謝ってくれなくてもいいのに、自由にしてほしいのに、それだけはがんと譲ってくれない。
そして、
そしてぽつりと、聞こえてしまった言葉に。
フローリアンの目の前が真っ暗になる。

―― avoir des emotions 2

「あるよ」
怪我をしたことがあるかの問いに、フローリアンはうなずいた。
それは、彼が生まれて間もないころ――周囲に自分たちレプリカ以外の誰もいなくなってしまったあとのこと。今ならそれは「捨てられた」のだと分かる、けれど当時は何も分からなかった。分からないから闇雲に周囲をうろついて、ザレッホ火山は何も知らない生まれたてのレプリカにとてもとてもつらい場所で、
「骨……折ったことがある」
ぽつりとつぶやいたなら、いつの間にか立ち止まっていたオリバーが哀しいようなつらいような顔をしていた。今はなんともないよ! なんて空元気に言い放てば、アニスと同じくらい深い深い目がほっとなんだかやさしくなった。
「骨折をなさって……そのとき、どうなりましたか?」
「えっと、腫れて……びっくりするくらい腫れて、ずっきんずっきん痛くて、でもなんだか痛いのに頭ぼんやりした、ような」

あのときの痛みを、記憶はぼんやりしているくせにやけに鮮明に印象に残った痛みに顔をしかめたなら、オリバーがひとつかすかにうなずいた。どういう意味だろうと彼の顔を凝視するフローリアンに、いつの間にかすっかり離れた自室に遠く目をやったオリバーが、
「アニスが……肋骨を折った状態で、先ほどここに帰ってきました」
「アニスが!?」
どこかかすれた声に跳ね上がるように驚いて、オリバーが向いている方向へ駆け出そうとして、けれどフローリアンはその一瞬前に首根っこをつかまれてじたばたする。
「はなしてよ! オリバー!!」
どうして邪魔をするの、とかんしゃくを起こして叫んでみても、オリバーは意外に強い力で彼の動きを邪魔したまま、どいてくれない。困った顔で、心底困った顔でにらみつけるフローリアンを見下ろしたまま動かない。
「申しわけありません、フローリアンさま」
「どうして!!」
なぜ邪魔をするのか、分からない。フローリアンはアニスが好きで、大好きで、そのアニスが旅に出てフローリアンを置いていってしまうことからして本当はすごく哀しい。哀しいのを我慢して、我慢して我慢して教団に残っているから、たまにアニスが帰ってきたときは何をおいても彼女に会いたい。
そのアニスがけがをしていると聞いてしまえば、たとえば看病はできないかもしれないけれど、それでもアニスの元に駆けつけたい。何もできないフローリアンだけど、何かしてあげられるかもしれない。けれどそのためにはアニスのそばにいなければならないのに、
それなのに。
「申しわけありません……」
それなのに哀しい顔をして、困った顔をしてオリバーは謝るばかり。謝ってくれなくてもいいのに、自由にしてほしいのに、それだけはがんと譲ってくれない。
そして、
「そのアニスが……フローリアンさまを部屋に入れるな、ときつく言っているのです……」
そしてぽつりと、聞こえてしまった言葉に。
フローリアンの目の前が真っ暗になる。

◇◆◇◆◇◆

――どうして?
訊ねたかったのに、声が出なかった。
アニスはいつでも強くてやさしくて、フローリアンはそんなアニスが大好きで、でも、そうだ。アニスはフローリアンのことをどう思っているか、聞いたことはない。やさしいということは、好きだということ。そう思ってきたけれど、でもひょっとしたら。

うなだれて、あばれもがくのをやめたフローリアンからややあってオリバーが手を引いた。
暴れた拍子にしわのよった服をくしゃくしゃになってしまった格好を、少し不器用な手つきがゆっくり直していく。それはまるで大丈夫だよとフローリアンの頭をなでるアニスの手つきにそっくりで、いや、違うはずなのになんだか似ていて、そう思ったならなんだかフローリアンの目に涙の珠がゆっくり盛り上がっていく。
「アニス……アニスは、」
「アニスは、あの娘は……フローリアンを傷つけたくないから、と言っていました」
「……え……?」
「それ以上は何も。――けれど、思うのです。
フローリアンさまもご存知でしょう、骨を折れば熱が出ます。意識が朦朧と……あやふやになって、夢と現実が分からなくなる。
そして、フローリアンさま。あなたは導師イオンと同じ顔を、同じ声をしている」

レプリカ。
……アニスの仕えた「導師イオン」は、本物の被験者イオンの七番目のレプリカだ。フローリアンは、彼と同じ生まれの四番目のレプリカ。けれど同じレプリカでも、「導師イオン」はアニスにとって特別の存在で、フローリアンは彼ではない。

まるで独白のようなオリバーの言葉に慎重にうなずけば、彼はただ淡く微笑んで、
「熱に浮かされることで、見舞ってくださるフローリアンさまを導師イオンと混同してしまうことを、アニスは恐れたのでしょう。そうしてフローリアンさまを傷つけてしまうかもしれない、と。
いえ、わたしの勝手な思い込みですが」
失礼な娘ですみません、と謝られて、どうして謝られるのかが分からなくてフローリアンは首を振った。謝ってほしいわけじゃない、オリバーは悪くない。オリバーはアニスのパパとして、ただただアニスを心配しているだけなのに。

◇◆◇◆◇◆

「アニス……ぼくのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いでしたら、遠慮はしませんねあの娘は。困ったことです……いったい誰に似たものか」
「じゃあ、熱が下がったらお見舞い行ってもいいのかな」
「もちろんです、こちらからお願いしたいくらいですよ!」
大げさに言って、不器用なウィンクまでくっついて。くす、とまだ目に涙をためたまま小さく笑えば、大きな手が彼の涙をゆっくりぬぐってくれた。やさしいオリバーはやはりどこまでもやさしくて、やさしさにまた涙が出そうになるのをあわててぱちぱち瞬いて何とか追い払おうとする。
オリバーのやさしさはアニスとよく似ていて、だから涙が浮かぶのをあわてて追い払う。

「アニスのけが……早くよくなるといいな。いつ治るかな、明日かな」
「明日は無理でしょう……と言いたいところですが、お仲間の方もいらっしゃいます。治癒の術さえかけていただければ、一晩ゆっくり休んで、明日には出発できるでしょうね」
「ティアとナタリアだね! ぼく、頼んでくるよ……って、ああ、二人って今アニスの部屋にいるのか」
「では、ちゃんとお伝えしておきます」
「ちぇずるいなオリバー。ぼくだってアニスの看病したいのに」
「そうですねぇ」
のんびりと、今度はだいぶ明るくオリバーが笑って、それを見上げたフローリアンも少しだけ頬をゆるめてみた。たぶん本当には笑えなかったけれど、それでも哀しい顔ではなくなったと思う。思いたい。
アニスに哀しい顔をしてほしくない。フローリアンが哀しい顔をすれば、そうだ、アニスもつられたように哀しい顔をしていた。だったらフローリアンが笑顔でいれば、アニスも笑ってくれるかもしれない。
そうだったらいい。
アニスにつらい顔は、つらい思いはしてほしくない。いつだって笑っていてほしい。
太陽のように、フローリアンの心に明るく灯をともしてくれた、あの笑顔を。

それくらいは、願ってもいいだろうか。

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[最終修正 - 2024/06/27-10:17]