……ああ、
――わたしは。
きっと、わたしは。

―― 愚直 [やっと]

――今日は、
コミュニケーターに日課の日記を打ち込もうとした手が、そこで止まった。外見上はぴくりとしないまま、内面ではあれこれめまぐるしく思考が行き交って、けれど結局打ち込む指が動き出す前に、
「ソフィア? ちょっといい……」
「きゃあああぁぁぁぁぁああああぁぁァっっ!!??」
不意にというか集中しきっていたために勝手に不意打ちをされてしまって、心底びっくりの悲鳴を上げる。

ばくばくいう心臓を押さえつけて振り向いたなら、勝手に浮かんだ涙に潤む視界で狼狽する幼馴染の姿があった。フェイト、と名を呼ぼうとして、けれどおろおろと落ち着かない彼の姿に――彼女はそっとくちびるをかむ。
彼は、彼女の幼馴染で。
けれど今の彼は、
「……ごめんなさい、びっくりした……」
「ああ、うん……。僕こそごめん、考えなしに声かけた」
「ううん……」
確かに幼馴染の彼は、けれど今ソフィアの知り尽くした彼ではないから。それだけではないけれど、とにかくまっすぐ顔を上げていられなくて、ソフィアはさりげなく視線を落とす。ようやくおさまってきた動悸に胸元の手を外して、しわになった服を直すふりをする。直すふりで、視線を合わせないことを不自然に思わせないようにして、
「ええと……どうかしたの?」
「うん、ああ。……ええと、まあ大したことじゃないんだけど、さ。
散歩いこうと思うんだ。よかったら一緒にどうかなっていうか、ちょっと不安だから道教えてほしいんだ」
――どうかな?
訊ねられれば、せっかく落ち着きかけた心臓がまたとくりと跳ね上がった。それをあわてて飲み下したならそれは首を上下にふることになって、よかったと笑うフェイトに、違うのに、と。跳ね上がった心臓はつまり「嬉しい」を教えているのに、違うと思って。
とくとくとく、激しいとはいわないけれど少し早くなった血の巡る音を耳元に聞きながら、
「ち、ちょっと待ってて。ええと、宿の入口で。すぐに行くから」
「うん、わかった。待ってるよ」
きっと赤くなったほほを見られたくない、どうしても目が合わせられない。

◇◆◇◆◇◆

フェイトが記憶を失った。きっと一時的なことだろうと、ディプロの医療スタッフが保障してくれた。
目が醒めた当初はいろいろ混乱していた彼も、最近はもうだいぶ落ち着いて。ソフィアの知る今までのフェイトとは少しだけ違う、けれどやはりどこまでもフェイトのまま、気ままにのんびり一日を過ごしている。
あと数日このまま過ごして、それで記憶が戻っても戻らなくても。また、旅の日々の再開だと、そういうことになっている。
そういうことに、なっている。

◇◆◇◆◇◆

コミュニケーターを、けっきょくなにも書くことのできなかった日記をしまいこんで、服を直して髪を直して、鏡の中の自分とにらめっこしながら色付きのリップを引き直して。
「おまたせー、どこ行こう?」
「んー、どうしようかな。部屋にこもってても何もないからさ……何かあるかい?」
「わたしも詳しくないけど、でも、ああ……あっちのほう、緑が多いよね」
「そうだな。……行ってみようか」

何気ない会話で二人、歩きだして。なんでもない散歩でのんびりした時間をのんびり過ごす。それはきっと、あのハイダ以降の怒涛を思えば奇跡に違いない。
土が踏み絡められただけの道、どこも抑圧されることなく生き生きと生い茂る緑。風はそよそよと吹いて、綿雲の切れ端が浮かぶ空からの日差しは昼を過ぎて少し経っているのが関係するのか、どこかやわらかい。遠くの方から子供たちのものだろう歓声は聞こえるけれど、ふしぎなくらい、今ここに彼ら二人以外の人影は見えなくて。
「……のんびりしてるね」
「そうだな」
ぽつりぽつりした会話のやり取りは長続きしなくてすぐに途切れるけれど、さくりさくりと土をふむ音は途切れなくて、たったそれだけですべてがいいかと思えてくる。

失くした記憶がどうなったのか訊ねるのは無粋のような気がする。
目が合わせられない、会話が続かない。すぐそこにある彼の手に触れたいと願うことが、なんてわがままなのだろうと思えてくる。

だって、知っている。ハイダで離ればなれになって以降、いやでも思い知ったことがある。
隣にいてくれる、それはとても貴重で嬉しいことなのだ。
それ以上を望むことがはばかられるくらい、だから、今のこの状況はとても嬉しいものなのだ。彼に記憶があってもなくても、本当はきっと関係ない。幼馴染の気安さがなくなったいまは本当は淋しいけれど、丁寧にエスコートしてくれる彼は新鮮で嬉しいから、淋しさはきっと相殺される。

◇◆◇◆◇◆

「どうかしたかい? ……つまらないかな」
「ううん」
合わせられない目がそれでも時おり偶然合ってしまったなら、彼はにこりと微笑んでくれるから。きっとだからそれだけで十分だ。それ以上を望んではいけない。
「本当に?」
「……え?」
望んでは、いけないのに。

ふと彼が立ち止まった。二歩ほど先に言ってしまってあわてて足を止めた彼女に彼女の知らない、感情の分からない笑みが向けられる。合ってしまった目をあわててそらせて、視線を落とす彼女に、彼の口元が笑みを刻んでいるのが見える。
見える、のに。
「ソフィア……なんでかな、目を合わせてくれないよね」
ばれていた。思った瞬間に、嫌な感じに心臓が跳ね上がる。
「え……、あの、」
「僕がきらいなら、そう言ってほしいよ。僕とソフィアは幼馴染だって聞いたけど、仲がいいって人伝に聞いたけど、本当にそうだったのかな?
記憶がない今だけでも、実は僕がきらいだったなら、そう言ってくれればいいんだ」
――そうすればもうこれ以上、ソフィアに近づかないから、さ。
口元しか見えない彼が、そうして笑って。哀しいくらいにやさしい笑みが、彼が、
……ああ、このまま黙っていたなら、
ここから、すぐそばから、目の前から。いなくなって、しまう……?

◇◆◇◆◇◆

「――違う!」
気が付いたなら叫んでいた。いつの間にか浮かんでいた涙の向こうに彼をにらみつけていた。
「違うもん、だってフェイト見てると胸が痛いから! すごく、切ないんだもん……!!」
そうしてやっと、……ここにきてようやく。
久しぶりに真正面から見つめた碧が、きっといきなりの彼女の絶叫に見開かれていた。
「そばにいたいよ。けど、目を合わせると、恥ずかしくて……、だから、」
だから――、
続けようと思った言葉が途切れたのは、彼の目が細くなったから。淋しかった笑みの淋しさが、嬉しさにとってかわった瞬間を見てしまったから。
そうして鼓動がなんだか激しくなっていることに気付いて、それからかなり重大な告白を勢いに任せてしてしまったことに気付いて、それから。

「あ……、」
かあああっ、今まで以上に一気に顔に血が集中する。そんな自分が分かってしまえば、いたたまれなくてこの場にいられない。それこそ恥ずかしくてこの場を走り去ろうとしたソフィアを、けれど大きな手が包み込む。彼の腕の中に、閉じ込められてしまう。
「うん……僕はソフィアが好きだよ」
「ちょ、あ、その……!?」
大きな手にやさしく上を向かされて、彼の顔を正面から見てしまってきっと確実に正面から顔を見られてしまって、

元から大好きだった、大好きでもうこれ以上ないと思っていた。それなのに、ますます彼女の気持ちは傾いていく。記憶のあるなしなんて本当に関係ない。ただもうフェイトだけしか見えない。
他のコトもヒトもモノも、どうでもいい。
心すべてを彼が占めていく。

きっと耳まで真っ赤になっている自分を知っているのに、
その碧に見つめられたなら、もう視線をそらすことなんて。
「……ソフィア」
ささやくような声がどこか熱っぽいと、何も考えられないはずの頭がふとつぶやいた。電撃のように走ったそれがなんなのか、当てはまる言葉を探そうとしても彼のこと以外を考える余裕なんて、どこにもない。そんな余裕いらない。
そう思った瞬間なぜだか、

……ああ、
――わたしは。
きっと、わたしは。

何度でもあなたに恋をする。

―― End ――
2007/07/21UP
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愚直 [やっと]
[最終修正 - 2024/06/17-13:00]