常に「完璧」な人間なんて、
常に「強い」人間なんて。
「……!!」
誰かの声を聞いた。
攻撃直後の隙をつかれたのだと分かった。
考える暇もない刹那、マリアはがくりと膝を折る。
「マリア!?」
養父の心配そうな叫び。
――大丈夫、攻撃は受けていない。姿勢を低くしたのはわざとだから。
倒れそうな姿勢のまま片足を軸にするように身体をひねって、逆の脚が地面に触れると同時、重力を無視して地面を鋭く蹴って距離を稼ぐ。
目の前を敵の白刃。
浮かべたそのいやらしい笑み、むき出しになった歯茎さえ見える。ここで刃を横に振られたらアウトだ、その前に逃げるなり反撃なりを、
完全には崩さなかった姿勢が、けれど確実に動きが鈍くなっている。元から脚の速くない自分は知っているけれど、頭の動きに身体がついて来ないのが痛い。
ぎらり、刃が陽光を反射して、
――大丈夫、一発で死ぬことはないから。
一撃喰らう覚悟で逃げの勢いを転換して、
「……の、阿呆!!」
罵声と一緒に割り込んできた細い身体を、マリアは呆然と見つめる。
一体どれほどの無茶をしたのだろう、派手に負った彼の傷口から鮮やかな朱が散って、
「お疲れー」
「じゃあ、ミーティングは明日の朝食のときに」
「ゆっくり休めよ」
エリクール二号星、アーリグリフ首都アーリグリフ。人数分取った個室に一同が解散した。
ぱたん。
未開惑星ならではの、手動のドアが音を立てて閉じて。一瞬そこに身体を預けたくなって、けれど実際それをしたならそのまま意識を失うように寝入るだろうことは十分分かっていたから。
「……ふう」
マリアは小さく息を吐くと、脚を引きずるようにしてベッドへ向かった。誰も見ていないから無理に見栄を張る必要がなくて、疲労の色濃い顔を気遣う余裕もない。眠い。本当は身に付けたこの軽鎧も外したいけれど、鉛でできたようにひたすら重い疲労しきったこの身体では、指先ひとつ動かすことさえひどく難しくて。
誰かがいたのなら、見栄だけでどうにかするだろうことが。
誰もいないから、どうにもできない。どうにかしようとする気力がわかない。
「……っ、」
そして。
あと三歩歩いたならベッドに倒れこむ位置で。
マリアは不意に「それ」に襲われた。
視界がぶれて、自分の身体が細かく震えているのだと気付く。
頬を生ぬるいものが伝って、部屋備え付けの暖炉に火は入っているものの、なにしろ寒い土地柄すぐに冷えたそれがいっそひりひり痛い。
がくがくと笑いはじめた膝がぞっと一気に立った鳥肌がわななく唇が。
耳に届くかすれたひきつれた声は、ひょっとしたら自分が上げているものなのか。
脚から力が抜けた、バランス感覚が消失した。
落下する感覚が続いて続いて続いて、気持ちが悪い。
――怖、い。
床にしゃがみこんでいるのか、それとも倒れこんでいるのか。それさえ把握できないまま、マリアは泣きじゃくる。
……理由は分かっている。
戦闘の日々に、本当の意味では心休まる瞬間さえない日常に。心の奥底に封印した「恐怖」が、無理やり閉じ込めてきたそれが。疲労した、安心して気が緩んだときを狙って浮上するためだ。
そうしてその「恐怖」によって心がバランスを取ろうとするためだ。
――誰もいなくて、良かった。
心底怯えて恐怖に泣きじゃくっているはずなのに、年端のいかない子供よりもみっともない姿をさらしているはずなのに。それなのに余裕がないはずの頭のどこかが小さくつぶやいた。
取り乱した自分を誰にも見られることがなくて、たとえ養父にさえ見られる心配がなくて良かったと――だからこそここでタガが外れたのかと、ぐるぐる思考がから回る。
――大丈夫、大丈夫。
――今ここで、誰もいないここで思いっきり泣いておけば。
――そうしてリセットをかければ、またしばらくはもつ。
――「冷静で冷酷なマリア」を、保つことができる。
――大丈夫、今ここに「怖いもの」はないから。
――「怖いもの」を思い出して、身体が心が怖がっているだけだから。
がたがたと震える身体を、細い身体を自分で抱きしめて。かみ殺せない嗚咽でがちがちと歯を鳴らして、あふれ続ける涙で頬をぬらしてきっと床までぬらして。意味のないうめき声と自分でも聞き取れないうわごとを、情けなく口の端から漏らして。
マリアは、泣きじゃくる。
押し殺していた「恐怖」を、封印していた感情を。吐き出そうとする。
吐き出すことで壊れないようにする。
マリアは、ただ泣きじゃくる。
