眺めやった海の果てに、未来があったらよかった。
いくら遠くてもかまわないと、がむしゃらにそこを目指せたらよかった。
ユグドラシルに登って、叡智を手に入れようとしたらオーディンに邪魔されて。あげく、唯一の希望だったルーファスの身体にオーディンが入り込み、そのオーディン入りのルーファスの身体をレザードに奪われた。押し出されたルーファスの魂は、見よう見まねのアリーシャのマテリアライズでどうにか居場所を確保したけれど。事態は、多分、ただ一人全部を計画し実行したレザードにしか把握できていない。
そんな、緊迫感に満ち満ちた現状なのに。
手持ちのアイテムが尽きたので、二人はとりあえずミッドガルドに戻ってきていた。
「さて、もう仕方ないから開き直るか。アイテム買い込んで、どうせだからゆっくり休んで体力回復させて、それからあっちに戻って殴り込みかけるとしよう」
「ふふ、ルーファス。一応世界の危機ですよ?」
「……だってなあ。いちばん危機に直面しているはずの人間界が、その危機あんまし自覚してないだろ。アリーシャだけがしゃかりきになるのが、なんかこう、悔しいっていうか」
「……? あの、ごめんなさい。意味があまりよく……」
「ああ、まあ。わかんないならいいんだ。単なる愚痴みたいなもんだし」
「? は、はい」
さあ、これからだ! というときに腰を折られ、とりあえずクレルモンフェランに戻ってきた二人は、というか一度死んで生き返った彼は、なんだかだいぶ腐っていた。
一応情報を集めてみたものの、街に流れる噂は相変わらずディパンのことばかり。噂の広がる速さよりも、事態の展開が速すぎるのだと、頭でわかっていても面白くない気持ちはどうしようもない。
そのディパンの最後の王女が、今ここにいて、けれど祖国ディパンを喪って嘆くよりも世界の崩壊を止めることを優先させているのに。現状を知らない人間たちは、そんな彼女の傷を抉る噂しか口にしない。バルバロッサ王を責めるだけで、誰も彼女の味方をしない。
彼女を自分の特別と自覚した彼に、それが面白いはずがない。
「……あー、やめやめ! こんなとこでうだうだしててもなんも面白くない!!
アリーシャ、どっか出かけよう。急ぐ必要なんかないさ。あってたまるか」
「えええ!? う、は、はい……よく分からないけど、ルーファスがそういうならしかたありませんね」
「そうそう、しかたない。で、どこ行きたい?」
「え、どこって……そんなこと急に言われても……」
「そうだよな……確かに。ええと、」
街にいても面白くない。これはこの宗教国家にいるからではなくて、世界に流れる噂がディパンの崩壊止まりだから。なので、ほかの街に行っても多分何も変わらない。街以外とすると、ではどこに行こう。
森はすでにいくつか回った。山も、緑の山から雪に埋もれた山から、いろいろ登った。平原だってあちこちうろついたし、砂漠にも行った。そしてもううんざりだと思った。うんざりといえば火山に埋もれたあの遺跡で、その逆といえば水上神殿。これはまあきれいだったと思う。通路が水路で足を取られて散々だったけれど。
世界中いろいろ巡ったはずなのに、もう一度行きたいと思う場所はなかなかないもんだなと苦笑して。ふと。そういえば、行ったことがなかったかもしれない場所を思い付く。
「……海」
「え?」
「そうだよ、海底の通路とかはなんかもうおなじみだけどさ。海ってのは、というか海辺ってのは、ゾルデの街くらいしかなかっただろ?
どうせなら行ってみよう。別に、何かあるってわけでもないけど」
「ええと……そうですね。うん、ルーファスがそういうと、なんだか面白そうな気がします」
「じゃあ決定。アイテム買ったよな? ちょっと寄り道する感じで、海を堪能してからあっちに戻るとしよう」
「はい」
別に、本当にどこかに行きたいわけもない。急いで天界に戻ってもいいし、本当はそうするべきだろう。
けれど、それでは彼女の表情がどんどんかたくなるばかりだから。
茶化していられる事態ではない、それはわかっている。戻ることのできない道を、彼女は歩き出した。終わりは見えないけれど、多分それはもう遠くはなくて、終わりを迎えてしまえば、こちらがまともに生き残れたとしても彼女はそこで身を引くだろう。
淋しい顔だけ、きびしい顔だけ。そんな表情しか浮かべないまま終わりを迎えるなんて。普通の人間の生をあきらめて、つらくきびしいことしか知らないで、それで終わりというのは哀しい。彼女ならそれを受け入れるだろうけれど、彼はそんなこと、いやだから。
本当はずっとずっと。いつもそばにいてほしい、笑っていてほしい。笑わせてあげたい。――幸せにして、やりたい。
それは叶わないと、二人とも知っている。
でも、けれど、だったらなおさら。
こころからの笑みを、彼女に浮かべてもらいたい。
そのためなら自分はどんな道化にだってなるし、誰のどんな批難だってちっともこたえない。自分たちがのんびりした結果世界が崩壊したって、かまわないとさえ、思う。
そうして向かった海は、二人がたどり着いたとき、おりよく陽が沈むところだった。
昼間は青い海が、今は一面赤金色に染まっている。白く走る波は白金色で、ああ、彼女の髪の色だなと、そんなことを思う。そういえば昼間の海の青は彼女の瞳の色だ。森の緑の髪と目といわれた自分より、彼女の色の方がずっと豊かで深い色だと、そう思う。
「きれい、ですね」
「ああ、……来て正解だったな」
波打ち際よりも少し手前、さくさくと砂を踏みながら彼女が笑った。元気な、輝くような笑みではなくて、まるでこの赤金色にとけてしまいそうな、そんな笑みを浮かべた。幸せをかみしめるような、そんな笑みなのに。なぜ彼女がそうして笑うとこころにざわめきが走るのだろう。喪失感がこんなにも押し寄せて、不安になるのだろう。
それまで繋いでいた手にますます力をこめようとして、それでは彼女が痛いと思いあたって、繋いだ手はそのままにその手を支点にして、彼女に向き直る。ゆっくりと包み込む。
グールパウダーに冒された華奢な身体に、勝手に想像していたぬくもりは、ない。
つきん、と走る痛みはどこから生まれてどこに抜けていくのだろう。
「……ルーファス?」
「世界なんか、どうでもいいって言ったら……アリーシャは怒るかな」
「…………え?」
「このまま時間が止まればいい。海がきれいで、波がおだやかで、誰の陰口も届かなくて、天界も人間界も関係なくて、オレたち以外誰もいなくて、
ここにアリーシャがいて、オレがいて、ちゃんと抱きしめることができて、話もできて、アリーシャが笑っていて、
……このまま時間が止まってくれたらいいな、って」
ゆっくりほどけたてのひら、自由になった両手で細い身体を包み込む。途惑う気配があって、けれど服の背中をきゅっとつかまれて、拒絶されなかったことに自惚れたい。
抱きしめた身体には、ぬくもりがない、その鼓動を感じられない。
けれどそれでも、今ここにアリーシャがいるから、そう感じられるから、そんなこと些細なことだと今のルーファスなら笑い飛ばせる。
誰よりも強いと知っているけれど、細身な彼の身体で簡単に包み込める華奢な乙女。
彼女が暮らしていく世界を護りたい。けれど、世界を護ったら彼女はいなくなってしまう。世界を護ったならもう二度と彼女と同じような存在は生まれない、けれど彼女はこの手に残らない。
だからこのまま時が止まればいい。
淋しいけれど幸せな今、時が止まったら、いい。
「……わたしは、ルーファスにわがままばかり言っているのね」
「大したことじゃない、もっともっと言ってくれれば、張り切ってかなえるよ」
「わたしはこの世界を護りたいの。それが、わたしのわがままなの」
「うん、知ってる。……わかってる」
謝罪の言葉は互いに出てこない、思っても口に出さない。それが嬉しくて、哀しい。そんな自分たちだという事実が、淋しい。
「全部が終わったら、またルーファスと海がみたい。こんなにきれいな海じゃなくていいから、ううん、海だけじゃなくてまたいろいろ巡りたい」
「任せろよ。はりきって叶えてやるから」
「……楽しみにしてる」
「オレも、楽しみにしてるよ」
きっと叶わない約束を交わして、互いにそうと知っていて交わして、そして目を合わせて小さく笑いあった。笑っているのに視界が揺らいで、きらきらとほほにこぼれたものまで黄金色に染まる。
眺めやった海の果てに、未来があったらよかった。
いくら遠くてもかまわないと、がむしゃらにそこを目指せたらよかった。
