こんな月の夜は、その美しさが際立つようで。
現実味のない美しさは、まるで、今にもとけて消えてしまいそうな不安感をあおる。
「…………」
「……」
「…………」
「……る、ルーファス……?」
「…………なんだ」
「な、なんだかここさっきも通ったような……気のせいですよね! ごめんなさい、わたし……」
「…………いや、」
「え?」
「…………」
「……あの……」
「気のせいじゃない、さっきもここ通った。というかここ通るのこれで通算六回目とかのはずだよ。たぶん。……少ない方に間違っててほしいけど」
「……やっぱり、そうなんですね」
「そろそろ日暮れだし、戻るは戻れると思うし。一度森の入口あたりまで引き返すか。物資の調達まで含めて、落ち着いた場所でなんとか考えよう」
「そう、ですね……」
彼の故郷だという精霊の森にたどりついた。人数が減って戦力が大幅に落ちていたことよりも、戦闘の交代要員がいなくなってしまったことよりも、他の土地ではまず見ない敵にぶつかって弱点その他がわからないことよりも、どことも知れないどこかから冷たい目が始終向いているような居心地の悪さよりも、なによりも。
一番の強敵は、薄く霧のわだかまる森の一角だった。
そこを抜けないことには森の深部にたどり着くことはできない。ため息まじりに彼がそうつぶやいたのははたしてどの段階だったのか。ともあれ、二人は霧をうみ出した誰かの思惑に大ハマリにハマって、歩き通しのくせに先に進んでいる実感がまるでない。実際に、まるで進んでいない。
先を急ごうと気は焦るけれど、気だけが焦ったところで先に進むことができないなら意味がないから。今日のところはあきらめようといわれて、彼女はしぶしぶうなずいた。
歩きどおしだった距離をあざ笑うように、あっという間に入口にまで戻って、軽く食べて一息つくころには陽はすっかり沈んでいた。
そして陽といれかわるように、満ちた月がぽっかりと昇る。
「……月が明るいですね」
「そうだな。これだけ明るければ視界もきくし、安心して寝ていいぞ、アリーシャ」
「二人しかいないんです、ルーファス。あなた毎日見張りを買って出てるけど、いったいいつ寝ているんですか?」
「知ってるだろ? ……オレはもともとあんまり寝れないんだ。癖みたいなもんでさ。だからどうせ起きてるからって見張りやってるだけだから、気しなくていいよ」
「気になります! ……わたしだって寝付きあまりよくないの、ルーファスは知っているでしょう?」
「もう怯えなくていいんだろ」
「癖になっちゃったんだからしょうがないじゃないですか」
平原の小高いところに背中合わせに座って、埒もあかないやりとりを、しばし。
あきらめたのはどちらが先だったのか、お互い背後をうかがっていたのを小さく息を吐いてまっすぐ向き直る。背後にあるぬくもりにこころは浮き上がり、安堵し、けれど落ち着かないこころは決して嫌なものではない。嫌ではないのが、妙で、変で、でもまあいいかと思う。
彼女の視界の先にはやはりうっそうと森があって、エルフたちが住んでいるからだろう、決して歩きにくくはなかったことを、なんとはなしに思い出す。
「……この森が、」
「うん?」
「ここが、ルーファスの故郷、なんですよね……? きれい……」
それはふとした賛辞だったけれど、彼にはそうではなかったらしい。思い当たったのは背中のぬくもりが深く息を吐いたからで、一瞬その意味をつかみかねて途惑っていると、面白くもないように声が笑う。
「きれい、ね……そうかも知れないな。手入れは完璧、実りは山ほど。野生の獣さえ毛並みはつやつやで、それが当たり前で育ってきたけど、こんなの他のとこでは見なかったしな」
彼女に対してではないものの言葉にはとげが生えていて、ああそうかと思い当たったけれど、あわてた彼女がフォローを入れようにも彼の言葉は止まらない。
「エルフたちと同じだよな。見た目は完璧にきれいで、でも人間みたいなあたたかさはどこにもない」
「ルーファス、」
「おっと、別にあんたを責めてるわけじゃないぜ、お姫さま。そこんとこは勘違いしないでくれよ」
最初のころによく吐いていた、道化に似た毒。思わず息を呑んだ彼女にふと我に返ったようで、バンダナを巻いた頭をがりがりと乱雑に掻く。
「悪い、本当に気にしないでくれ。
……実際、豊かな森だよ。定住しようとすればエルフに追い出されるけど、あの霧のわく手前までは時々人間がうろついてるんだ。たくましいよな。へたすりゃ殺されるかもしれないって分かってても、やってくる。そうして森の恵みをいくつか掠め取っていくんだ。
エルフたちはなんて浅ましいってぼろくそにけなしてたけど、オレはそんな人間のしたたかさってのが嫌いじゃない。浅ましくないけどしたたかじゃないエルフより、人間の方がよっぽど……そうだな、生きてるって感じがする」
「……ルーファス」
恐るおそる振り向いた彼女に、小さく笑ってみせる彼は。本人の嫌っているエルフの血のためか、人間にはない透明に澄んだ美しさがある。
こんな月の夜は、その美しさが際立つようで。
現実味のない美しさは、まるで、今にも彼が消えてしまいそうな不安感をあおる。
「ルーファス」
「ごめんな、きれいだって……多分ほめてくれたのに。オレの故郷ってここを、アリーシャはほめてくれたんだって、そう思うのに。
嬉しく思えなくて、ごめんな。誇らしく思えなくて、ごめん」
「そんな、ルーファスが謝ることでは、」
「ほんとはさ、……ここにだけは戻って来たくなかった。またとっつかまって家畜扱いの生がうんぬんじゃなくて、それもあるけど、……見た目ばっかりで実際はキレイでもなんでもないここには、もう関わりたくなかったんだ」
彼女に向いていた顔が、ふい、とそらされる。つきん、こころに走った痛みに、それ以上にそのまま圧倒的な月の光にとけていきそうな彼に、彼女の手がのびる。
「アリーシャ……!?」
「謝らないで! ……ごめんなさい、わたし、」
思わずすがりついて、けれど何も言うことができない。こころいっぱいを占める感情が自分でも判断つかなくて、その感情にかられているのに、それはまるで言葉にならない。
しらじらと、月が世界を照らす。
すがりつく彼女の手を、細かくふるえる小さなこぶしを。
――何も言わない彼の手が、ただ包み込む。
