いつも、いつも、いつも。
「日常」は、けれどきっととても、

―― Ergreifen die Stern 3

「……無駄だろう? 術をあたしにかけたことといい、さすがだよね」
「落ち着きはら、」
「――さっそく「負ける」わけかい」
――落ち着き払ってる場合か!!
怒鳴ろうとした勢いを削がれて、アルベルは押し黙る。本を閉じたネルが、どこか淋しそうに笑う。
「この話の娘と男はさ、なんで父親の言うことを聞かなかったんだろうね。言われたのは無茶じゃない「当たり前」のことなのに。ただ相手よりも自分よりも、「しなければいけないこと」を優先しろって、そう言われてただけなのに、さ」
「……やりたいことして何が悪い。我慢なんざ、」
「できないかい?」
小首をかしげた上目づかいの紫に。惚れた欲目を差し引いても整った顔立ちが見せる、愛らしい仕草に。元からないも同然のアルベルの理性が焼き切れる。
具体的に何をどうしようなどとまるで考えなくて。
ただ勢い伸ばした手は――それでもやはりネルに触れることができない。

「我慢、なんざ……っ、クソっ、なんで、」
ネルがまるで泣き笑いの表情を浮かべるのが許せなくて、けれど彼の口からはなぐさめの台詞もはげましの言葉もとうてい出てこないから。高い高いプライドが変に邪魔をして、心が「言葉」というかたちになってくれないから。
だから触れて、触れることで伝えたいのに。それを封じられていて。
悔しくて歯噛みするアルベルから、ネルがふとうつむいた。
「……あたしらも、みんなの忠告を聞いてなかったのかな。その罰なのかねえ?」
「な、」
「遠く引き離されて、真面目に働き通したら年に一回だけ逢うことができるこの話みたいにさ。忠告聞かなかったから、気付きもしなかったから、だからたった数日だけでもこんな罰が与えられたのかな?
ソフィアじゃなくて、アペリスさまから。……こんな罰を」
「くだらねえことほざくな! てめえは、」
普段はまず滅多に見ない表情、声、雰囲気。心のままに力の限りに触れて抱きしめて、そういう重いこと哀しいことを考えられなくしてやりたいのに、
――なのに、ああ、なのにやはりこの手は、

◇◆◇◆◇◆

いらいらしてうろうろするアルベルに、ちょっとは落ち着きなよと言いたかった。言いたかったけれど、言おうとしながら無意識に手を伸ばしていて――アルベルに触れられなかった自分がいて。
ネルは思わず瞬いた。
――まさか、そんな。あたしからアルベルに触れたいなんて、触れることができないことがショックだなんて。
だって、いつだって触れてくるのはアルベルからで。ネルはそれをいやいや流しているだけ、で、
――違うね。
ネルの中の冷静なネルが首を振る。
――違わないさ。いつもいつでもあいつが触れてくるから、今はそれがなくてそりゃ淋しいかも、変に淋しいかもしれないけどさ、
――分かってるだろう? 自分には嘘吐けないよ。
あわてて言い返すネルに、冷静なネルは厳しい顔で淋しく笑う。
――あたしは……あんたは、さ。アルベルに触れたいんだ。

――いとしいからいとおしいから、触れたいんだ。触れてもらいたいんだ。
――嘘吐いても、吐けないよ。分かってるだろう?

「あたしは馬鹿だ……」
触れたいのに触れられない、それを悔しがるアルベルにネルは笑いかける。淋しく優しく笑いかける。
「たった数日でも、でも……、」
ばさり、取り落とされた本の音。いつの間にどちらがどれだけ近付いたのか、互いに半歩も離れていない至近距離。夕陽に赤く染まる室内で、それよりも鮮やかな赤毛の女がうつむいて、
「……悔しいな」
「ネル……」
「「今」あんたに触れられないのが、なんだかすごく悔しい」
――悔しくて、そして淋しい。哀しい。
――こんなに近くにいるのに、ずいぶん遠くにいるような感じがして淋しい。
そのままうつむいたネルの額が、アルベルの胸元にこつん、と、ぶつかって、

「「…………ん??」」

◇◆◇◆◇◆

「ねえソフィア。あれの解除方法って、あの二人に可能な解除方法って本当にないのかしら?」
「んー」
アルベルとネルが別行動していたら「勝負」にならないからと。マリアの能力で部屋入口ドアの蝶番を鉄から石に「改変して」から。
――構造そのものは蝶番のままでも、物質が違えば摩擦抵抗が違えば。――あの部屋は今、よほどの怪力かもしくはドアを破るかしない限り、密室状態にある。
ともあれそんな小細工をしたマリアが静かに立ち上がって、そのマリアの質問にソフィアがくすりと笑う。
「勘がいいですね、さすがマリアさん」
「……お世辞はいいから」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないですかせっかく誉めたのに」
まさか大丈夫だとは思っても、ここでばらしたことがあの二人に筒抜けだと意味がない、と。二人はゆっくり廊下を行く。
「――ええと、解除方法は二種類あります。わたしが解除するのともうひとつ」
「あるのね」
「あれって、二人にとっては「呪い」ですよね」
……分かってやっているのかこの娘は。
――無意識でも困りものだけれど、自覚しているとなるとさらにタチが悪いわね……。
こっそり冷や汗を浮かべるマリアに、きっと気付いていないソフィアはまるで夢を見るような顔で、
「恋人同士が「呪い」を解く方法っていったらひとつですよねっ!」
「……そ……そうかしら。
――でも待ちなさい。「触れる」ことを禁止していたら「それ」も無理に、」
「わたしが禁止したのは、「触れること」そのものじゃないですよ」
ゆっくり歩いていたソフィアが立ち止まった。二歩ほど行き過ぎてしまい、振り返るマリアに差し出される小作りな、
「わたしが二人に禁止したのは――」

◇◆◇◆◇◆

アルベルにネルが寄りかかった、彼の胸元にネルの額が触れた。
「できない」のは「触れること」そのものではないと知った二人が、それからいろいろ試してみて、
「――つまり、どうやら「手で触れる」以外は……可能みたいだね」
「あの……っ!!」
「落ち着きな」
ごっす。
「いろいろ」そのいち、ネルの踵落としがアルベルの脳天に見事にめり込んだ。さすがに痛みで涙を浮かべるついでにネルに怒りを向けたアルベルに、困ったような照れたような、さっきとは正反対の笑みを浮かべた彼女が、
「……ソフィアの性格からするとさ、そうなると多分……解除できるんじゃないかい?」
「?」
「眠りに落ちた姫君助けたのも、カエルになった王子を元に戻したのも。方法は同じだっただろう」
「???」
童話の類にはまるでうといらしい漆黒団長殿に。――こればかりは冗談ではなく本気で分かっていないと悟って、ネルは息を吐いた。

深く大きく息を吐いてから、今さらながら少し照れながら。
「いつも」と違うと不便で仕方がないから仕方がないんだよ、と自分にいいわけをしながら。
「?????」
ちょいちょいと、指で招いて無駄な長身をちょっとかがませておいて、
ゆるく目を伏せたネルの方から、

◇◆◇◆◇◆

「――たぶん、ですけど。あの二人ならすぐ気付くと思うんです」
「そうすると部屋を出ようとしてアレに気が付いて……アルベルが怒鳴るわね」
「……いいですよね……他の全部がまるで目に入らないくらい、素敵な恋ができるなんて」
「あら。自分の「運命の人」がなかなか現れないから、八つ当たりだったのかしら」
「そんなことないですよっ! ただ、たまには逆境ってのもスパイスだって思いませんかっ!?」
「――……さあ? どうかしら」
廊下では、のんびり歩く少女二人がいたずらにくすくすと笑って。

――そして魔法が解ける。
……心は、きっと最初から届いている。

―― End ――
2005/07/08執筆 2005/07/09UP
アルベル×ネル
OFP
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[最終修正 - 2024/06/21-11:15]