いつだって死は身近に転がっていたのに、自分とそれとを結び付けたことなどなかった。
体力は全員ほとんど使い切っていた。アイテムは底をついて、補助の施術を使える連中の精神力もカツカツだった。なにより思考力すら奪うほどに、全員疲労が色濃かった。
すぐにでもゆっくり休みたかったのに、こんな時に限って敵に遭遇して。
バール山脈、頂上付近。村までの距離は――絶望的に遠い。
「逃げるぞっ!」
敵の数と種類を確認した瞬間、フェイトが引きつった顔で叫んだ。リーダー命令は絶対で、何より自分もその判断を正しいと感じたから、ものすごく不本意ではあったもののアルベルを含め全員が身を翻した。
背後から数発食らうことは覚悟する。この際それも仕方がない――それよりも。
「誰だよこの前のアイテム補充係は!?」
「クリフそれ七回目、つーかお前だよまちがいなくベリィけちったの」
「し、仕方ないだろクリエイション失敗続きで金なかったんだよ!」
「そーだな誰かさん無理にレベル高い防具作ろうとムキになってたもんな!!」
「……あんたらムダ口叩く余裕あるならもっと早く走りな!」
顔を引きつらせながらも、馬鹿話する三人は別にどうでもいい。無意味にデカい筋肉ダルマでさえ、脚はそこそこ速いから。……そうでもなければ接近戦などできるはずもないが。
――問題は。
「……ちっ」
もともと最後尾にいて、そして今間違いなく全力疾走しているはずなのに、むしろじりじりと追い付かれそうになっている青髪の女を振り返り、アルベルが舌打ちをした。
実際彼女が囮になっているようなもので。わーアルベル極悪顔ー、などと呑気にほざくフェイトに腹を立てて、その膝裏に蹴りを放つ。
さすがに体勢を崩したフェイトに、囮役が替わったことを確認して、
「見捨てたら殺す」
ぼそりとつぶやいた言葉にネルの顔色が少し変わり、それを視界の隅に捕らえながら。彼は鋭く地を蹴った。
「アルベル!!」
――最後に彼を呼んだのは誰だったか。
身体がバラバラになりそうな痛みに顔をしかめて、表情が動いた自分に気付いた瞬間、マリアは目を開いた。屋外。陽の高さから考えて、大して長い時間気を失っていたわけではないはずだ。瞬時に判断してまた目を伏せる。身体中が痛くて考えがまとまらない。
確か、体力も精神力もアイテムもあやうげになって。これはマズいとアリアスの村へ引き返そうとした矢先、モンスターに襲われて。仲間の三人はずいぶん先を走っていて、足の遅い自分は追い付けなくて。逃げ切れない、襲われると覚悟した瞬間、視界が黒っぽいもので埋め尽くされて――
「……アルベル!?」
「――目、醒めたか」
はっと目を見開いて名前を呼んだ瞬間、いっそ穏やかな声がした。どこから、などと考えるまでもなく、アルベルの膝に乗って彼に抱きしめられている自分を発見する。
「……!? え、あ、あの……?」
「死にたくなかったら暴れるな」
言われていることが理解できないものの、しかし彼がそう言うならそうなのだろうと。とりあえず身を離そうと暴れるのはやめた。熱い身体に包み込まれていて、それに負けないくらい自分の顔が熱いことを自覚して、どきどきどきどき、ものすごい早さで打っているこの鼓動は自分のものなのだろうか。
恥ずかしさなのか、もっと別の何かなのか。黙ったままだと気がおかしくなりそうで。身体中の痛みとは別のことで混乱した頭、どうにか言葉を捜す。
「……っ、あの……!」
「あ?」
「こ、ここって……そ、それにみんなは?」
「――あー……岩棚だ。ここは」
「見れば分かるけど……あ」
「?」
ふと思い付いて、俯いていた顔を上げる。至近距離の男の顔は恥ずかしいけれど、これは面と向かって言いたい。
「助けてくれて、ありがとう」
しかし、照れているわけでもない仏頂面がそっぽを向いた。吐き捨てる。
「……目測誤ってこんなトコに落ちるハメになって、他のやつらからはぐれた上に身動き取れなくさせた相手に言うな阿呆」
どうやら、どうにもならない現状とそれを呼び込んだ自分に腹を立てているらしい。しかしマリアが彼に助けられたのは事実で。礼の言葉くらい受け取ってもらいたい。
そう思って、改めてその端正な顔を見上げて。にこり、ほほえんで、
「それでも、今私は生きているから。ありがとう、アルベル」
「……」
ため息。……そして沈黙。
動くなと言われたので。マリアは目だけで周囲を探った。相変わらず顔は熱く鼓動は激しく、しかしいくらか落ち着いて、それだけの余裕ができて。
とりあえず、よくもこんなところに引っかかったものだと感心する。
アルベルは崖を背に腰を下ろしている格好で、その膝の上にマリアがいるのだが。その密着状態をどうにかしたいと思うなら、崖下に飛び降りるしかないくらい、その岩棚は狭い。たしかに、少しでも彼女が暴れたならそのまま谷底に転がり落ちてしまいそうなくらいで、実際多少は暴れたわけで、何も知らずにそんな大冒険をやらかした自分に自分でぞっとする。支えてくれたアルベルに心から感謝したい。
上を見れば、落ちてきたのだろうそこは想像よりも近かった。さほど高くはない。高くはないが、それはもちろん長身のアルベルの背よりも高い位置で、さらに手がかり足がかりになりそうなものは見あたらない。クリフあたりならいざ知らず、これを登るのはマリアやアルベルには無理だと思う。登攀用の道具などないわけだし、足場も悪いし。もし途中で滑り落ちた場合、そのまま谷底へ落ちる可能性の方が高そうだし。
では横は。せめて彼が身体を伸ばせるくらい、広い岩棚などはこの周囲にないのだろうか。
探そうとして、――不意に気付いた。
「……あ、アルベル……?」
再び早くなる鼓動。上げた声に彼は無反応。――いや、マリアの身体に回る腕に、力が入ったような。
とりあえずこれだけは確実に。……彼の息が荒く、早くなっている。
「何? どこか、怪我でも……」
先ほどのまま、そっぽを向いた顔。熱い吐息が少し耳にかかって、ぞくぞくと身体に寒気が走る。自分の反応が信じられなくて、しかしアルベルの様子がおかしいのは確かで。
何が何だか分からなくて、動くに動けない。
「ある……」
「――黙ってろ」
掠れた低い声に、びくん、身体が跳ねた。顔が、熱い。すべての熱が頭に集まって、何も考えられなくなる。
「……黙ってろ……抑えがきかなくなる」
「……おさえ……?」
耳に、息。――笑ったのか。
「襲われたいわけじゃ、ねぇだろう……?」
理解するのに時間がかかった。理解した瞬間、頭の中が真っ白になった。
――コノ男ハ、私ヲ女トシテ見テイル……?
それは当然のことかもしれないものの。少なくともマリア自身、自分が女であるという認識はあっても自覚はあまりなかったので。真っ白な頭が、次の瞬間驚きで染まる。その驚きも、すぐに別の感情に変わる。
怒りか、戸惑いか、嫌悪か、困惑か、それとも……別の感情なのか。分からないけれど確かに変わって、しかし結局は身動きも取れずに、マリアもまた浅く早い呼吸をくり返す。落ち着こうと目を伏せて、しかしそうすると男の身体を余計に意識してしまって。何をどうすれば良いのかまるで分からない。
今度こそまともにアルベルの顔が見られなくなって。泳ぐ視線が、不意にそれを見つけた。
「アルベル……!」
「お前は人の話を……」
「そんなことより! あそこ、洞窟があるわ。岩棚だけでもここよりよっぽど広いし」
今いる岩棚よりも、少し離れた下の方。指差した先を眺めて、アルベルの口元が歪む。何を考えているのかまるで読めないものの、この状況をどうにかしたいマリアは、それを肯定と受け取った。必死になって続ける。
「入口付近、見える範囲から推測して。ドラゴンや何かの巣穴ってことはないと思うの。ここから、少しつらいけど足場もあるみたいだし」
「まあ、こんな狭苦しいとこよかマシだな……行けるのか?」
「多分」
まずはマリアが動かないことにはアルベルは立つこともできない。訊ねられて、プロテクターをごそごそやりながら、マリアがうなずいた。
なんとかいつものペースに戻って、内心ほっとしながら。
「……何をやってるんだ」
「命綱を、ね……」
マリアの装備は、クォークのメンバーがあれやこれやといじり倒している。たとえば今関節部分のスペースから取り出した、やや細めのロープのような、そんなものがそこかしこに隠してあったり他にも仕掛けがいくつかあったり。
クラウストロ人と地球人、体力も腕力もない脆い彼女への、メンバーからの心尽くし。
「このロープ、見た目は細いけど、片手くらいの人の体重は軽く支えられるの」
「ほう……」
素直に感心されて、くすぐったくなったマリアは彼から視線を逸らした。さらに今度は手甲から取り出したフックを銃で岩棚に撃ち込んで、手早く例のロープを結ぶ。反対側の端は二重にして腰に結び付けた。
アルベルに引っ張ってもらってほどけないことを確認して、マリアはひとつうなずく。
「……じゃあ、行ってくるから」
「無理すんな。駄目なら戻れ」
「分かってるわ」
深い翠の瞳でまっすぐにアルベルを見つめて、マリアがさらにうなずいた。
