「え、その、」
「あれが食べたいこれがしたい、行きたいところがあるなら言えばいい。迷惑なら迷惑だって言えばいいし、笑うのも泣くのも我慢しなくていいよ」
笑いかける、相変わらずそれが本当に笑顔だったのか分からないけれど、またたく彼女の顔にすまなそうな色が混ざっていないから、きっとそれは叶ったと思うことにする。
途惑う彼女の反応すべてで、今は全部を判断してもいいと思う。

「ソフィアは僕の幼馴染で、誰よりも大切なんだ。記憶があってもなくても、それは変わらないよ。誰より大切にしたいし、守りたいし、笑ってほしい。それは変わらない。
……僕が関わらないほうが落ち着くなら、淋しいけどさ、……かなえるよ」
本当は気がねなくふれることのできる、あの権利を取り戻したいだけなのかもしれないけれど。きっとそれは正しいだろうけれど。
それでも、嘘は言わない。
本当に本当に、大切な彼女にはこんな嘘は言わない。

「……それって、告白みたいです……」
じわりとほほを染めた彼女が、小さくつぶやいた。
そんな反応にフェイトは思わず吹き出す。ああ、なんて。
「ソフィアは知ってるよ、いつも言ってたからさ。ソフィアだって僕のこと好きって言ってくれたし」
「……え? ……ええっ!?」
……なんて、かわいいのだろう。

いよいよますます彼女を抱きしめたい。
思いながら、いつの間にか自分でも無理をしていない笑顔を浮かべていることにフェイトは気が付いた。ずっとずっとつかんでいる肩が気になるのか、そんな彼の顔と自分の方を落ち着きなく見比べる彼女が、
ああ、本当に本当本当に、いとしい。

◇◆◇◆◇◆

すっと手を離して、ひざまずく。ぎょっとした少女ににこにこと笑いかける。無意味におどる細い腕を捕まえて、その手の甲にキスをして、
「僕のお姫さま。どうか望みを何なりと」
ぼふっと、これは照れよりも恥ずかしさからだろう。一気に見事にソフィアの顔が染まる。
「ば、ばか……!」
「馬鹿にしてないし、馬鹿みたいなのは知っているし、ソフィア馬鹿なのは自覚ずみだよ」
「…………!!」
「でも、本心だからさ」

これがたとえすべて自己満足のためだとしても。
……それでも。

―― End ――
2007/07/07UP
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赤心 [望むは]
[最終修正 - 2024/06/17-13:00]