思い通りになることなんて、
この世界に、きっとひとつもないけれど。
自分を抱きしめる――この身を包み込む腕が、なんだか震えているような気がした。きつく抱きすくめられて見て確かめるだけの距離を許されなくて――けれどその声が、どこか震えているような気がした。
……な、ぜ……?
……なぜそんな、まるで懺悔でもするように、
「弱くても……たとえ弱くても、……」
「アルベル……?」
間近い距離のささやき。耳より先に身体に響いて、頭がくらくらする……音。
「恐怖だって悲哀だって。生きてりゃ当然ぶち当たるし、それにつまずいたっていい」
「……ぁ、」
痛くない。先ほどの、力に任せた荒々しい締め付けとはまるで違う。これは――これは本当に「包み込むような」抱擁で。あたたかい身体に細いけれど大きな身体に、包み込まれて守られて。不安も恐怖も悲しみも、「怖いもの」すべてから守ってくれる抱擁で。
それなのに、同時にこの包み込む腕が、
――なんだかすがり付いてくるもののように思えて。
おずおずとマリアは手を伸ばした。アルベルの背にそっと触れて、うずく心に促されるようにそこにあった服をきゅっとつかむ。抱擁に応えたマリアは。かすかに揺れた腕に、さらに深く抱きすくめられる。
アルベルが小さく息を吐いた。……笑ったのかもしれない。
「泣いてもわめいてもかまわねえ……たとえどんなんだって、お前はお前だ。お前がどうあろうと、それを「お前」じゃねえなんて否定することは、俺だろうが神だろうができるはずねえんだ……」
「あ、……」
――弱くても醜くても、マリアは「マリア」に違いない。マリアは他の誰でもないし、他の誰も「マリア」になれない。
――「強く」なくても。弱くても弱音を吐いても泣いてもわめいても愚痴っても。
――たとえそうだとしても、マリアは「マリア」だから。
言葉よりも雄弁に、アルベルの心が流れ込んでくる。マリアの心に彼の思いが直接流れてくる。
――勘違いかもしれない、それこそ思い込みかもしれない。
アルベルが本当に何を考えているのか、彼ではないマリアには分からない。
マリアの考えていることがアルベルに完全な形で伝わるはずがないのと、それは同じように。どんなに言葉を尽くしても、結局ひととひとは完全な意味では分かり合えないように。
言葉さえない態度ひとつで抱擁ひとつで、本当に「心」が伝わることなど絶対にありえない。
それでも。
……それでも、
「……うぁ、あ……っ」
マリアの口から嗚咽が漏れる。
強がることはマリアの――すでに一部だし、人前で強がる分見えないところで余計に傷ついているのもマリアの性分だ。常に計算が先で、感情で動くことがないのも、他人はどうあれ自分はそうでなくてはいけないと思うのもマリアだし、「完璧」に、特に人前で完璧にあろうとすることも、そのための努力は惜しまないのもマリアだし、「鉄の女」と称されるほど冷静で冷酷なのも、無理にもそう演じているのもマリアだ。
「……あ……、ぁ……っく、う」
そんなマリアに――「俺には弱いところを隠すな」と、アルベルは言わない。自分を特別扱いしろと、親切めかした命令をしない。たとえそうあってほしいと思っていたとしても、それをマリアに言うことは――きっとない。
「強くて当たり前」と考えるのも。今まではそう思っていたとしても、これからはなくなるだろう。
彼は、「嘘」を許さない。
自分にも、他人にも。
同じだけ「嘘」を許したりしない。
――そんな彼に「そのままでいい」と言われて、
「ぅ……ふ、っ、……う、っく」
無言で包み込まれて。
「恐怖」からではなくて。哀しいわけでもなくて、嬉しい……というのも違う。
ただ、涙が止まらない。
人前で泣くことを、なぜか――今だけは恥ずかしいと思わない。
――ありがとう、アルベル、ありがとう。
――ほしい言葉をくれて、ずっとほしかった言葉を、そうと自覚していなかったけれど心底ほしいと思っていた言葉をくれて。
――本当に、ありがとう。
――明日には、私は「マリア」に戻るから。
――強くて冷酷な、クォークのリーダーに、アルティネイションの能力を抱えた女に。
――「私」が理想とする「マリア」になるから、戻るから、演じきってみせるから。
――「私」がそう望んで、「マリア」になるから。
――だから。
――ありがとう。アルベル、
「大好き……」
泣き疲れていつしか寝入ったマリアが、まるで寝言に混ぜるようにつぶやいた心を。それに思わず苦笑したアルベルを、彼女は知らない。
苦笑して、そして。
誰も見たことがない、やわらかく包み込むような笑みを彼が浮かべたことを知らない。
「――……あァ」
マリアの薄く残った涙の痕を、信じられないくらい優しい手つきで拭い取って。乱れた髪を手櫛で直す気遣いを見せたことを知らない。ベッドまで運んで、彼女が寒くないよう暖炉の火にまで気を配って、静かに静かに気配まで殺して、
そして部屋から出て行ったことを。
――マリアは、そのすべてを知らない。
そっと耳元にささやかれた言葉と、唇に触れた「何か」と、
目醒めたその手にゆるく握りこんでいたベリーと、枕元のサイドテーブルに置かれた「食え」と一言書き殴られた色気も何もないメモと。
胸の奥にあたたかく灯った心と。
そのあとのことでマリアの知っているのは、それだけ。
たったそれだけで、
――きっと、それ以上は必要ない。
