――謝らないでください……ぼくは、それでも嬉しかったんですから。
そうだ、ぼくは嬉しかった。そしてきっと、……きっと、彼も、
部屋の中には入らないから、部屋の前まで。
そう約束してオリバーと手をつないで、来た道をゆっくり戻るフローリアンは。ふと、その部屋の中からやれやれとどやどや出てきた人影に立ち止まった。
赤い髪の青年、教団服の長い髪の女性、金色の髪を肩より短く切りそろえた女性、青い軍服の長身の男、同じくらい長身に金髪を刈り込んだ青年。
間違いない、アニスの仲間たちだ。
思わず駆け寄ろうとして、手をつないでいたオリバーにぎゅっとその手を握り締められて、そうだ、騒がしくしてはいけないとブレーキをかける。どこか恐る恐る見上げれば、オリバーはよくできましたと目が笑っている。
「あら、フローリアン?」
「こんにちは。……アニスは?」
「変に気を張って眠ってくれないから、今ティアが譜歌で眠らせたところですわ。まったく……」
「そもそも自宅でゆっくり休みなさいという忠告を無視して、けがをおし隠していたような彼女ですからねえ」
「痛いの平気なはずないのにな。あいつ……いや、このパーティの女たちはみんな意地っ張りばっかりだ」
「ははは、まったくだな――と、失礼」
順番に無駄口をたたいた一行が、じゃあおれたちは街に宿取るから、なんてさくさく行こうとする。きょとんと目を丸くするフローリアンに、たまには親子水入らずってやつだよ、なあ? などと赤毛の青年がぐるり周囲を見渡して、
「ティアの譜歌のあとで、わたくしが治癒の術をかけましたの。目が醒めるころには怪我も良くなっているはずですわ。
明日、またここへ迎えに来ますから」
金髪の女性が、あでやかに微笑んだ。
――そのときフローリアンの頭にとあるアイディアが浮かんで。
実行に移していいものかと、オリバーの手をぐっと引き寄せ耳打ちする。
彼女の仲間たちが去って半日。教団内は普段どおりこれ以上にないほど静かで、どうやらおかげでアニスは昏々と眠り続けていたらしかった。
夕日に照らされる寝顔を覗き込んでいたパメラが、彼に気が付くとやわらかく微笑んで一礼する。
そのままゆっくりと部屋を出て行って、扉の閉じるぱたんという音でアニスの寝顔がぴくりと動いた。
彼はゆっくりと歩を進めると、先ほどまでパメラが腰掛けていた椅子にそっと座る。そのまま先ほどまでの彼女を真似て、少女の寝顔を静かに覗き込んだ。
「…………?」
「あぁ、アニス……」
それが分かったようにアニスの目がぼんやり開いて、彼が小さく呼んだなら二、三度瞬きをくり返す。どこまでもぼんやりした、いつもの彼女らしくないそれに淡く笑ったなら、なんだかきゅっとその口がとがって、
「笑わないでくださいよぅ、イオンさま……」
「いいえ、すみません。お加減はいかがですか、アニス?」
「……情けないですね、あたし、導師守護役なのに」
「いいえ、あなたは立派に役を務めてくださっています」
ぼそぼそした声もまた普段のアニスらしくなくて、けれどそれをそうと指摘したくはなかった。怪我をして弱っている姿さえ気負うことなく見せてもらえる、それが信頼の証のようで嬉しい。
「もう少し、寝てください。……明日には、いつものアニスになっているのでしょう?」
「もちろんです、アニスちゃんをなめないでくださいね」
「はい、信用していますから」
何気なく返した声に、きゅっと彼女の唇がかみ締められた。ゆっくり持ち上がった手が目の、眉間のあたりを隠して、彼の目にはアニスの口元しか見えなくなる。
「あたし……イオンさまに謝りたかったんです」
「はい?」
「本当はあたしのこと信用してちゃいけないんだよって、だましててごめんなさいって、ずっとずっと謝りたかった」
いつもはきちんと結ってある髪がほどいてあって、いつもの導師守護役の服から寝巻きに着がえていて、格好からしていつもの彼女らしくないのに。なおそんな気弱なことを言われてしまえば、戸惑うしかない。きっとそんな彼を分かって、口元しか見えていないアニスが口元だけで笑う。
「アニスちゃんの、とっておきの秘密だったんですよ。……いつかばれるって分かってたけど、できればお墓の中まで持っていきたかったなあ」
「哀しいことを言わないでください」
「いえいえ、言いたい気分なんです。
……ごめんなさい……イオンさま」
ひっく、息に詰まったように声が詰まって、隠してある目元からたぶん涙が伝って、枕に吸い込まれていくそれに彼は動きを忘れる。
――美しいと思った。それはとても、美しいものだとただ思った。
思う彼を置いてけぼりにして、アニスの独白が、
「あたしが、イオンさまを殺したんです……。
いつでも笑っていてほしかったけど、あたしを怒ってもほしかった。好かれて嬉しかったし好きだったけど、嫌われたかった。
だって、あたしはいつか必ずイオンさまを裏切るから。
モースの命令だって自分に嘘吐いて、理由を見つけて理由に甘えて、でも、イオンさま……最期まで、あたしを怒らなくて、信用してくれて、嬉しいのに苦しくて、つらくて……哀しくて。だから謝りたかった」
「謝らないでください……ぼくは、それでも嬉しかったんですから」
力の入っていないアニスの手をどけて、こめかみを伝っていた涙をゆっくりぬぐいとる。閉じた目でアニスが小さく笑って、どういう表情をしたらいいのか分からない。
「ずるいなあ、イオンさま……謝りたいって言ってるのに、謝ってほしくない、なんて。
うん、でも、あたしそんなイオンさま以上にずるいから、おあいこで相殺ですね」
「アニス……」
むき出しのおでこに触れれば、まだまだだいぶ熱かった。オリバーの予想通り、熱に浮かされているのだろう、だからきっと記憶もあいまいに残らない。
思って手を引いて、もう一度椅子に腰掛けなおして彼は夢うつつのアニスをただ見守る。
きっと熱のせいで何かをつぶやいていたアニスの声がやがて途切れて、彼がふっと息を吐いて、そのとき、
「ごめんね、フローリアン……あたしだけは、フローリアンとイオンさまを間違えないようにしようって、思ってたのにね」
「アニス……」
「イオンさまに言いたいこと、言いたかったこと。愚痴ってごめんね……ありがとう」
「アニス――お休み。眠って。ね?」
「うん……明日には、いつものアニスちゃんに、なってるから、ね……」
――導師イオンと混同されても平気だから、アニスを見舞いたい。
――混同することでアニスが少しでも軽くなれるなら、それがいい。
心底真剣だったはずのそれが、あっさりアニスに看破されていたことを知って。どうしようもなくいたたまれなくなって、彼――フローリアンは息を吐いた。
せっかく仲間たちから導師イオンの癖やら話し方やらを半日がかりでみっちり仕込んでもらったのに。熱に浮かされていてさえ、アニスのほうが一枚上手だった。
「アニスに無理してほしくないのにな……難しいや」
つぶやいてやれやれと肩をすくめて――フローリアンはもう一度息を吐いた。力の抜けたアニスの手をとって軽く握って、少しだけつらかったアニスの顔がふっとゆるんで、
「でも、いいや。アニス……ありがとう」
小さくお礼をつぶやいたなら、聞こえていたのかそれとも寝言か、どういたしまして、なんてもごもご声が返ってきた。
彼女が帰ってきたときは、教団はいつもと違うざわめきに包まれる。
彼は大好きなアニスを見下ろして、ただ、……微笑む。
