――ぼく? ぼくは元気だよ??
――いいえ、今ではなく、過去に。
おだやかな声にうーんと首をかしげる。

―― avoir des emotions 1

彼女が帰ってきたときは、教団はいつもと違うざわめきに包まれる。たとえば今日もそれで、どこか浮き足立った空気を目ざとくかぎつけたフローリアンは意気揚々と教団内を駆けていた。

フローリアンは、アニスが好きだ。彼が教団に保護されてまだそれほど経っていなくて、学ぶことがたくさんでこの建物の外に出たことはないけれど。
それでも少なくはない毎日の参拝客や、彼らを誘導する教団員たち。彼を見た人間がほぼ全員驚いた顔をして、次いで微妙な顔で変なものを見る目で見つめてくるけれど、アニスにはそれがない。

もちろんそれだけではないけれど、とにかくフローリアンはアニスが大好きで、だから広い広い教団内を彼女の癖のあるツインテールを捜してぱたぱた駆け回る。
入口の向こうがわのホール、その奥にある礼拝堂、ホール左手の図書館。いつもならそれらを探せば大体彼女は見つかるのに、なぜだか今日だけは彼女のはじけるような声さえ聞こえない。小首を傾げたフローリアンは図書館を出てそのまままっすぐ進んで、転送陣のある広い空間に向かう。やはり、いない。いくつかある陣のうち真ん中に立って、導師の部屋にも行ってみたけれどそれでも見つからない。

――どうしたんだろう。
――それとも、アニスが帰ってきたと思ったのはフローリアンの勘違いだったのだろうか。

◇◆◇◆◇◆

しょんぼり肩を落としたフローリアンは、アニスとその家族に割り振られた部屋に向かった。本当はどこに向かおうと決めてはいなかったけれど、足はすっかり通いなれた道を進んでいた。
アニスの両親はやさしくて、彼を見ていまだにどこか困ったように笑うけれど、それでも他の人間たちよりはやっぱりやさしい。それに、いつ遊びに行っても飴やらクッキーやらのお菓子をくれる。――時々それがアニスにばれて、怒られたりしている。
あの人たちはあの部屋はだから居心地が良くて、しょんぼりした気持ちもきっときっと晴れるだろうと、なんとなくフローリアンは思う。

「オリバー、パメラ。……いる?」
一度陣を通って戻って、別の陣に入って……誰かの部屋に入るときはちゃんとノックをするんだよ、なんてアニスの言葉を素直に守って、どかどかと扉を殴る。フローリアンにはノックをするようにと言うけれど、アニス自身はどこに行くにもノックをしていないよね、なんてふと頭に浮かんだ。
――どうしてなのか、今度アニスに訊いてみよう。
そんなことを思っていると、扉越しにはーい、なんて声が聞こえた。声と足音が近付いて扉が開いて閉じて、まるで隙間をすり抜けるように出てきたオリバーにフローリアンは瞬く。
いつもと、違う。
いつもなら扉を開けたオリバーはそのままフローリアンを中に招く。それに雰囲気が何か違う。表情がなんだか本当に困っていて、それにまるでフローリアンに部屋の中を見せないようになんて、いつものオリバーはそんなことをしない。
ついでに、部屋の中に誰か何人か……いるような?
「オリバー、」
「しー」
小首をかしげたフローリアンに、オリバーは静かにと口の前に人さし指を立てた。そんな彼がフローリアンの知るアニスそっくりに見えて、オリバーはアニスの「パパ」なのだと、親と子は似るんだよ、なんてことを思い出す。
フローリアンがそんなことを思っているなんて当然知らないオリバーが、いよいよますます困ったように、
「お静かに、フローリアンさま」
「……どうしたの、何かあったの?」
「怪我人がいるのですよ。だから、その枕元で騒がしくするのは良くない」
「ぼく、うるさくしないよ! 約束する、だから、」
「……フローリアンさま、少しお散歩をしましょうか」
静かにすると約束だってするのに、ぜんぜん信じていないオリバーがうながして、フローリアンはぷくっとむくれた。けれどこのまま言い返せばきっとそれこそうるさいだろうと思い直して、しぶしぶ彼の後をついて歩くことにする。

◇◆◇◆◇◆

「パメラ、けがしちゃったの?」
「いいえ、パメラはなんともありません。……ありがとうございます、心配してくださって」
「えっと、だったらけがをしたのは誰?」
オリバーの歩みは意外と速くて、知らず小走りに追いながらフローリアンは瞬いた。
あの部屋はアニスとオリバーとパメラの部屋で、アニスは旅に出ていて今はいない。たとえば教団の誰かが怪我をしたなら、救護室が別にあるからそちらにかつぎ込まれるはずで、だったら今あの部屋にいるのは……?
「オリバー、わけが分からないよ」
「そうですね……フローリアンさまは怪我をされたことはありますか?」
「ぼく? ぼくは元気だよ??」
「いいえ、今ではなく、過去に」
おだやかな声にうーんと首をかしげる。

怪我、けが……教団に保護されてからは少し青あざを作ったりどこかすりむいたり以上の大きなけがはしていない。それより前、モースに預言を詠まされたとき……は、とても疲れたけれどなんだかぐったりしたけれど、怪我というけがはしなかったはずだ。
けれど。

――だったら、さらにその前は?

―― Next ――
2006/07/23UP
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[最終修正 - 2024/06/27-10:17]