フェイトの朝は、とりあえずクォッドスキャナーを手にすることからはじまる。寝起きのぼやけた頭で手にしたそれを何とはなしにいじくって、そうしているうちに思考がはっきりしてくる。
それはもはや「癖」と言ってもいいかもしれない。
「……あ、」
そんなわけで、その日も彼はぼーっと画面を操作していて。ふと目にしたそれに小さな声を上げた。
「……で、今日の予定だけどさ」
一行の現在地、カルサアの宿屋「アイアン・メイデン」。パーティリーダーのフェイトがリーダーらしいことを言い出したのは、全員の食事がすんでそのまままったりと一息つこうかといったころだった。
約一名の寝起きがとことん悪いおかげで、先を急いでもロクなことにならないのは誰もが熟知している。
ともあれ。テーブルに落ち着きなおした一堂をぐるりと見渡して、フェイトはいつもの笑顔を浮かべた。
「今日はあいにくこんな天気だし。まあ無理しようと思えばできるけどさ、これで身体壊したら馬鹿じゃないか。だから骨休めもかねて、この町で羽伸ばそうと思うんだけど」
これもルシファーの策略なのか。いつでも乾燥しているこの町は、今日は朝から珍しく雨に見舞われていて。叩きつけるような、というわけでもないけれど、しとしとと降る水滴は、いつ途切れるのかこのままそれが続くのかひどく読みづらい。
彼の言葉にメンバーの大半が窓の外に目を向けて、なんだかしみじみうなずいた。
「――でもフェイト、」
「ここのところ先急いでただろ? たまには骨休めも必要だよ。いまさら闇雲に急いだところで、戦況にはそんなに大差ないと思わないかい? マリア」
――そんなわけはない先を急ぐに越したことはない、などと続けようとしたらしい青髪の少女は、しかしきっと何を言っても考えを変えないだろう頑固なリーダーに辟易とした息を吐き出した。ちらりと動いた翠につられてふと視線をずらせば、彼女をのぞいた他のメンバーは降って沸いた休日を歓迎しているらしい。フェイトが視線を戻せば、マリアはさらに息を吐いている。
「……明日の朝は、雨が降ろうが雪が降ろうが槍が降ろうが、出発するわよ」
「了解」
青髪同士が真面目にうなずきあった。
「……んで、せっかくだからさあ」
じゃあすることないしナンパでもするか、などとつぶやいたクリフが宿を出ようとしたところで。なんだか間延びしたフェイトの声が、ふとその広い背中にぶつかった。これ見よがしなそれに思わず脚を止めたクリフが、何となく悪寒を感じてげんなりと振り返れば。大体似たようなパーティメンバーの視線が青髪の青年に集中している。
彼は、しかしそんな視線をまるで気にしないまま自分のクォッドスキャナーを取り出した。
「今日は四月一日だよ」
「……?」
きょとんとどこか幼い仕草で首をかしげたのは、中途半端に自分の手甲をかかえたネル。まあ見てよ、というように差し出されたスキャナーの画面を見て、結局はわけが分からないというように、今度は逆の方に首をかしげる。
「――この字、あたしは読めないんだけどさ。とりあえず今日は……」
「分かってますよ、ネルさん。確かにエリクール……シーハーツとアーリグリフの暦では別の日ですけど。銀河標準時……僕たちの暦は、こことはちょっとズレていますから」
「……ふうん?」
星が違えば文化が違えば、当然暦だって違ってくる。連邦圏内では標準時を共通にしているけれど、細かいところでは実は大幅に差があったりする。――まあ、冒険に明け暮れる最近では、暦などそもそもあまり意味がない。
何はさておき、なんだか話が長くなりそうだと、だからといって逃げたら後が怖いなと。観念したクリフは仕方なく外に出ることを諦めた。入口から数歩戻って手近な壁に背を預ける。
そんな彼をまるで無視して、フェイトはにこにこと続ける。
「で、四月一日といえば「エイプリル・フール」だろ? せっかくだから息抜きがてら「らしいこと」するのに全員強制参加、ってことで」
「……あァ?」
ガラの悪い声を上げたのはアルベル。ようやく脳味噌が起きてきたのかとクリフがちらりと目をやれば、視界が移動する途中で養女が立てた人差し指を顎に当てていて、
「「エイプリル・フール」……「ポワソン・ダブリル」とか「万愚節」とか「揶揄節」とか「オール・フールズ・ディ」とか「不義理の日」とか、そう言われるあれよね?」
「詳しいね、マリア」
「……あ、今日がそうなんだ。すっかり忘れてた」
なぜか顔を輝かせたソフィアが、言いだしっぺの幼馴染にきらきらと目をやっている。
毒気を抜かれたアルベルが、渋い顔で舌打ちをした。
一般常識としてその単語には聞き覚えがあったものの、クラウストロ星はフェイトたち地球とは文化が違う。話が見えない。
エリクールの二人は、マリアが上げたそのいくつかの単語にすら聞き覚えがあるはずもない。
楽しそうなフェイトが、そんな大人組を見てどこまでもにこやかに口を開いた。
「つまり……」
「……うーん……」
説明をひととおり聞いて、反論する隙が見当たらないまま一同は解散して。とりあえずは部屋に戻って荷物整理でもしようかと廊下を行くネルは、難しい顔で首をひねっていた。
起源は何種類か分かれるものの、つまり今日は何か嘘を吐く日、らしい。
それは、何となく分かった。しかし。
「……嘘、ねえ……」
変な習慣もあるものだ、と思考が逸れかけて、ネルは違う違うと首を振る。
「改めて「嘘を吐け」なんて言われても……なかなか思い浮かぶもんじゃないよねえ……」
隠密という職業柄、偽りを口にすることはあっても。基本的に実直にまっすぐに生きるネルは、そもそも嘘を吐くことが苦手だし。まっすぐな思考は嘘を吐くことに向いていないし。
しかも「気が利いた」「罪のない」嘘でなければいけない、とは。……まあ、後味の悪い嘘は頼まれても吐きたくないけれど。
「…………うー……」
考えているうちに歩みはゆっくりになっていって、結局その場で脚を止めたネルは。そのことに気付きもしないでひたすら真剣に悩む。
「………………うーんうーん……」
悩む。
そんなネルより一足先に部屋に戻ったマリアは、ベッドの上で私物をぶちまけているソフィアに呆れていた。
「……何か仕込みにでも使うつもり?」
「あ、マリアさん。「仕込み」って……違いますよ」
何が楽しいのか、いまだきらきらした嬉しさ全開のソフィアがなんだか怖い。怖いためこの場から逃げたくなったものの、最近サボっていた銃の調整をしようと一度決めてある手前、マリアは手ぶらでこの部屋から出るわけにいかないと思った。
むしろ、逃げたら「何か」に負けるような気がしてそれが嫌だった。
そうして腰の引けているマリアにきっと気付かないで、ソフィアが笑う。
「どうせさっきの説明でみんな今日がエイプリル・フールだって知っているわけですし。半泣きで「フェイトに嫌いって言われた」って言おうかなと思ってますから。仕込みは必要ないですよ」
だから、これは単なる荷物整理です、と。力説する少女にマリアは息を吐く。
「……いつも振り回されている仕返し?」
「半分は」
くすくすと笑うソフィアは、ちまちました小物を手にして目を落として、
「でも、仕返しじゃなくても。おろおろするフェイトって可愛いんですよ」
「……か、」
――あの食えない青髪の青年を捕まえて「いじめると反応が可愛い」とは。
マリアの腰がさらに引ける。天使よろしく極上の笑みを浮かべた、そのくせ実は小悪魔だったらしいソフィアは。ちょっと顔が引きつったマリアを正面から見つめると、同性でもなんだかくらりとくるほどのとろけるような笑みを向けた。
「……マリアさんは?」
「――」
優しくて花がほころぶほどの笑みが。なぜこれほど圧力を持っているのだろう。
「何か、思い付きました?」
まるで蛇ににらまれた蛙の気分を味わいながら。マリアの頬を、つうっと汗が伝い落ちていく。
何を言われようと、自分が興味のないことにはまるで関心を示さないアルベルは。部屋に戻ると当然にようにベッドに転がって、せっかく覚醒しかけたことをなかったことにして再びうとうとしはじめていた。
嘘を吐け、といわれて、はいそうですか、と答える人間なら「歪」などと呼ばれない。
――ここのところ戦闘の連続でぴりぴりしてたからさ。
そうして半分眠ったアルベルの脳裏に、フェイトの声が聞こえる。
――無理矢理でも冗談言い合って笑った方が、思考がリセットされて良いだろう?
ごろん、と寝返りを打つ。
……馬鹿馬鹿しい、俺が知ったことか。
アルベルの意識があっという間に薄れていく。
「何もしなかったら罰ゲーム……かよ。くそっ」
話が終わって何となく外に出て。クリフは大きく息を吐いた。しとしとと降る雨を避けるために手近な軒先に避難してから、がりがりと後頭部をかきむしる。
ジョークや悪ふざけは決して嫌いではない。どころか、むしろ「好き」ではあるものの。誰かに強制されて何かをするのは大嫌いだし、たとえ悪ふざけをするにしても身構えている人間相手だといまいち面白くない。
クリフはさらに重い息を吐く。
――いっそのことフけてしまおうか。けれど。
「……だからってあいつの「罰ゲーム」はなあ……」
「罰ゲーム」といえばロクでもないことだろうと思う。さらに、あのフェイトのことだ。具体的に何をしようとすでに決めているのかただ言ってみただけなのか、まずそこからして全然読めない。
彼の脳裏に浮かぶのは、どこまでも爽やかな笑みを浮かべた青髪のパーティリーダー。
「強くなったってもなあ……こんな風に扱いづらくなるとなあ……。ああったく……マリアの二の舞かよ……」
「義務感」に追われてぐるぐると考え込んで。「四月一日」に関連する事柄――マリアの口にした単語の起源やら中身やらを思い浮かべて。ふと思いついた事柄と、「それ」をしたあとの惨状と「罰ゲーム」のことを頭の中の天秤にかけて。
「……オレ、何やってんだろうなあおい」
クリフは何度目かも分からない苦い息を吐き出した。
少しばかり、本気で泣きたかった。
