「……おい?」
言わなくても良かった脅しのためか、ずっと緊張していた身体がいきなり弛緩して、アルベルは声を上げた。
返事は――ない。
頭の回るマリアのことだから、これはひょっとして演技なのかと勘ぐってみたが、そろりと腕の力を抜いてみてもまるで反応がなくて。完全に腕の力を抜いてみる。バランスを崩したか、華奢な身体ががくんと崩れそうになる。
「!? おい、何だ……?」
間抜けな台詞だと気付いたのは、地面に崩れ落ちそうになる身体に再び腕を回してからだった。
青い顔で目を閉じて、――気を失っている。
当然だと思う。命綱一本で無謀なロッククライミングをやらかして、アルベルを気遣って冷たい地面に長時間直に座り込んでいた。ただでさえ少ない体力を、馬鹿みたいなことに消費したのだ。いい加減、このあたりで限界が来なければ逆に変だと思う。
「……ちっ」
力の抜けた身体を自分にもたれかけさせて、アルベルは吐き捨てた。
なんてザマだ。こんな重荷を抱えていれば、いざ敵が来たときに即座に動けない。そもそも崖から落ちたのだって、この女がとろとろ走っていたのをかばったせいなのだ。
それでも。この脆い身体を放り捨てることだけはなぜかできなくて。
ヤキが回ったな、思う。大体、こうしていることそのものには気が滅入るくせに、柔らかな身体が触れていることは純粋に嬉しいのだ。気を失った女に手を出すのも、心から拒絶している女を力ずくで従わせるのも、まったく趣味ではないくせに。
少しでも気を抜けば、多分止まらなくなる自分がいる。
(……欲求不満、なのか……?)
確かにここのところ機会がなくて、それはそうなのかもしれないが。
ぼんやりと考えて、しかしすぐに否定する。多分そんなものではない。誰でも、何でもいいわけではなくて、……それはたぶんマリアだからで。
それ以上考えようとする思考を無理やり止める。なんだか取り返しのつかないことをやらかしそうな気がした。
「……ヒーリング」
ぴろりん♪
回復の呪文をかければ、険しかった顔が少しだけ緩んだ気がした。女の身体が密着していて、しかし絶対に手を出すわけにはいかないという、まさに極限の生殺し状態のくせに、身体に触れる吐息がやわらかくなったことが純粋に嬉しかった。
冷気からマリアを守るように改めて抱え直して、アルベルも目を閉じる。意識の一部だけ、何かがあっても動けるように起こしておいて。身体を休ませるために、それだけなのだと、腕に胸に柔らかなモノを抱きしめて。浅いけれど深い眠りへ。
浮遊感、充足感、満足感……安堵。
だがしかし。やはり気になるモノは気になって、眠ることなどできなかった。ややあって諦めたアルベルはゆっくりと目を開ける。目を伏せて無垢な表情で、口元がかすかに緩んだマリアの顔がすぐに視界に入ってきて、分かっていたはずなのになんだか戸惑った。
「……いいのか? 男の目の前で意識なくして」
ぼそりとつぶやいて、己の間抜けな台詞に息を吐く。
別に、マリアだって気を失いたくて失ったわけではない。そんなことは分かっている。無理やりにでも休ませようと、勢いで吐き出したあの言葉に、たぶん本気で怯えていた。離してくれない、いつ自分を襲うかも分からない男に抱きしめられて、全身が緊張していた。
おかげで消費しなくてもいい体力やら精神力やらを盛大に消費した。やがて最初から見えていた限界がきて、あっさり倒れた。
「……ああ、くそっ」
勢いにつられたものの、あの言葉は嘘ではない。そうすれば体力は消耗しても確かに熱くなるし、実際に彼女を欲しいと思った。
しかし、言わなければよかったと少し後悔する。無理を重ねるマリアに怒りを覚えたものの、怯えさせるつもりはなかった。たとえ手を出すにしろ、こんな場所でこんな時に嫌がる女を力に任せて乱暴するほど、彼は鬼ではない。……少なくとも理性の勝つ限りは。
くったりと弛緩した肢体は、どこまでも華奢でやわらかくて。脆いけれど、張りがあって。好きにできるなら、それはいったいどんな味なのか。――首を振って妄想を断ち切る。
――自分で自分を追い詰めてどうする、阿呆。
「……ヒーリング」
ぴろりん♪
精神力の限界まで回復の呪文をかけて、いっそ気を失ったらどうかと思い付く。が、思い付いた瞬間、では二人して意識がない時に万が一モンスターに襲われたらどうするのだ、とも思う。
結局、無防備になることは許せなかった。完全に脱力しているために、ずるずると姿勢を崩すマリアの身体を抱きかかえ直して、アルベルは何度目かも分からない重い息を吐く。
体力は、やがて回復して。呪文をかけ続けるアルベルの精神力だけは、消耗したまま。
時間の感覚がどこかに消えていた。気が付いたら、周囲は白々と明るくなりつつあった。
腕の中の柔らかなモノが、ぴくりと跳ねた。無闇に込めたくなる力を受け流してことさら無感動に眺めていれば、深い翠の瞳がうっとりと開いてぼんやりと瞬く。焦点の合っていないそれとしばし見つめ合って、いきなりそれがきっときつくなると、ものも言わずに突き飛ばされた。
「……っ!?」
真っ赤な顔でうろたえながら自分の身体を見下ろしている、服を確かめている。分かりやすいその反応に、アルベルは耐え切れずにとうとう吹き出した。
「何もしてねえよ」
「ぁ……、ぅ、」
「何かしてほしかったなら、リクエストに応えてやってもいいがな?」
「いらないわよ! 馬鹿すけべ変態ケダモノっ、近寄らないでよ、この……っ」
寝乱れた髪が視界をふさぐのを邪魔そうに掻き上げて、それでもその右手にはいつもの銃を震えもせずにかまえている。羞恥と怒りとで震える全身と、まったく微動だにせずに照準を合わせている右手が、まるで別の生き物のようだ。
「――体力は回復したみたいだな」
言葉に、目が全身が瞬時に落ち着きを取り戻す。顔だけはまだ赤いままざっと周囲を、自分を見回して銃をしまってこくりとうなずいて、
「……お礼を、言っておくわ。ありがとう。……でもあんなの二度とゴメンだから覚えておいて」
「そりゃ俺の台詞だ」
ぴくりと眉が跳ね上がったのをフォローするように、さりげなく続ける。
「そうそう崖からなんざ落ちてたまるか」
――そんなこんなで、二人がパーティからはぐれて三日後。養女を心配するあまり目の下にクマまで作ったクリフを中心に、装備を整えた彼らが二人を発見した時。
なにやら口喧嘩真っ最中だったそれが、三人の目には微妙に夫婦喧嘩めいて映って。
――何やら絶望のあまり地面に膝を付いたクリフ、やけに悔しそうな恨みがましそうな目でアルベルをにらみ付けるフェイト、まだ気付かずに喧嘩を続行するマリアとアルベル。
とりあえず――ネルがやれやれと肩をすくめた。
